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★パレスチナ「問題」がわかる本
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パレスチナ自治政府のアラファト議長が、イスラエル軍によって監禁された直後に、現場の議長府のすぐ隣に住んでいるアメリカ人女性からのメールが転送されてきた。それは、次ぎのように書き出されていた。
「午前 5 時、私は巨大な戦車が移動するような音に目を覚まされた。窓の外に数台が見えた。30 分後、イスラエル兵士たちが呼び鈴を鳴らしたが、私たちは応えなかった。すると、階段を上ってくる足音が聞こえた。玄関を破ったにちがいない。ドアを叩く音がしたので、夫が開けると、無数の銃口がこちらに向けられていた。‥‥」(参照)
50 人以上の重装備をした兵士たちに乱入され、家中を荒らされたという。テロリストなどと関係ないアメリカ人になんということをするのだと、彼女が抗議すると、「お前の国がアフガニスタンでしていることとトントンだ」と言い返されたそうである。
普通の人の家に兵士が勝手に入り込んでくる。そればかりではない。理由がわからないままに居住者が連行されたり、住まいを取り上げられて戻れなくなる。家そのものが破壊されて、消えてしまうこともある。
今回の「パレスチナ侵攻」では、そうした「ひどいこと」の数々が報道されたけれど、これはいまにはじまったわけではない。数十年前から、パレスチナでは繰り返されてきた。だから、パレスチナ「問題」を扱う書物は、どれもこれも、破壊、暴力、殺戮の記述に彩られている。イスラエル側がパレスチナ人に対する場合も、パレスチナ側がユダヤ人を標的にする場合もある。
イスラエルが建国した 1948 年前後以来、半世紀以上にわたる歴史からは、変化のない堂々巡りがつづけているみたいな印象を受ける。どこをとっても血なまぐさい事件に逢着しないわけにはいかない。ここに、非当事者にとってのパレスチナ「問題」のわかりにくさがある。いつもいつも同じか、と。
わかりにくさのワケはもうひとつある。ユダヤ人とはだれか、パレスチナ人とは何者かがはっきりしない、あるいは説明されてもなかなかのみこめない。ユダヤ人の場合はとくに、イスラエル内部でも定義論争が決着していない。
そこで、理解の糸口をつかむのに、まずなにを読むか。
ユダヤ人とは何か? パレスチナ人とは何か? から説きおこして、2,000 年の歴史を描き出しているのが、『リウスのパレスチナ問題入門』である。メキシコの漫画家エドワルド・デル・リウスの労作で、こんぐらかった毛糸玉をほぐすように、全てをわかりやすくしてくれるコミックの威力に敬服する。
「血まよえる」ユダヤ人を弾劾するリウスの持ち出す比喩は、強烈である。「イスラエルは性悪なガキで、隣りの家のガラスは割るし、老人はなぐるし…鳥は殺すわ、ゴミ箱はこわすわ、手がつけられないが、だれも手を出せない。なぜって、そのおやじは、世界警察の署長さまだから…」
もちろん、「世界警察の署長さま」と名指されているのはアメリカである。アメリカがイスラエルの後ろについているかぎり、この「問題」にはだれも手を出せない、と。
アメリカをキーにして、国際政治のいわば鬼っ子的な存在のイスラエル・パレスチナを、軽快な筆致で解明しているのが、『アラブとイスラエル』である。「パレスチナ問題の構図」(副題)を、戦後世界政治のグランド・イメージのなかに巧みに位置づけている。
なお、この本が扱うのは 90 年代初頭までの状況で、同じ著者が昨年の 9.11 に至る最近の情勢を分析した作品に、『アメリカとパレスチナ問題』がある。
写真家の広河隆一氏は、60 年代にイスラエルのキブツで暮らして以来ずっと、中東に関わってきた。その体験から書いた『パレスチナ』は、十数年前に刊行されたものだが、いまなお鮮度を失わない。
渦中の人たちの本音が随所に表れているからである。その好例は、もともと奪い取ったパレスチナだから、話し合いでは不利なのは承知のうえで、パレスチナ人を強硬手段で抑え込むしかないという、イスラエル右派の発言であろう。確信犯ほど手強い相手はいない。
妙な言い方になるが、パレスチナは現地レポートに適した土地である。目を剥くような事件や恐怖に総毛立つ事象には事欠かない。以前もいまも、それは、日常の些事ででもあるかのように不断にひきおこされている。
実際、かなりの現地ものがあるが、群を抜いているのは、スペインの作家フアン・ゴイティソーロによる『パレスチナ日記』である。作家は、80
年代と 90 年代の二度、ヨルダン川西岸とガザの被占領地を訪れた。その際に、現地で書き留めたメモをまとめて、ルポルタージュにしている。
この作家の見聞あるいは体験から導きだされる感想には、人間とはなにかについての鋭い指摘が含まれている。たとえば、「パレスチナの被占領地を歩き回ることは、記号の世界に入り込むことに等しい」と述べるくだりがある。
イスラエルとパレスチナのボーダーを越えるたびに、ナンバープレートの色によって、石を投げつけられたり無事だったりする。また、アラビア語の大きな看板を、パレスチナの村々を走行するときはよく見える部分に掲げ、検問所ではあわててはずす。あるいは、アラビア語の訛りを、相手次第で隠したり際立たせたり。
「この『記号論』を学んでいくと、最後には訳がわからなくなる。境界線上に生きる者の身分は何をもって決まるのか。人間か、それとも記号か」と問いかけている。
人間性を失って記号だけになってしまう人間。しかも、生きていくには、いくつもの記号を所持していなければならない。思えば、それは別にパレスチナ「問題」にかぎったことではない。そのことに気づくとき、パレスチナは、別世界というほどには遠く感じられなくなるのである。
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(『プレジデント』誌
2002 年 6 月 3 日号掲載原稿に加筆)
<ここで取り上げた書籍>
エドワルド・デル・リウス著『リウスのパレスチナ問題入門』山崎カヲル訳 第三書館 本体価格1000円
高橋和夫著『アラブとイスラエル』講談社現代新書 本体価格660円
高橋和夫著『アメリカとパレスチナ問題』角川ONEテーマ21 本体価格571円
広河隆一著『パレスチナ』岩波新書 本体価格740円
フアン・ゴイティソーロ著『パレスチナ日記』山道佳子訳 みすず書房 本体価格2300円
(2002.6.4)
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