| LIBRARY | 2004.9.28. |
| ☆散歩がさらに楽しくなる読書ガイド |
*1
国語辞典には、散歩とは「行く先などとくに決めずに軽い気持ちで、探訪したり気分転換や健康増進に歩くこと」などと書いてある。冗談じゃないよと思う。これでは、散歩と言えば「軽い気持ち」からということになってしまう。とんでもない。
人はなぜ散歩をするのか、という大命題を、軽く見ているフシがある。
十八世紀フランスの社会思想家ジャン・ジャック・ルソーは、最晩年、パリ郊外を散歩中に、巨大なデンマーク犬に飛びかかられて、意識を失ったことがある。それでも歩くのをやめなかった。なぜか。歩行が心を刺激するからである。歩くにつれて、さまざまな事々が頭に浮かび、そこから思念が展開する。だから、ルソーは歩きつづけた。
最後の著作『孤独な散歩者の夢想』(岩波文庫など)では、美しい自然描写の一方に、嘘や悪行や諍(いさか)いの記憶も紡ぎ出されている。人は、歩くことでより人間的になるのだという思いにさせられる。
散歩哲学ということでは、日本にも永井荷風という巨人がいる。荷風は特異な作家で、小説作品は多いけれど、四十年あまり書きつづけた、膨大な日記『断腸亭日乗』(全文は全集所収。抜粋の『摘録』は岩波文庫)こそが代表作と、だれもが認めるであろう。死の前日の記述「祭日。陰。」が絶筆となった。
この日記で、二、三ページにおよぶ長い項目は、散歩の記録であることが多い。病院で医師の診察を受け、その足で、電車とバスを乗り継いで歩きまわったりもしている。
こうもり傘を手にほっつき歩く荷風の大柄な後ろ姿が、日記のページからページを移動しているかのように錯覚する。
なぜ歩くのか。これについては、若いころに書かれた街歩き随筆「日和下駄」(講談社文芸文庫)のなかで述べている。急激に変わってしまう、生まれ育った東京の過去を追憶し、そこに「無常悲哀の寂しい詩趣」を見出したいからだと。
西洋のルソーの、自己にこだわる深遠な散歩に、東洋の荷風も負けてはいない。歩きに歩いて、失われていく街をつなぎとめ、その幻のなかにすっぽり浸ろうとするのである。
散歩も人生を賭ける作業になりうる。だから「軽い気持ち」で片づけられては困る。
さらに、近現代という時代からは、街を歩きつつ観察することで成り立つ学問も、新たに生まれている。出生地は、昭和の初めの日本。路上の人やモノの考現学がそれで、昔を読み解く考古学の逆を行く。
創始者は、民俗学の柳田國男の弟子だった今和次郎で、『考現学入門』(ちくま文庫)に、そのエッセンスが収録されている。街頭を行く女性の髪形を分類し、雨が降れば雨具の種類を記録し、歩道上で動いている人と静止している人の比率を調べたりもする。
「いま」を追いかけるために歩く。考現学は、路上観察など、近年の街歩きブームの発端にもなった。
散歩するワケをそれぞれに自問することによって、人生がさらに豊かになっていく。
*2
散歩と言っても、自然のなかを散策するのと、街を歩くのとではちがう。
例えば自分の家に近い親水公園などでも、商店街や大通りを歩いているのとはちがう気分で徘徊する。樹木や、掘割の水音、それにどこからやってくるのか水鳥がいたりして、五感がのびやかに解き放たれる気がする。
明治の作家、国木田独歩に『武蔵野』(新潮文庫など)という短編集がある。表題作で作家は、独りであるいは友人を誘い、武蔵野つまり東京の西郊を歩きまわっている。
野や林を進みながら、風光を愛でると同様に、ときにはそれ以上に「鳥の羽音、囀る声。風のそよぐ、鳴る、うそぶく、叫ぶ声。…」と、音を追って耳を澄ます。林の奥に「黙坐」して傾聴することもする。
自然のなかの散歩では、川がさらさらと流れるのを聞くだけでも、歩く意欲がかき立てられる。音を聞き分け、想像をめぐらす。ヘンリー・D・ソローの『森の生活-ウォールデン-』(講談社学術文庫など)でも、「音」に一章が割かれている。
アメリカの著述家ソローは、十九世紀の半ば近く、故郷の町に隣り合った森で、池の畔に小屋を建て、そこに二年あまりを暮らした。文明と自然を股にかけて歩きまわる哲人が、その体験を書き綴ったのが本書である。
鉄道の汽笛や教会の鐘の音など、外界の生活音が、おかまいなく森のなかにまで運ばれてくる。一方、若い雄鳥の鳴き声がしないのが、ソローには物足りない。自然のなかを行くとき人は、良くも悪くも音に、あるいは音がしないことに対して敏感になる。
