★書評/『週刊誌血風録』

 センセーショナリズムに思い切り根を張り、スキャンダルを肥料として、大きく育ってきたのが、日本の週刊誌ジャーナリズムである。

 とりわけ日本が高度成長に沸いた1960年代から70年代にかけて、さまざまの欲望が噴き出した時代に、週刊誌は大いにもてはやされた。少年コミック誌と販売部数を争ったほどである。当時、ある男性誌の編集長は、「カネ、オンナ、出世」に徹して雑誌づくりをすると公言した。実際、この路線を突っ走ることによって、部数を大いに伸ばした。

 この疾風怒涛の時代を楽しみ、面白がり、心躍らせて生きた、一群の人々がいる。週刊誌の編集者、取材記者、あるいはアンカー(掲載原稿を書くプロ)たちである。(他人事みたいに書いているけれど、評者も60年代の末に、その末端に連なっていた)

 本書の著者は、まさに渦中を経験したひとりで、大学を中退して女性誌の取材記者を振り出しにして、この世界を縦横に駆け巡った。

 そして、吉展ちゃん誘拐事件、「あさま山荘」事件、あるいは長嶋茂雄の結婚など、当時の大事件やイベントの数々とわたりあってきた。

 たとえば、「晴天の霹靂」のような三島由紀夫の自刃。編集部は、ただちに臨戦態勢に入り、「臨時増刊号」の準備がはじまったという。

 この作家をよく知る人々の緊急座談会を行って、結果、膨大な量の速記録ができあがった。しかし、そのままでは長過ぎて載せられない。著者は、編集部から、要領よく短くリライトしてくれと依頼される。締め切り時間が迫っている。どうしても間に合いそうにない。そこで窮余の一策。速記録を解体し、必要な部分だけハサミで切り取り原稿用紙に糊づけして、切り抜けた。

 こうして、生々しいドラマの数々が息もつかせずつづいていく。修羅場を共に切り抜けた仲間たちは、ほとんどが実名で登場する。その群像を、丁寧に描いているのが心地よい。幕末に躍った新撰組の隊士たちのように、彼らは「血風録」にその名を記すべき、同志なのである。

 だから、「今の若い編集者や記者たちは組織順応型で、強烈な個性が感じられない」と、現状に不満を抱かないわけにはいかないのであろう。週刊誌の時代、それはまた「マスコミ」がもっとも輝いていたときでもあった。
[2005.3.7.]

書籍データ
『週刊誌血風録』
著者=長尾三郎
講談社文庫
750円(税込み)
2004年12月初版


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