★アウト・オブ・マインド(翻訳・小説)

著者/J.ベルンレフ
訳者/枝川 公一
タイトル/アウト・オブ・マインド
発行/ディーエイチシー
初版/1996.8.30
定価/1600 円
ページ数/254
ISBN4-88724-086-4

 オランダの現代文学者、J.ベルンレフが、アルツハイマー病に侵された老人の心象風景を一人称で描いた作品。心が壊れていくとはなにか、この世にありながらもはや生きているとは言えない境涯とはいかなるものか。これらの問いに果敢に答えようとしている。しかし、それは落ちていくことなのか。昇っていくことであるかもしれない。

《抜  粋》

 この小説は、つぎのように書き出されている。

 朝なのに、とても疲れた気がするのは、雪のせいだろう。ヴェラは元気だ、雪が好きなのだ。彼女にとって雪景色ほどいいものはない。自然から人間が跡形もなく消え、すべてが無垢の白い平地になる。なんて美しいんでしょう! 彼女がそう言うときは、ほとんどうっとりしている。でもこの状態が長く続くことは、ここではけっしてない。二、三時間もすればもう、足跡とタイヤの跡に覆われ、大通りは除雪されてしまっている。
 彼女がキッチンで、コーヒーをいれているのが聞こえる。スクール・バス停留所の黄土色の棒杭だけが、いまも私たちの家の前にはフィールド・ロードが通っていることを告げている。いったい、きょうは子どもたちはどうしたのか、私にはわからない。私は窓際の同じ場所に毎朝立つ。まず気温をチェックしてから、子どもたちが、背にかばんを負い、色鮮やかな帽子やスカーフをつけて、早朝の木々の間から、いかにもアメリカ人らしい甲高い声を上げながら現れるまで待つことにしている。明るい色は、私を陽気にしてくれる。燃えるような赤と、コバルト・ブルー。卵の黄身のような黄色の、背中に孔雀の刺繍のあるアノラックを着た男の子が、脚を少し引きずりながら、いつもいちばん後からスクール・バスに乗る。その子は灯台守のトムの息子リチャードで、片方の脚が生まれつき短い。スカイ・ブルーをした、扇形をした孔雀の尾に、暗いまなざしの目がいくつも散らばっている。きょうはいったい、あの目がどこにいるのか。

 家の梁が、古いカッター船のようにきしる。外では、風が、ふだんなら裸のまま頭を垂れている松の木々を抜けて渦を巻く。そして、イースタン・ポイントの岩山の端にある灯台の傍らで、霧笛が、だるそうに低く鳴る。決まった時間に。だから、霧笛で時計を合わせることができる。
 零下三度と、外の寒暖計が告げている。パパのハイデンジーク寒暖計は、モスグリーンの木のケースにはめこんだガラスの棒で、窓の桟にネジで止めてある。左側が摂氏、右側が華氏。パパと、彼のハイデンジーク。彼は天気予報を信じなかったけれど、記録された事実のほうは信じた。生涯を通じてと言ってもいいくらいずっと裁判所の書記をしていたのも、理由のないことではけっしてなかった。朝と夕方の気温を、黒い大理石模様の帳簿に書きつける。それが、毎日、彼が一日の最初と最後にしたこと。ある種の儀式。週末になると、そのノートを取り出し、机に向かって座り、記録した気温を基にグラフをつくった。固いフェイバー鉛筆でサーモン・カラーのグラフ用紙に描いたグラフを、彼は書類挟みに入れて保管した。なぜそんなことをしつづけたのか。死の少し前、ドムブルクの砂丘の内側に近い小さな家で、私にそのことについて話したことが、たった一度だけある。自分の時間は短かすぎ、システムは大きすぎ、あまりにも遅々としていて、ひとりの人間が独力で取り組むには複雑過ぎると、彼は言った。ぼくは事実だけを記録する、と。でも、それらの事実の背後には、なにかシステムがあるのではないかと思っているのですね、と私は言った。うん、そうとも言えるね、と彼は言った。事実が全て錯誤だったということにならなければ、と付け加えながら、彼特有の、皮肉っぽい薄い笑みを浮かべた。でも、それはもうシステムではないのでは、と私。ぼくたちがなんら認識しえないシステムとも言えるね、と彼。
 ボストンの北の海辺のグロースターでこうしてたたずみながら、突然彼のことが、私のパパとハイデンジークの寒暖計のことが浮かんでくるというのも、なんと奇妙なことだろう。オランダにある彼の墓さえ、いまごろはもう取り払われてしまったにちがいないというのに。
 そう、パパはシステム好きだった。父親ととしての彼は、相手の頭の向こうを見つめる、その潤んだ青い目を、食卓を囲む私たちが他にはだれひとり見ることのできないなにかに釘付けにしていた。実際、私たち、母と私は彼のことがをほんの少しだが怖かった。彼は私たちを見下していたと言えば、まさにそのとおりである。しかし、別の面を見せることももあった。気分のいいときは、夜、私をバルコニーに連れ出して、いくつもの星座や明るい光を放つ惑星の群れを指差すのだった。二、三度、私たちは流れ星を見たことがある。我々がいま夜の空に見上げているものは、遠い過去であり、宇宙の現実の状態は見ることができず、想像するのが精一杯だということを、八歳の子どもに説明しようと努めた。あの星たちのなかには、あそこに見えてはいるけれど、実際にはもう存在しないものがたくさんあり、それらが、いまも存在している星に混じっている。私には理解できなかったが、質問はしなかった。ただし、こういうことを彼が言うのは、機嫌のいいときにかぎられていた。ふつうは、夕食が終わると直ぐに自分の机に向かって仕事をはじめるのだった。彼は七十四歳まで生きた。あと三年すると私は、年齢に関してだけ言えば、パパに追いつくことになる。一九五〇年にママが死ぬと、彼は、気温だけではなくて、気候の他の要素も記録しはじめた。降雪。暴風雨。春の最初の兆し。秋には、家の屋根の上を飛ぶムクドリの群れについて、彼は、みごとな筆記書体で「数知れず」と記したが、その書き文字が、事務的な記述にとても合っていた。六年後に、彼も死んだ。突然、心臓が停止したのである。私は、彼の小さな家の窓枠から寒暖計を外して、この土地に一緒に持ってきた。なぜそうしたのか、ほんとうはわからない。ごく普通の寒暖計である。‥‥


