戦争は、人間を殺す。大量に殺す。それだけではない。生き残った者の心を蝕みつくす。本書は、若い高利貸の二十七年の生涯を尋ね尋ねて、その精神の深傷を洗い出す。戦争の闇が、我々の暮らしに迫ろうとしているいま、数十年前の戦後が、新たな意味をもつ。
表題の「光クラブ事件」は、日本近代史の年表にはつねに登場する。先の大戦から四年後の昭和二十四年、東大法学部三年の山崎晃嗣が、ヤミ金融の事業に行き詰まり、青酸カリをあおって自殺した。事件は、センセーショナルに報道され、戦後の混乱を象徴するものとして、歴史に残った。
しかし、昭和史探求の第一人者である著者は、「戦争という時代」への怒りを、学徒出陣し陸軍主計少尉であった山崎の生き方に嗅ぎとり、執拗な取材をつづけるのである。
最近のノンフィクションでは、取材現場を詳しく書き込んで、ドキュメンタリーの雰囲気を強く出す試みが、しばしば行われる。ここでも、かつて山崎の周辺にいた人々が次々に登場して証言し、半世紀前の時間が掘り起こされる。こうして、時代に痛めつけられ、歪んでいく若者の実像が立ち上がってくる。
著者とともに、「真説」を導き出す同伴者としての読み手の快感を十二分に味わえる。
なかでも、作家・三島由紀夫と、大学で一年上の山崎とは面識があったのでは、という「疑問」が解かれていく過程には、興奮をおぼえる。この事件をモデルにした三島の作品『青の時代』の記述、関係者の発言、さらには山崎自身の遺した文章から、状況証拠が積み上げられる。
よく知られるように、三島は昭和四十五年十一月二十五日に、自刃した。この日はじつは山崎の命日でもある。著者は、「三島はなぜ決行日をこの日としたのだろうか。定かにはわからない」と、言葉少ない。
三島や山崎のなかに渦巻いていた、時代への憎しみを、我々は改めて思い出させられるのである。
■■書籍データ
『真説 光クラブ事件』
著者=保阪正康
角川書店
1,600円+税
2004年11月20日初版
★書評/『月と菓子パン』
街を面白がったり、遊んだりするエッセーほど楽しいものも少ない。思い切り面白がり、とことん遊んでくれたら、それに越したことはない。
この著者は30代半ばの女性である。書き手の年齢や性をサカナにするのは、あまりいい趣味ではないけれど、いまや「負け犬」世代と呼ばれる花形のひとりだけに、気になる。この年代の女性たちの好奇心と探求心は、群を抜いているのである。
街と人とを心優しく軽々と描く、このエッセー集にも、華の30代の息吹きが横溢している。街の面白がり方も尋常ではない。
数十編の短い文章のなかで、ぼくがいちばん好きなのは、近所に5軒もあるという豆腐屋との付きあいを活写する「とうふや巡礼」である。店の人のひととなり、豆腐を買いに出かける時間によって異なる、街の表情、それらが織りなす「小さなドラマ」に引き込まれる。
行くたびに奥で麻雀に興じている豆腐屋があるという。「ごめんください」の声に飛び出してくるステテコのおやじ。麻雀に頭がどっぷり。上の空で代金を受け取ると、小走りに奥へ戻ってしまう。それでも、とうふは「律義な味」。さいころ厚揚げもうまい。これが少し横長。そこで著者は麻雀厚揚げと名づけて、悦に入る。
といった具合である。どこか懐かしい。しかし、そこに浸らない。ころころと懐かしがる。良質のコミックのシーンが浮かんでくる。読みながら、絵をたどる感じがする。
全編に通奏低音のように流れているのは、人への深い思いである。かつて関わりのあった人間の思い出を語るとき、面目が否応なく躍り出す。
学生時代にバイトした絵葉書屋の女性店長。娘が名門校に合格したという知らせに涙する彼女は、同じ電話口で、「艶っぽい低い声」で男に話しかけるおんなでもあった。「店長は元気でいるかしら」
街と人とがないまぜになりながら、くるくると、そして、観覧車のようにゆるゆるとまわりつづける。いつまでも乗っていたい観覧車である。
■■書籍データ
『月と菓子パン』
著者=石田 千
晶文社
1,800円+税
2004年4月30日初版
★書評/『江戸東京湾 くじらと散歩』
ただブラブラ歩くのが散歩ではない。好奇心を解き放ってあっちこっちと訪ねて歩く。そこに散歩の醍醐味がある。もっとも、徒に歩を運んでも、なかなか気持ちが盛り上がってはこないものである。歩く楽しさを満喫するためになにかテーマを設定するというのも、おもしろい。
東京湾と鯨。その深い縁を解き明かす本書は、そんな場合のかっこうのガイドになってくれる。
お台場の開発は進んだけれど、東京に暮らしていても、海のことはほとんど考えない。まして、東京湾を泳ぎわたる鯨というイメージは、日常の感覚からははるかに遠い。それだけに、散歩の末に鯨を体感できるとなれば、これは、なかなか得られない贅沢である。
日本で初めて鯨の全身骨格の化石が出土したのは、東京、それもベイエリアではなく都区内でさえなくて、多摩地区の昭島市であった。東京全域がまだ海の底だった160万年前の化石という。「アキシマクジラ」を訪ねるところから、著者の鯨散歩ははじまる。
その奔放な脚は、東京、神奈川、千葉全域に及ぶ。鯨にまつわる遺跡も施設も、アミューズメントパークも、見逃すことなくチェックする。丁寧なガイドと地図があるので、著者の後を追って歩きまわることができる。
東京周辺全体を、巨大な鯨ミュージアムと仮想するといい。超高層都市でもなく、過密都市でもなく、公害都市でもない、まったく別の、もうひとつの東京が出現する。
驚くのは、巻末の「鯨の座礁」年表である。海辺に打ち寄せられた鯨たちの記録だが、昨年だけで東京湾内外で11件もある。暮れも押しつまって千葉の海辺に漂着したマッコウクジラなど、体長16メートルの大物であった。
東京にとって鯨は、歴史であるばかりでなく「いまこのとき」でもあるわけである。鯨散歩は、時空のバリアを超えて、過去と現在を自在に往来する「旅」になっていく気配がする。
歩き疲れたらもちろん、鯨料理の店に休み、さえずり(舌の肉のボイル)で熱燗を一杯という奥の手を行使することもできる。
■■書籍データ
『江戸東京湾 くじらと散歩』
著者=小松正之
ごま書房
1,200円+税
2004年7月12日初版