★今日も銀座へ行かなくちゃ

著者/枝川公一
タイトル今日も銀座へ行かなくちゃ
発行
講談社文庫
初版
1996.5.15.
定価/660 円(税込み)
ページ数/383ページ
ISBN4-06-263253-5

 1980年代の銀座へ、ちょっとタイムスリップしてみよう。まだ昭和だったころ、まだ21世紀が話題にもならなかったころの街を訪ねる。そこから少し足を伸ばせば、築地、月島、さらには秋葉原、ようやく姿を現した台場への道、レインボーブリッジもわずかに顔をのぞかせる。街に遊び、街で遊んだエッセーの数々。

《目  次》

プロローグ 変わる銀座、変わらない銀座、

第一章 ビギン・ザ・ギンザ-銀座とその周辺を歩く
 ニューヨーク・メンタル・マツプ/一日だけの東京日記/浅草生まれ、アメリカ式「ホットドッグ」/東京・小さな船旅/月島もんじゃストリート/東京・月島生まれレバーフライ/アンリアル・タウン秋葉原/寒空の下の色街・洲崎、玉の井/ぼくのほろ酔い銀座BAR案内/築地場内二四時間/レインボーブリッジの犯罪/GINZA二四時/銀座は何処へ行こうとしているか

第二章 ジョン・レノンを探して-ちょっと懐かしい銀座
 午前六時の浴場/ジョン・レノンを探して/男の横顔/夜明けの地下鉄線/アンパン大・中・小/外国人観光客事惰/「街路灯おもりの会」/消えた記念灯/服部の時計/朝日稲荷社由来旗ハタめく街/もうひとつの時計塔/橋畔にあった酒場/日曜の午前三時/電話ボックスの地価/屋台分布マップ/地方記者の目/白いばらドレス店/四丁目の住人/氷屋たちの戦争/エスポワールの燐寸/食堂・白菊/絵葉書好みの街/街の考響学/「マクドナルド」の功と罪/石油ショック拾遺/広東同郷会の午後/路地の易占家/新聞販売店の不安/「小さなホテル」史/今年のツバメ/屋上の庭園/ハシブトガラスのパーティ/2S型観光望遠鏡/寿司屋の物干し/郵便知ったかぶり/花屋ものがたり/マリオンから/泰明小学校給食室/京僑消防署銀座出張所/ホステスの薬/熱帯の花見酒/元・四丁目交番勤務/ハノイ総領事の妻/女性ソムリエ/ビヤホールの青春/行旅死亡人/歩道の読み方/見合い写真/顔のシャツの顔/「明子さん」のジャズ/昼食のぜいたく/易者と画廊/記念電話機/防犯ベル始末

