★書評/『トールキンのガウン』

 この本は、『指輪物語』で一世を風靡したトールキンが大学の教壇に立つときに着用した黒いガウンがテーマ、ではない。もっとも、このガウンについても触れているのであり、実際、著者ゲコスキーは長いこと、その所有者でもあった。

 ただし、著者としては、ナボコフのアソシエーション・コピー(著者がだれか重要な人物に献じた本、サイン本のなかのサイン本)に関わったことがあるということのほうが、ずっと重大事であろう。

 その本とは、なんと『ロリータ』である。しかも、ナボコフ自身からグレアム・グリーンへの献本となれば、英米文学に関心を持つ人なら、戦慄をおぼえるにちがいない。

 著者はアメリカ人だが、イギリス生活が長いらしい。大学の教員生活に嫌気がさして稀覯本のディーラーに転じた。イギリスでは、同様の商売替えが珍しくないと、あとがきで、訳者が教えてくれている。すると、あの国には、なかなか手ごわい古書業者が揃っているのにちがいない。

 本書の前半部分、著者自身が売買や、それをめぐる訴訟問題などに関わった稀覯本のケースは、さすがに生き生きとして、引き込まれる。本というモンスターに、人間がきりきり舞いさせられながら奮闘するドラマには、文字通り手に汗を握る。

 なかでも白眉は、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』をめぐる騒動であろう。サリンジャーの人嫌いはあまりにも有名だが、やっかいなことに、自分こそ20世紀アメリカ作家の代表と信じて疑わない。彼から見ればヘミングウェイもごみ同然の扱いを受ける。

 このサリンジャーの伝記執筆を、イギリス作家が思い立ち、それがサリンジャー側の司法努力でつぶされる。この顛末は、当の作家、イアン・ハミルトンが書いたものが日本でも文庫になっている。

 ところが、転んでもただではどうしても起き上がりたくない連中のひとりらしく、ハミルトンは、本書の著者ゲコスキーに、伝記に関わる資料ファイルをさっそく売り渡す。ゲコスキーは、アメリカの大学に、さらに転売したのである。

 当然、サリンジャー側がただちに反応して、そのファイルを返せと要求する。ゲコスキーにはかわいそうだが、法的に正しい要求なのである。返す他に手がありそうにはない。しかしここで、あっさりあきらめるかというと、そうはならないのである。

 サリンジャーの代理人(「うるさいガミガミおんな」)に対して、こんどはゲコスキーが要求する番である。なにを求めたか。おねだりであり、相手に言わせれば「恐喝」であった。具体的にはは本書を読んでもらうとして、最後の最後まで粘り抜く姿勢には、感服する以外にない。

 ところで、トールキンのガウンだが、トールキン自身から処分を頼まれた大学職員を通して、買ったものという。それからでも10年も経っている年代ものだが、古書店の目録にすべり込ませた。「やや擦り切れて、少々汚れあり。背はしっかりしている」と、古本みたいな説明付きで。結果は、早速売れて大喜びしたらしい。

 大立ち回りあり、小味のきいた挿話ありで、古書ビジネスは楽しからずや、というところである。
2008.7.22.

書籍データ
表紙
『トールキンのガウン』
著者=リック・ゲコスキー
訳者=高宮利行
早川書房
2000円(+税)
2008年4月初版


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