| ★書評/『ぼくの血となり肉となった……』 |
この本は、ふたつの部分に分かれている。第一部は、著者が「知的ビルドアップ」をしていく、30歳前後に読んだ本の数々について、自身の書庫を案内する形で紹介している。書き手としての時期で言えば、ノンフィクションに金字塔を打ち立てた『田中角栄研究』以前ということになる。
後半部分の第二部は、21世紀に入ってから雑誌に連載されてきた「読書日記」を集成する形をとっている。
この書名は、本書の前半のタイトルでもあり、ここでは、文字通り血肉にしようとして必死に読書する若者としての著者の姿が浮き彫りにされている。
かつての日本社会に、ここまで集中して咀嚼するに足るだけの知的財産があったことに驚く。その気になれば、知の開拓に十分に応えてくれる書物も、そして人間も見つけ出すことができたことがわかる。豊かな知的空間としての日本をこころゆくまで旅している。そんな風景が浮かんでくる。
とりわけ、雑誌をはじめとするジャーナリズムに、しばらく前まで、活力がみなぎっていたことには目を見張る思いがする。新進の書き手としての著者が突出した存在であったことは当然として、これを受け止める編集者が各所に散開していたことがわかる。
書物が、これら書き手と編集者をつなぐ架け橋として機能しているのは、現在から見ると、羨ましいかぎりである。
ノンフィクションのテーマが埋込まれている現実を掘り進んでいくための探知器として、掘削機として、書物が大活躍する。その現場を物語るときの著者は、とりわけ楽しそうなのである。
第一部の最後に、いかにもぴったりのフランシスコ・ベーコンの言葉(1625年)が引用されている。曰く「味わいつつ食べるべき本もあれば、手っ取り早く呑み込んでしまえば十分という本もある。そして、少数ながら、くちゃくちゃよく噛んで、ちゃんと消化すべき本もある」
おそらくは、この言葉どおりに、本の栄養を吸収しつくしたであろう著者は、突然、30年後の21世紀の自分へ向かって飛翔する。そして、面白い、面白くない、と腑分けしながら、書物マーケットに登場してくる新本の数々に接していく。それが後半ということになる。
そこに見出すのは、持続する好奇心である。30年を隔てていながら、知の荒野を渉猟する意欲に衰えがない。自身は、「頭脳の衰え」を嘆いているけれど。
前半部分とちがっているのは、書物について、あるいは、書物が取り上げている現実に関して、次のような突き放した表現が散見されることである。「やりきれなくなる」「ウーンと思うほど新鮮な見解を与えてくれるものではない」「お人柄なのだろうが、それではつまらない」「読んでいてイライラさせられる」「読んでいると、だんだんイヤなってくる」といった、心沈む発言に出会い、胸をつかれる。
以前ほど書物が面白くなくなった、面白い書物に出会うことが少なくなったという実感が、これらの表現の底にあるのではないか、と想像する。
おそらくは、もっともたくさんの、もっとも広範囲の書物を読んできたであろう、知の巨人。その精神のありようを感じとるための、本書は優れたガイドになっている。
★2006.12.1.
■■書籍データ

『ぼくの血となり肉となった五〇〇冊そして血にも肉にもならなかった一〇〇冊』
著者=立花 隆
文芸春秋
1800円+税
2007年1月初版
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