第三章 都市に遊ぷ、都市を遊ぷ-東京・ニューヨーク・マドリード・大阪・上海

文庫版あとがき

[解説] 甦える「私の銀座」/黒田福美


  《抜  粋》

プロローグー──変わる銀座、変わらない銀座

 暮れも押しつまった、二三日の夕暮れどき、友人と原宿・ラフオーレの前で待ち合わせた。原宿で待ち合わせ。ぽくにとって、これは珍事である。だいたいが東京の東部の人間だから、意識が東に偏っている。だれかと会うといっても、なかなか渋谷・青山・原宿は出ていきたがらない。なんとか東のほうへひっぱってこようという気持ちが働いてしまう。
 それがなぜ原宿になったかというと、ひとつには、その友人の勤め先が南青山だということもあるが、主要な理由は、ぽくのきまぐれである。たまには西のほうで人に会うのもおもしろいんじゃないか。それに、時はクリスマス間近である。表参道のケヤキの街路樹が、四三万個の豆電球のイルミネーションに彩られて、夜の街が光輝くという。こんなときに、お上りさんの気分になるのも一興か、という気持ちであった。
 大手町から乗った地下鉄千代田線を明治神宮前で下車して、後方の階段から、表参道に吐き出された。そのとたんに、後悔の念が、「ビッグ・ウェンズデイ」の大波のように襲ってくる。やっぱり、こんなときにこんなところに来るべきではなかった。路上は人で充満している。雑踏とはこのことで、足をどう踏み出していいかわからないくらいに、あっちからもこっちからも人が押し寄せてくる。それにだいたいが若者だから、みんないやに背が高くて、身長一六〇センチのおじさんは、初参りに無理やり引っ張ってこられた子ども同然で、人間の壁に視界をすっかり遮られて、イルミネーションどころではない。
 ともかく、ラフォーレにたどりつかなくては。人をかきわけ、必死に道を訊き、友人とめぐりあう。さて、これからどうしよう。時間も時間だし、食事をしよう。しかし、この人込みじゃ、表参道へ戻ってもどうしようもないだろう。裏道づたいに歩いて、どこか適当な店があったら入ろうよ。
 というわけで、人の流れに逆行して、暗い脇道をたどることになる。光輝く夜の街を見物するはずだったのに、逃亡者リチャード・キンブルのように闇を渡っていかなくてはならないとは、納得がいかないけれど、あの混雑だけは、どんなことがあっても避けたかった。適当をレストランがあれば、そこに入って、まずは空腹をなだめ、それから考えるつもりになっていた。
 しかし、どの店もどの店も、入り口で言われることは決まっている。予約はおありですか? えっ、そんなものあるわけないじゃないか。たまたま待ち合わせて、じゃ食事でも、と言い合っただけのことなのだ。
 もちろん、店の人にそこまでは言えないから、すごすごと出てくることになる。やがて、青山通りに抜け、さらに骨董通りと呼ばれる、富士写真フイルム本社の方向へ行く通りに出ても、ぽくたちを収容してくれる店はなかった。
 後のことになるけれど、ある人に、このときの無残なレストラン探しの話をしたら、そんな日に予約もしないで、あのあたりで食事をしようというのは、無謀以外のなにものでもないとあきれられた。
 無鉄砲な原宿・青山物語は、これで終わりである。
 一時間あまりの彷徨に疲れ果てて、ぼくたちは表参道から、地下鉄銀座線に乗り、銀座へ向かった。困ったときの銀座頼みである。銀座へ行けば、なんとかしてくれるだろう。あの街だったら、こんなばかげたことをしている二人組でも面倒を見てくれるのではないか。そんな期待感が、歩き過ぎた足を銀座に向けさせたのである。
 銀座通りに通じる出口を上がる。地上の光景は、ついさっきまで見ていたものとあまりにもちがっている。地下づたいに青山通りからいっきに銀座通りにワープした感じだから、激変したという印象が、実際より大きいのだろうが、それにしても、ふたつの街はまったくちがう。その両方ともが東京であることには感動する。れほど異質の街を抱えて知らんふりをしているわけである。
 この日は土曜日であった。銀座の土曜の夜は、ぼくの好きな時間帯である。そこにはウィークデイの夕べのようなせわしなさはない。月曜から金曜だと、さあ飲んだり食べたりするぞみたいな気合いがみなぎっている。あるいは六本木とか新宿とちがって夜の遅い街ではないから、したいこと、買いたいもの、会いたい人を、早めにクリアしたいというような、火のついたお尻が丸見えになっている感じがする。
 日曜となると、これまたまるでちがっていて、ふだんは銀座にやってこない家族連れやカップルが目立つから、歩き方がそれぞれで、街のなかに人間が渦を巻いている。てんでんばらばらな欲望にふりまわされて、街がすっかり疲弊している気がする。
