| ★連 載 |
#8
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8. 匂い散らすニラ汁
上京して東高円寺に借りたアパートは、いまのジェーアール高円寺駅と中野駅の中間のあたりにあったので、休日に出かけるのは、そのどちらかだったけれど、どちらかというと中野駅に足が向いた。
アパートからいちばん近い商店街に、ニラ汁が濃厚な匂いをはなっている食堂があった。匂いには、あまり惹かれなかったけれど、値段の安さに惹かれてよく行った。
夫婦ふたりが立ち働く、すすけたちいさな店はカウンター形式で、そのなかでニラ汁のぐらぐら煮えている寸銅鍋は気になった。作り立てのニラ汁の匂いは、それほどでもないが、寸銅鍋は常に火にかけられていて、客が来るとそこから椀に盛られてサバの塩焼きやアジフライなどといっしょに盆にのせられていくうちに、鍋の残 りの量は半分くらいになる。と、店主は、客の目を気にするふうもなく、減った量のニラや出汁などをつぎ足す。こうなるとニラ汁はだまっちゃいない。いよいよ強烈な匂いを放ちはじめる。
稲垣浩監督『無法松の一生』には、坂東妻三郎の無法松が、車夫の特権を無視した芝居小屋の木戸番の仕打ちに怒って、満員の客席に七輪を持ち込んでニラやニンニクを煮たり焼いたりして仕返しをするシーンがある。およそ臭いものにはパワーがある。食べるにしても武器にするしても。
味噌汁のメニューはニラ汁きりなので、これを呑むしかない。ニラ汁はまずくはない、かといってうまくもない。十代だったので、ニラ汁のありがたみが分らなかったということかもしれない。
ニラ汁を一杯やってエネルギーのあり余るある日、天気が良かったので商店街をつき抜けて、まだ行ったことのない住宅街のほうへしばらく行くと線路が見えてきた。線路沿いにさらに行くと、中野区桃園町という住居表示板があった。桃園町というのは高村光太郎のアトリエがあった所ではなかったかと思った。なんでそんな地 名を知っていたか思い出せないが、そのころ読んだ『智恵子抄』のどこかに書かれていたのを覚えていたのだろう。光太郎は、1952年に疎開先の岩手から東京に戻って、この桃園町にアトリエを構えて、それから4年ほどで病没している。
気まぐれな散歩で高村光太郎ゆかりの桃園町に出て、さらに思いがけずにぎやかな中野駅にたどりついたのは、競馬で言えば、500円を賭けて3000円儲かったくらいの喜びだったろうか。いまの相場での話だが。 高円寺より中野に足が向いたのは、ひとつには丸井デパートがあったからで、本とレコードと電気製品をまとめてひとつところで見られるのは、デパートぐらいしかなかった。中野丸井は本店だったが、店の規模は丸井だから、そんなに大きくはなかっただろう。上野丸井くらいだったか。二館あったような気もする。ビッグカメラやさくらやが池袋に登場したあたりから、だんだんデパートに行かなくなった。あまり行かなかったけれど池袋三越も閉鎖されるらしい。デパートはどんどん消えているが、中野丸井は本店だからまだあるだろうと思ったら、去年閉店していた。♪マルイマルイは駅のそば……から消えた。
わが東高円寺の思い出は、ニラ汁の匂いのなかに朦朧としてある。
(つづく)
★08.10.14.
―WAVEtheFLAGウェブマスター
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