それでは街ではどうか。歩きながら自然のなか並みに五感を働かせていたら、たまったものではない。刺激が多すぎて、感覚器は疲れ果て、使いものにならなくなるであろう。とりわけ街の音は、騒音、雑音だらけで、聞き分けるなど無駄な努力でしかない。
街歩きで頼りになるのは「見る」ことである。人間、建物、交通機関、道路、店舗、看板などなど、街は見られるためにあるかのようである。そこで、目を凝らしてこれらを観察するのが、歩く楽しみになる。
昭和のはじめ、ハタチになって間もない桑原甲子雄は、毎日毎日、東京上野から浅草の繁華街を歩きまわった。時折り立ち止まっては、首に下げたライカのシャッターを押す。ドイツのカメラ、ライカは当時、家一軒が買えたほどの高額品であった。質店をやっていた父が跡継ぎの彼に買い与えたのである。
父の意に反して、後に写真家になった桑原の路上ショットを集大成した写真集『東京昭和十一年』(晶文社)には、街を歩く興奮が詰め込まれている。「見つけた」喜びに溢れている。写真界の大御所が街を撮った『木村伊兵衛の昭和』(筑摩書房)などにも同時代を生きた者の視線が感じられる。
街の散歩者の目はレンズを思わせ、まばたきはシャッターに近い。ゆったりと感覚を遊ばせながら自然の懐に抱かれる散歩とは、自ずと別のものである。
*3
いかに歩くか。どう歩くと散歩は楽しく、気持ちいいか。その答えは、旅するように歩くことである。好奇心を全開にして、まるではじめての土地を行くみたいに歩を進める。ときには、帰るべき時を忘れることさえあるかもしれない。
一方、散歩するように旅ができたら、これに勝ることも少ない。気軽に、気楽に、よく知った界隈を歩く気分でつねにいられるのが、第一級の旅人であろう。
希代の散歩者のひとりに、ジャズや映画、推理小説の評論で知られた植草甚一がいる。
天気のいい日には、街のなかをブラブラ歩くことを暮らしの基本にした植草は、洋書店を巡って本を、文房具店などではおもしろそうな小物を、買い求める。本を買いすぎてしまい、しばしばタクシーで帰宅していた。
こういう散歩生活をつづける彼が、六十歳を過ぎニューヨークへ出かける。ただし、その日常は変わらず、街を歩いて本を買って。もっとも、東京の街では二時間ぐらい散歩し買い物して戻ると、少し疲れているけれど、ニューヨークはちがう、という。三時間以上歩かないと同じぐらい疲れない。
「午後八時になっても外が明るいので、またどこかへ出かけてブラつかないとソンだという気持ちになってくる」と、『植草甚一の散歩誌』(晶文社)のなかで書いている。
東京からニューヨークへ道がずっとつながっているかのようで、これをたどると、だんだん歩き心地がよくなる。それだけのことだと言いたげである。フットワーク軽く、地面に足がつけば歩かないではいられないとき、散歩と旅は、難なく合体してしまう。
軽い足取りにはいかにも縁のなさそうな作家、埴谷雄高の『散歩者の夢想』(角川春樹事務所)に、ヨーロッパ紀行が収められている。一読してぼくは、自分の思い込みの誤りを知りショックを受けた。作家自身と作風は別だとは常識だが、それにしても、未完の大作『死霊』の作者が、いかにも軽快に歩きまわる。これにはいまも違和感が消えない。
「(プラハの空港から宿に着き)少憩後、ホテルのすぐ前にある終点から七番線と表示のある電車に乗って私達は市内に出かけることに……」。この身軽さ。埴谷はそのまま夕暮れの街を歩き、橋に佇み、「庶民的な」レストランで、相客たちとビールのジョッキを上げあう。同行者は、旅の間中、路上でだれかれなく話しかける彼に閉口させられたらしい。
よほど散歩慣れしているな、と思う。同様の感想は、作家・武田百合子のロシア旅行記『犬が星見た』(中公文庫)にも抱く。「朝食まで、一人で散歩に出る。一人がいい。好きな方角に足を向け、好きなところに、好きなだけいられる」と彼女が記すのは、夫(作家・武田泰淳)らとの旅の途次、ハバロフスクに於てである。
「百合子さん」は、酒屋を探して街を彷徨するうちアルコール中毒者に間違えられもする。闊達に動きまわり、全てを感じとろうとしている。自由な精神、それが旅と散歩を結ぶココロにちがいない。
★[2004.9.27.
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