
★上水が流れはじまるあたりの酒蔵前

木漏れ陽のなかに、真っ黒い蝶が舞っている。
やがて薄闇へ逃れた蝶は、金網の柵を乗り越え、水のほうへ去った。
ぼくは、金網に顔をつけて、水面を眺める。
きょうは水が少なく、よく澄んでいる。
数年前の夏は、満々と水を湛えていたが、白く濁っていた。
それだけがちがう。
あとはあのときと同じである。
流れも、隣の砂利道も、鬱蒼とした樹木に覆われて、静まり返っている。
ここは都区内までつづく玉川上水のはじまりの部分である。
多摩川の広々とした河原と、向かいに展開する緑の丘陵。
いま見ていたばかりの、雄大な景色は、もはやない。
木々に視界を遮られ、傍らの水に導かれて、ただ前方へ歩くしかない。
流れの向こうは切り立った崖。
その上を奥多摩街道が抜けている。
クルマは見え隠れするけれど、走行音がほとんど聞こえない。
やがて上水沿いの道が切れて、突然に街の中。
造り酒屋の煉瓦の煙突を見上げているぼくがいる。
酒蔵の門前にしばらくたたずんでいた。
自分がなにをしたいのかもわからずに。
★2007.10.26.

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