★書評/帝都東京・隠された地下網の秘密
この本の冒頭部分に、国会議事堂周辺の地図が二点出てくる。いずれも市販のもので、2002 年版だから最新の市街図でもある。
見比べると、変だ。丸の内線と千代田線、ふたつの地下鉄路線が一方の地図では平行に走っているのに、もう一方では交差している。ミスなのか。しかし、三十年以上も改訂されずに、この状態がつづいているというから、単なる間違いとは考えにくい。
改描、つまり地図改竄の疑いが濃い、と著者は考える。真実を隠蔽するためである。
こうして東京の地下に眠る巨大な秘密が明るみに出され、「一九四五年(昭和二十)、東京にはおそらくいまとほぼ同じだけの地下鉄があった」という結論に至る。東京の地下鉄は戦後しばらくまで銀座線しかなかったという常識は覆されてしまうわけである。
その証拠のひとつとして、著者は次のような事実を突きつける。
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「182 メートル 88 センチ 1 ミリ」。丸の内線・赤坂見附-四谷間にこのような半径のカーブがある。その手前のカーブは
400 メートル、その後は 200 メートルの半径になっている。十メートル刻みの数字が並んでいるなか、なぜか、ここだけがこれほど細かい数字なのだろうか。
「このトンネルは、もともと、メートルで設計されてはいないのではないだろう」
ふと、思いついて手帳を開くと、案の定、これはマイル法の二○○ヤードだった。日本でマイルが使われていたのは戦前に限られ、それも、ほとんどは明治大正の頃のことである。つまり、この部分のトンネルは戦前からここにあって、戦後、丸の内線はここまで建設を進めてこのトンネルを利用し、これを出たところから新たな建設を始めていることになる。もちろん、このトンネルを壊しつつ新たなトンネルをつくっていくこともできるが、それでも、「二○○ヤード」はここに戦前からトンネルがあったことを示している。……
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日本政府も東京都も営団地下鉄も、その事実をひた隠しにしているという。なぜだ? だいたい、縦横無尽の地下ネットワークを隠れてつくる必要がどこにあったのか? だれがなんのために、世間に知れない地下鉄を利用したというのか?
次々と疑問が湧くが、それらを解こうとする手法は、きわめて地道である。
地図と文献資料を渉猟し、わずかな手がかりを集積する。さらに、地下鉄の車内からトンネルの闇を凝視するのである。トンネル用のノートをつくって、連日いくつかの路線に乗り、蛍光灯の本数、線路の間の壁の有無、壁の変色の程度などをチェックして回ることもしている。
その結果、荒唐無稽と一蹴されそうな主張に、確固とした裏付けがされていく。この過程に、興奮しないわけにはいかない。
しかし、全てを書いてはいない。諸般の事情で、書けないことがかなりあるらしい。そこで、読む側が推量しなければならない。著者が落とすヒントを頼りに、我々ひとりひとりが真実に迫るのである。じつはこれが本書のいちばんの「山場」ではないか。
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(『東京新聞』2003年1月19日掲載原稿に加筆)
[2003.1.27.]
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