★書評/『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』

 1961年、手作りの珍しいダビデの星を買い求める。1981年、海で泳いでいるときにそれをなくしてしまう。1991年、骨董店で、ひとつの装身具に目を留めた息子に呼ばれる。「ねえ、これ見てみなよ」。それは、海に呑まれた、あのダビデの星であった。

 ──ここに収録されている179編に及ぶストーリーのなかでも、この「星と鎖」はもっとも短いかもしれない。このショート・ショートは、本書のキーワードが「偶然」だということを雄弁に物語っている。

 編者のポール・オースターは、「偶然の力がつねに我々を形作る」と言い切る作家である。日本でも人気が高く、その作品では狂気さえも偶然によって抑え込まれてしまう。

 オースターが、アメリカの公共ラジオNPRの番組で、「作り話のように聞こえる実話」を書いて送ってほしいと、聴取者に呼びかけた。アメリカじゅうから届くストーリーのなかから自ら選び、ラジオを通じて朗読する。さらにアンソロジーとして、こうして単行本化されたわけである。

 したがって全編にオースター色行き渡っているのは当然であろう。おかげで、手垢にまみれたフォークロアや、奇をてらう都市伝説とは異なる「リアル・ストーリー」が拾い上げられている。アメリカ人の日常を背後にまわって照射することから生まれる興奮が、得難い。

 それぞれ、家族、愛、戦争、死など、テーマによって10章に分けられる。なかで、とりわけ輝いているのは「見知らぬ隣人」の章である。そこには、人間関係の「偶然」が、どんづまりまで突きつめられた佳品をいくつも見出せる。

 「ビルとの会話」の一編を挙げよう。「私」は、ある湾岸の田舎町で研究に励む海洋学者である。町に一軒きりのバーにときどき寄っては呑む。土地っ子が大半の、他の客たちに溶け込むことはしないけれど、彼らの話を聞くのは好きである。

 クリスマスイヴの当日。明日は休暇で郷里に戻ることになっている。例の酒場に行くと、顔見知りではあるけれど、いままで口をきいたことのないビルが、なぜか手招きする。隣に座ると、いきなり身の上話をしはじめるのである。しかも、人生の襞の奥の奥をどんどん打ち明ける。それが30分もつづく。最後は、堅い握手をして別れた。

 ビルが出ていってまもなくである。バーテンダーたちに動揺が走った。彼が運転するトラックがスピードを出し過ぎて、林に突っ込み、ドライヴァーは即死だという。「私」が店の外に出ると、レッカー車に牽かれたトラックが通り過ぎるところで、「フロントガラスはでたらめに張ったクモの巣のようにひび割れ、街灯の光を受けてきらきら輝いていた」……。

 行きずり、一期一会、めぐりあい、人の出会いと別れは、あくまで不思議である。この「偶然」に遭遇するとき、我々は、得体の知れない深い闇に慄然とし、茫然と立ちつくす他にない。そこに露出するのは、心の衣装をはがれてしまった人間の、心細げな精神である。

 夫婦や親子、あるいは友人同士にはとりあえず、愛情や友情が介在するかもれしない。しかし、隣人ではあっても見知らぬ相手に向かっては、どんな思いを差し出せばいいのか。

 普通の人々がさまざまに物語る、これらのドラマからは、アイロニーに満ちた教訓をひとつを引き出せるかもしれない。「偶然こそ人生最大の教師だ」という教訓を。

〈短いのを一編〉

ヒグリーでの一日

 ある日、まだ若き公認会計士だった私は、アリゾナ州ヒグリー近くにあるクライアントの農場を訪ねた。私たちが話していると、網戸を引っかくような音が聞こえた。クライアントが言った。「こいつを見てください」。彼は網戸のところに行って、扉を開け、かなり大きなヤマネコを部屋のなかに入れた。生まれてすぐアルファルファ畑で拾われて以来、ずっと家族の一員なのだという。網戸が開くと、ヤマネコは浴室に駆け込み、便器に飛び上がって、用を足そうとしゃがみこんだ。終わると、床に飛び降りて、うしろ足で立ち上がり、体を伸ばして、水を流した。

カール・ブルックスビー アリゾナ州メーサ (本書229ページ)
[2005.7.25.]

書籍データ
『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』
編者=ポール・オースター
訳者=柴田元幸他
新潮社
2,600円+税
2005年6月30日初版