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「まえがき」より
ぼくが、「グレートフル・デッド」のファンであることを知っている友人が、あるとき、"Deadicated"
をプレゼントしてくれた。いろんなミュージシャンが、「デッド」の曲を歌い演奏しているCDである。
この贈り物については、いまでも感謝する心が消えない。気分が高揚しているときも、荒んでいるときも、平穏なときも、どんなときでも、このCDだけは聴きたくなる。聴いているといつも、自分がアメリカにいる錯覚を抱く。
夜を徹してバスに乗りつづけるアメリカ、マンハッタンの暗いワン・ルームでテレビを観ているアメリカ、山奥の牧場でおばあちゃんがトム・ウルフの話をするアメリカ、デザートのフルーツ・ジェリーを三つも四つも食べる男が笑っているアメリカ、いろんなアメリカへ、このCDはぼくを運んでいってくれる。
1994年に、ぼくは自分のメディアを持とうと思い立った。なぜそういう気持ちになったかというと、アメリカについて書きたいことが山ほどあることに耐えられなくなったからである。あれも書きたい、これも書きたいと思った。
20代の終わりごろからずっと物書きをしていて、アメリカについてもたくさん書いてきている。だから、書きたいものは次第に減っていってもいいはずだけれど、そういう風にはなっていない。
それは第一に、アメリカという社会には、「書きたい」リソースがうんと詰まっているからではないか。いくら掘っても掘っても石油が吹き出てくる油田みたいに底が知れない。
もうひとつは、ぼく自身の興味が始終移っていることとも関係があるにちがいない。あることに熱中して一生懸命調べたり取材をしていても、いつの間にか関心が薄れて、そのことから離れてしまう。自分でも気がつかないうちにそうなっていることがよくある。アメリカという対象を、あの広い大陸を彷徨するようにして、あっちこっちと移動しつづけながら齢を重ねているみたいである。
もっとも、さまざまなテーマを遍歴するうちに、とうとう行くところまで行って、アメリカを離れようと考えたことは、いままでに一度もない。したがって、やはりアメリカがリソースフルであるという、はじめの理由に帰着するのであろう。
若いころに、何カ月もかけてアメリカを巡りながら、100人の人がいれば100のアメリカがあることに思い至り、とても感激したけれど、それどころではなかったわけである。ひとりの人間が100年生きれば、少なくともアメリカは100ある。そう考えるようになった。とんでもないことである。
もっとも、興味は移り、たくさんのアメリカを抱えつつ、なんとか書きたいとは思うけれど、実際に書くことができるのは、そのほんの一部でしかない。私的なところで言えば、怠惰のせいもある。それに、ぼくのようなライターは、メディアが求めるものを書くのが原則になっている。当然のことだが、メディアの関心とぼくのそれとが合致するとはかぎらない。一般にはあまりに特殊と見えるテーマにたまたまこだわりが生じて、それを追いかけているとすれば、かたちになって日の目を見る可能性はきわめて低いわけである。
自分のメディアを持とうと思ったのには、なにか具体的なきっかけがあったわけではなくて、物書きという商売をしてきて、自分のなかに「そのとき書きたいものを、書きたいように書きたい」との思いが積み重なった結果であった。興味が移ろっていくなかで、いま、このときに、自分をとらえているものに、自分なりの決着をつけたいということである。
したがって、なにを書いて伝えるかは、はっきり自覚している。そのときの最大関心事を自由に書ければ、それでいい。
作業工程としては、その当時使っていたワープロ上で、若干のレイアウトが可能だから、一応の体裁をつくり、ファクスで送信することにした。小冊子のようにして郵送する方法もあるし、実際そのようにして送られてくる小雑誌も知ってはいたけれど、いま書いていま送りたい、いわば「はやる気持ち」の表現としては、ワープロ・プラス・ファクスだろうというのが、パソコンを知らなかった、その当時のぼくの結論であった。
はじめのころのキャッチフレーズとして、「ファクス・マガジン」とか「東京発のアメリカ通信」といった表現を用いていた理由もそこに見出せる。
はじめ、このメディアのタイトルは、「USマンスリー」という平凡なものになるはずであった。創刊号を出す寸前まで、そう決めていた。最初のカヴァー・ストーリーとして親密な関係にある男女の間の暴力を扱うつもりで、結局それは「異性間平和のための処方箋」という文章になるのだが、その準備をしながら、例によってDeadicatedを聴いていた。まだ夏のころであった。
