★書評/『私たちはなぜアメリカ人なのか』

 9.11 を枕詞にしないと何事もはじまらないのが、このごろのアメリカである。そのことに文句をつけているのではない。事実として言っているのである。

 アメリカの作家たち 15 人が、アメリカ人作家としての自分自身について書き、自身の内側を公開する、この本もまた例外ではない。

 これはもともと、9.11 から一年後の 2002 年秋に、世界各地のアメリカンセンターを通じて、広報文書として配付されたのだという。だから、眉に唾ものとまず思う。

 訳者の青山南氏も、「翼賛的」な内容かと心配したそうである。ところが読んでみると、それが取り越し苦労で、とても充実したアメリカ文化論集になっている、と。

 その通りで、近年ますます、若い書き手による意欲的な作品が生まれてきているアメリカ文学の秘密のかずかずが、みごとに開陳されている。

 アメリカ人は、なぜ作家になるのか、という問いへの答えが、この本に見出せる。彼らの身内には、さまざまに拮抗するストーリーがたくさん詰まっていて、やがてそれらが膨張し、溢れてきて、書かないわけにはいかなくなるのである。

 ここに名を連ねている作家たちは、きわめて多彩な出自を持っている。多様性を念頭に選ばれたからということもあるだろうが、民族的にバラエティに富んでいるばかりではない。同じ白人系の作家でも、南部の出身者たちは、彼ら独自のカラフルなストーリー「在庫」を抱えているわけである。

 一方で、この作家たちの多くに特徴的なのは、アメリカ人としての自分へのこだわりである。他の国の作家とどうちがうか、アメリカ語表現の特異性はどこにあるか、そうした点への執着は尋常ではない。

 15 人のひとり、ロバート・クリーリーという詩人が、アメリカの非凡さは、優れた叙情詩をつくってきたことだと主張するくだりがある。

 「ひとはみなひとりである──アメリカでは、ひとも詩人もひとりでなければならない──私たちの文化は独立した個人を主張してやまないが、そこからは身を切るほどの孤立感が生まれている。だったら、ぜったい、叙情詩──ひとりで過ぎ去っていく存在の詩──はみんなの膨大な資源でなければならないのだ」

 このような断定には、同意を表明するか、眉をひそめながら反対するか、反応はふたつにひとつしかない。

 ありあまるストーリーを、アメリカという強力なフィルターにかけながら、断固として書きつづける作家たち。その実像に圧倒されつつ、9.11 の根にあるものを改めて問いたくなる。つまり、アメリカとアメリカ人がアメリカ的なるものと信じている、多様性も「独立した個人」も、それらがドグマとなるとき、両刃の剣と化するのである。


書籍データ
『私たちはなぜアメリカ人なのか』
米国国務省国際情報プログラム局=編
青山南=訳
ゆまに書房
1400 円+税
2003 年 10 月 24 日初版