| ★書評/『スパイの世界史』 |
華麗なスパイたちと、魅力的なエピソードの数々。たとえば、アラブの解放者としてもてはやされるアラビアのロレンスは、イギリスのスパイであり、情報将校として活躍した。白いアラブの衣装に身を包んだのも、相手に溶け込むための偽装であった。
ところが、このロレンスを超える大活躍をしたスパイが同時代にいたという。ドイツが中東に放った「ペルシャのロレンス」である。しかもこの人物について書かれた本が、戦時中の日本で翻訳されていた。これを知った著者は古本屋へ出かけていき、この稀覯本に遭遇するのである。
本書では随所に、こうした著者自身の手触りが感じられる。それが、スパイの人間臭さをいっそう際立たせるのに役立っている。
ボーイ・スカウトはなぜミリタリー・ルックなのか。創始者がれっきとしたスパイで、「スカウト」(原義は偵察・斥候) のプロだったからだ。あるいは、観光名所のエッフェル塔には別の用途があった。それはなにか。戦時に敵の無線を妨害する電波の発信に使われたのである。
などなど、面白スパイ話が充満している。もっとも、スパイ術の本とかスパイ列伝とはちがう。
全編を貫くのは、スパイを生かすのは政治であり、スパイの情報を利用するのに長けた政治家が、歴史をつくってきたという考え方である。そこで、国家政治の利害が激しくぶつかり、戦争に彩られる 20 世紀に躍ったスパイたちのありように焦点を当てる。
スパイというフィルターをかけて見ると、教科書とは異なる「もうひとつの」歴史が立ち現れる。スパイを介することで、歴史を読み直す。この作業は刺激的だ。
スパイの集団である情報部をもっとも巧みに操作した政治家として、この本で「世界を舞台にした操り人形師」スパイマスターに指名されているのは、前大戦から戦後にかけてのイギリス首相、ウィンストン・チャーチルである。
チャーチルには、日本が真珠湾を攻撃するという情報を事前に知りながら、アメリカ側への通報を遅らせたという噂がある。日本に攻撃させることで、ヨーロッパですでにはじまっていた戦争への参加をためらうアメリカにショックを与え、参戦に踏み切らせるのを狙ったのだとされる。
事実とすればいかにも、スパイ情報を熟読玩味し、精巧なスパイ組織を編み上げた政治家らしい。「真実にはつねに嘘というボディガードをつけておくべし」が、チャーチルの信条であった。
したがって、さまざまの予告情報がありながら、これらを利用できずに、9.11 のテロ攻撃を許したアメリカの政府首脳部など、最低の政治家の見本ということになる。
ところで、21 世紀に生きる我々にとって、大きな関心事は、テロリズムである。テロの時代にスパイはどうなっていくか。当然、ここにも筆が及ぶ。
かつて情報収集専門だったスパイは、いまや破壊活動や暗殺などのテロ行為をするようになっている。アメリカ中央情報局 CIA の、中東や中南米での跳梁ぶりは、国家公認のテロと言える。「鉄の女」こと、イギリスのサッチャー首相は、アルゼンチンとのフォークランド戦争で、情報機関と、アウトロー秘密部隊とを連動させたという。
著者は、「スパイとテロリストは互いに鏡の中の自分の像をのぞくように、似かよっている」と書いている。ふたつの像が重なり合う。21世紀のスパイは、テロリストと見分けがつかなくなりつつある。テロリストもまた、スパイの一面を持っている。テロの実行には、成功を確実にする情報が必要だ。
また、ビンラディンが率いるというアルカイダのように、民族的、宗教的な結びつきのテロ組織(もっともアルカイダの実在は確認されていないけれど)には、国境など関係がない。政治による歯止めが効かなくなりつつある。大蛸のように不気味な触手をどこまでも伸ばす組織に守られて、むきだしの敵意が暴走する。
政治家たちがしっかり手綱を握りスパイをコントロールしていた20世紀を、21世紀から振り返るとき、牧歌的にさえ思えてくるではないか。そこではまだ人間が力を持っていたのである。
コンピュータ、ジェット機、あるいは生物化学兵器。テロリストがこれらを手中に収めるとき、なにが起きるか。マンハッタン超高層ビルの爆破に、その答えがある。これでは、人類の未来に希望を見出せない。
500 ページを越える大著に次々に登場する大物小物のスパイたちは、と見渡せば、ときに行きすぎ、ときに間違い、ときに至らない。いかにも人間らしい。人間的であることの大切さを考えさせられる。
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