★書評/『僕、トーキョーの味方です』
 市街地図、発売広告、紙袋、自販機、看板、Tシャツ、「注意書き」、ラーメン、パチンコ、人の流れ、まだまだある。東京生活11年に及ぶアメリカ人哲学者は、多彩なツールを繰り出して、東京と切り結ぶ。

 そうではない、ひと切れのチャーシューのように、東京を噛みしめて飽きることがないのだと、著者自身は言う。そして「制約のない物思いにふけり、ありそうもない連想のなかをさまよう」と。

 その深い「物思い」や多彩な「連想」からつむぎだされるエッセーの数々を綴り合わせた結果が、本書である。

 外国人による東京論や東京エッセーは、これまでにも数多くある。東京という巨大都市に魅かれる異国の人々の手になる、さまざまな東京本が出ている。なかでピカッと光を放つ書き手に共通しているのは、優れた視力ではないか。

 東京の人間や景色、建物、路上、あらゆる対象をよく見る。見尽くす。見通す。あれこれ言う前に、見つづける。この著者もそのひとりである。ラッシュアワーの駅頭で、書店の立ち読み現場で、電車内のケータイvs文庫本の戦場に於いて、視線を集中し、遊ばせ、さらには、からみつかせる。

 この観察から導き出される結論に、東京に慣れているはずの日本人は、しばしば虚を突かれてしまい、立ちつくす。

 たとえば「欧米人の僕」は、東京の瓶のディスプレイの整然さと秩序に感動する。きれいに拭いた瓶が、ラベルを外に向け、「滑らかな反復のパターン」を描いて飲食店の棚に並ぶ。さらには、朝の資源回収車を待つ瓶の捨て方にも、一定の秩序がある。それをも見逃さない。

 この執拗な視線のおかげで、いつもは気にもとめないで付き合っている東京という街が、突如として光彩を放ちはじめる。なんとも不思議なのである。
2006.7.9.

書籍データ
表紙写真
『僕、トーキョーの味方です』
著者=マイケル・プロンコ
訳者=矢羽野薫訳
メディアファクトリー
1200円+税
2006年6月8日初版


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