  

 作者は、あとがきで次ぎのように述べている。

 小さい頃からもう、私は、年をとるとはどんな感じがするものだろうかと思っていた。どんな子も大きくなりたいと願うのがふつうだが、私の場合は、それ以上であった。すべては、たびたび、とくに休暇のときに会っていた祖父母への愛から発していた。祖父は、彼が「宇宙の驚異」と呼ぶところのものを、私に教え、祖母は、到底あり得ないような場所にお菓子を隠しておく、小柄な女である。彼らの屋根裏部屋は、驚嘆すべき場所であった。ふたりがそこに保存しておく古雑誌の写真に、私は何時間でも見入ったものである。 一九六〇年以来の作品を集めた、私の処女出版『Stenen spoelen』(洗濯石)のなかですでに、私は、スウェーデンで出会った、年老いた農夫のことを書いた。小説家としての私の興味は、しだいに、レイモンド・カーバー流のリアルな書き方を離れて、人間の脳の働きに魅せられるようになっていった。神経学に関するものは手当たり次第になんでも読んだ。
 人間の脳は、我々の思考と行動のすべての源である。科学としての神経学によって明るみに出ている秘密もあるとはいえ、脳の働きに関する疑問の多くは解決されないままになっている。そこで、作家にとっては、理想的な探検の場なのである。この点を詳しく述べると、私は、神経学の症例について小説を書こうとしているのではない(もっともオリバー・サックスの本には憧れを抱いているが)。それよりもむしろ、神経学における事実が、私のイマジネーションに火をつけたのであり、こうして、『アウト・オブ・マインド』(Hersenschimmen)を書くことに興味を持った。この小説は一九八四年にオランダで出版されて、四十万部以上を売り、十カ国語に翻訳された。
 本書で私が扱ったのはアルツハイマー症である。時間と空間の世界への手掛かりを次第に失っていく男を外側から描くのではなく、私は、この病いに犯されるとはどんな感じがするか想像することを試みた。主人公の脳の内側を作品にしようと努めた。
 私は国際ペンの一員として、イギリスの劇作家ハロルド・ピンターに会ったが、彼は、英語版の原稿を読んで、次のように書いている。「マールテンの心がすこしずつ漏れ出ていき、ついに消失する。この恐ろしい心の旅に関するベルンレフの描写は、このうえなく痛切であり、まさにひるむところがない」
 一九八八年、『アウト・オブ・マインド』は、イギリスで、MINDブック・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。その後、映画化および舞台化されている。

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