CDの3曲目に入っているU.S.Bluesをハッシュド・メロウズが歌っていて、歌詞のなかにあるWave the Flag(旗を振れ)の一句が、頭のどこかにひっかかって離れなくなり、その代わりみたいに「USマンスリー」はどこかへ行ってしまったのである。
U.S.Bluesという曲がとくに好きというわけではないけれど、典型的なロックンロールが心地よく、このタイトルの選択はよかったなと、いまでも思っている。
創刊を前に、図々しくも、知り合いの何人かに手紙を出して、Wave the Flagと名乗ることになったメディアの購読勧誘をした。かなり高額の購読料を要求したのに、たくさんの人が応じてくれた。また、いくつかの週刊誌と新聞で創刊が取り上げられたため、見知らぬ人からも申し込みをいただき、その結果、100人あまりの購読者を得てスタートした。
一応月刊ということになっているのだけれど、編集兼発行人であるぼくのほうの勝手な事情で、何度か飛び飛びになっていて、2000年11月末で49号を数えた。
はじめは、ワープロでつくったものをプリントアウトして、それをファクスにかける作業をしていた。したがって、一日、いや二、三日ファクスにつきっきり状態だったものである。しかも、ワープロとファクスのふたつを通過するうちに、カットや写真はもちろん、文字も相当なダメージを受けるらしく、ひじょうに読みにくいという苦情がたくさんあった。
しばらくして、パソコンを操作できるようになり、パソコン上からファクスを送れることになったために、印字の不鮮明はだいぶ改善された。
そうしているうちに、ぼくはメールの簡便さと、そしてなによりも、これで書く行為の自由さに魅かれるようになった。ずっと無意識のうちに呪縛されてきた文章上の約束事、たとえば起承転結であるとか、それぞれの部分のバランスであるとか、書き出しと書き終わりへの配慮とか、そういった決まり事が、メールではだいぶ消えている。少なくともそう思えた。自分の書きたいことを、書きたいときに、書きたいところに、書きたいかたちに書けるのがメールであることを「発見」してしまった。
メールでは、レイアウトして雑誌のような体裁をつくることはできない。しかし、雑誌みたいに見せることがほんとうに必要であろうか。そんな疑問も湧いてきた。書きたいことを書くという、本来の意図からすれば、文章表現の自由さのほうが重要ではないか、と考えた。
そのように理由づけると、さっそく、読者のみなさんに、メール・アドレスを持っている人はメール送信に変更してほしいとお願いした。その結果、「オンライン・ペーパー」を名乗るメール送信と、在来のファクス送信の二本立てになった。
メールへシフトしたことによって、中身も変わってきた。いまこのときに伝えられるものをともかく全部載せようという姿勢がいっそう強まる一方で、かつてのような全体としてのまとまりへの志向が薄らいでいく。
カヴァー・ストーリーとして、テーマ性の強い長めの文章をかならず入れるというカセも簡単に外してしまったし、すでに他のメディアに発表したものを掲載するのも厭わない。自分の近著の抜粋なども平気で挿入するようになったのも、このときからである。
在来のメディアのスタイルにとらわれなくなったと言えばきこえがいいけれど、著しくまとまりを欠いているとも見える。
どうするのが、メディアとしてもっとも有効なのかが、まだわかっていない。いわば過渡期の状態にある。
ワープロ、ファクス、パソコン、パソコン通信、メール、そしてインターネットなどなど、状況のめまぐるしい変化に、我がWAVEtheFLAG(単語の間のブランクを消してしまったのは、インターネットの常識に従っているつもりである)も、翻弄されているといったところである。
さらに、もうひとつの曲がり角を迎えた。とうとうホームページを開設して、1994年以来のファクス・マガジンあるいはオンライン・ペーパーは、すべてウェブ上に引っ越しをすることにした。
そうなると、いままで少なくとも建て前にはなっていた月刊の枠もなくなるであろう。できるだけ頻繁に更新することが求められるはずである。どのような性格のホームページにするかによってもちがってくる。
曲がり角の曲がり方と、曲がった後の進路を考えなくてはいけないところに立ち至っているのが、現在である。
〈なお、本書の冒頭に収録してある「抗鬱薬の躁と鬱」は、本ホームページの「WAVEtheFLAGバックナンバー」で読むことができる。〉
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(2000.12.18)
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