★「20世紀の旅本」

 『旅行人』という旅雑誌から、20世紀100年の間に出版された旅関連書籍のなかから、これぞという6冊を選ぶようにとの注文があった。考えた末に、次ぎの6冊を選択し、それぞれに短い文章をつけた。

永井荷風『ふらんす物語』 (1909 新潮文庫、筑摩書房、岩波書店)
 20代の荷風が、ほんの数カ月体験するパリとリオン。彼は生涯、フランスに憧れ、フランス文学を抱えて生きたはずだが、二度とその土地を踏むことはなかった。もっとも、一度だけの旅で、全てを吸収し尽くしてしまったのではないか。いつもフランスを思い、日本を嫌悪しつづけた、この不埒な文学者は、ずっとひとり旅をしている気分だったかもしれない。

『ボブ・ディラン全詩集』(1974 晶文社)
 ディランの詩には、アメリカのいろんな土地が顔を出す。ふだんぼくたちが接するアメリカの底に沈んでじっとしているみたいな、もうひとつのアメリカ。このミュージシャンは、子どものころによく家出をした。ひとりで彷徨する少年の目に映りこんだ風景が紡ぎ出されて、彼のその後の曲になっているかと想像したくなる。

ポール・ニザン『アデン・アラビア』(1931  晶文社)
 サルトルの友人で、夭折した作家ニザン。この作品ついては、「ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい」というフレーズからはじまっていることだけを伝えれば、もうすでに十分であろう。彼の祖先たちがつくりだしたヨーロッパという世界を「圧縮した姿」として、アデンを描いている。

ジャック・ケルアック『路上』(1959 河出文庫)
 ビートの作家ジャック・ケルアックは、残念なことに、この作品によってしか日本には知られていないようである。アメリカ大陸を駆け抜けるハイ・テンションに、読み出したらやめられなくなる。いまという時点から見れば、ハンター・トンプソンが、ケルアックの後継者と言えるかもしれない。映画『ラスヴェガスをやっつけろ』は必見。

武田百合子『犬が星見た』(1979 中公文庫)
 百合子さんは、泰淳夫人である。武田泰淳と言っても、だんだん忘れられているようだが、戦後文学は、この作家を抜きにしては語れない。もうひとり、中国文学研究の巨峰であった竹内好とともに、カミさんに引き回されながら、ロシアを旅するのである。これほど痛快な旅が、1960年代のロシアでできたことに驚く。

横光利一『上海』(1932 講談社学芸文庫)
 戦前の上海は「魔都」と呼ばれた世界都市であった。ということなら、金子光晴の作品を挙げたらいいと言われるかもしれない。しかし、利一の視線は、20世紀に沈潜する光晴を越えて、21世紀に向けられている。ニューヨークも東京も「魔都」となっていく未来。これだけの小説を生みだしえた日本社会もまた、かなりすごかったのである。

[2001.2.16]