★書評/『まわりまわって古今亭志ん朝』

 6年前に死去した古今亭志ん朝の思い出は『よってたかって古今亭志ん朝』(文藝春秋)のなかで、一門の弟子たちが語り尽くしたはずだが、どうしてそんなことはなかった。この本では、二ツ目から真打に至る頃の、若々しい志ん朝が登場して、色気をふりまく。

 今回、語り部となるのは、同期や若手、あるいは席亭、マネジャー、そして、気の置けない友人など。見下しもせず、見上げもせず、志ん朝の目線をまっすぐに受け止めてつきあった人々のなかに残るイメージが、さまざまに語られる。

 おそらくここには20人近い人々が登場して語っているはずだが、それぞれが描き出す「若き日の志ん朝」像を重ね合わせると、おそろしいくらいにブレがないことがわかる。ほとんどの場合、人に対しては思いやり深く、先輩を立て、後輩には面倒見のいいお兄さんでありつづける志ん朝。

 また一方では、早くから自分が落語界を背負っていくのだと自覚を強く持ち、そのように動いてもいた。お歴々が去ってすでに長い。しかし、並み居る噺家のなかで、東京落語をまとめていけるのは志ん朝だけ。これは衆目の一致するところであった。

 この本には、志ん朝と同期の逸材でありながらほとんど登場してこない噺家がいる。立川談志である。談志に関わるエピソードはひとつしか出てこない。それも、直接には志ん朝は絡んでいない。テレビのお笑い番組で、八波むと志に談志が思いきり殴られたという「事件」である。理由は「生意気だから」。

 ふたりの天才の対照的なありようが明らかになる。落語界の大勢は、志ん朝に期待を寄せていた。それだけに「プリンス」を失ったことの衝撃は大きい。死後6年が過ぎても、人々が、ついきのうまで志ん朝が生きていたかのように、生々しい思い出話をする本が、こうして出続けるところに、それは表われているであろう。

 当然のことだが、談志には噺家の世界を「まとめる」などという気はないわけだし、万が一にあったとしても、ついていく者は少ないにちがいない。

 噺家たちの志ん朝びいきは、この本のなかで、真打ちになってそれほど年月の経っていない若手の話のなかに色濃く表われている。彼ら自身は、世代的にも離れていて、それほど近々と志ん朝と付きあったわけではない。ところが、この先輩から受けたちょっとした注意、旅に同行させてもらったときの些事などをじつによくおぼえている。というよりも、けっして忘れられないかのようである。

 志ん朝の死後、それも今年になって真打ちに昇進した隅田川馬石は、初対面のときの志ん朝の印象を聞かれて、こう答えている。

 「匂いがよかったですね。香水とか、新しい着物のサッとした匂いってのがあるんですけど、もうたまらなくよかったですね」

 そこまで言うか、という感じである。これだけ言ってもだれにもいぶかしく思われない。それほどに別格の人物だったということかもしれない。

 落語界は、いまでは、志ん朝が若かった頃のどん底を脱けて、上昇気流に乗っている。それだけに、この天才を知る人々には、いまこのときにいてくれたら、という思いが、いっそう強いにちがいない。
2007.8.10.

書籍データ
本表紙
書評/『まわりまわって古今亭志ん朝』
著者=志ん朝の仲間たち
文藝春秋
1600円(税込み)
2007年6月初版


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