 その両方にはさまった土曜には、緩衝地帯の穏やかさがある。ウィークデイは過ぎたわけだし、翌日もとりあえず休日だから、歩いている人の心に余裕があるのだと思う。歩きぶりがゆるやかで、たちどまって、傍らの店をのぞきこむのにも急いたところがない。また、裏道の飲食店の集まる界隈は、土曜休業の店が多いため、人影もまばらで、一方通行の道を、後ろからクルマが来るのじゃないかと気をつかいながら歩くこともない。
 銀座が週に一日の休養をほしいままにしているみたいである。
 それは、暮れの銀座でも変わらない。狂騒の表参道が別の世界のことのように思えてくる。クリスマスの飾りつけはあたりに満ちているけれど、それらのすべてが街にはまりこんでいて、歩行を妨げる人の波もないし、暮れの気分は、むしろ自分の内側から外へにじみだして、自ら景色に色合いを与えているかのようである。
 混み具合ばかりでなく、周りの人々の年齢が高いせいもあるのだろうが、きょうもふだんのままであり、日常が失われていないと思わせる。銀座はこの日も、まちがいなく銀座であった。
 それでもさすがに、食事の店は、どこにもそれなりに列ができている。列に加わってまだ食べたいとは思わないと強がりを言いながら、やっぱり暮れにはちがいないことを納得する。結局ぼくたちは帝国ホテルのメインバーにたどりついて、カウンターでビールを飲みながら、サンドウィッチを食べた。ディナーが軽食になりさがったうえに・飲むことが主体になってしまった。ひっぱりまわされるハメになった友人には申し訳なかったけれど、これは、酒飲みのぽくにとっては、運命的な結末であるのかもしれない。
 この結末を迎えて、考えた。それは東京のダイナミズムについてである。
 東京は西へ向かって動いている。その動きを公に認めたのが、都庁の新宿移転だが、ユーミンの「中央フリーウェイ」は、彼女が八王子の出身だという事実を割引いてもなお西漸ムーヴメントのテーマ・ソングであることに変わりはなく、それはすでに七〇年代の東京に流れていた。とするならば、京浜急行の車中感覚を歌った山口百恵の「横須賀ストーリー」などは、東京と一線を画することで感覚の自立を主張する横浜・湘南からの応援歌だったかもしれない。
 「移動体」としての東京を、ぽくたちはどの程度自覚しているであろうか。東京は移動しつづけることによって、活力を蓄えている。ぼくが、暮れの原宿で遭遇したのは・ゆるやかな目立たない地殻変動が、あるとき地表にかけのぽる地震のようにして表面に躍り出た都市深層の真実であった。そんなものがあるとは思いもせずに、不用意に地下鉄の駅から地上への階段を上がったぽくは、その直撃を浴びたわけである。
 かつての銀座も、表通りはクリスマス・イヴともなると、身動きのとれないぐらいの混雑を呈し、トンガリ帽子をかぶり、手にケーキの箱を下げた酔っ払いたちが右往左往していたという。それが暮れの東京の風物詩だったらしいが、いまは、そのにぎわいが原宿へ移っている。
 人は繁華な街で、一年の終わりを体感することに執着するものである。ただし、ニューヨークだったら、昔も今も、大クリスマス・ツリーが屹立するロックフェラー・センター周辺の五番街に群れ集まる。ぼくは知らないけれど、パリ・シャンゼリゼの大晦日の夜もまたしかりだそうである。けれども、東京では、昔銀座、今原宿と変化している。
 落ち着きのない東京。そこでは、にぎわいの震源地が移動してやまない。なかでもっとも敏感な「活断層」として、いまはともかくも、原宿から青山に至る表参道や、原宿から渋谷に通じる明治通りがあるというわけである。
 それでもバブルの時代には、かつて「活断層」が縦横に走っていた銀座にも、若者が集まってきたという風評が立ったものであった。金銭の出所の怪しい方々が飲食ビルを買収するとか、某新興企業が銀座に巨大な本社ビルを立てて銀座復興を鼓吹するとかいうことがあった。ところが、シャボン玉が割れるようにして、あっけなくその時代が過ぎると、今度は空き地になったままの土地にカラオケ・カーが居座るようになり、ディスカウント・ショップが大挙して侵入する事態を迎えることになった。
 東京は、ある意味ではおそろしい都市である。激しい発作のような浮き沈みが駆け抜ける。街が、それに翻弄されて、幸せの絶頂を体験したかと思うと、たちまちに奈落に突き落とされる。この繰り返しに、銀座のようにもっとも安定感のある街もまた無縁ではいられない。
 安定していることが不安になり、なんとか変わらなくては忘れられてしまうのではないかという焦りから、人は、事あるごとに過敏に反応する。この軽はずみとおっちょこちょいが、しばしば生命とりになって、街が荒廃にまかされることもある。
 しかし、結局、銀座はそうはならなかった。少なくともいまのところはなっていない。ぼくは、いまも以前と変わりなく、銀座に出かける。バブルとその直後の動乱期を横目見ながら、いつかまた「ふつうの銀座」が戻ってくるだろうと確信していたが、いまは、その「ふつうの銀座」になった。六〇年代の東京オリンピック時の狂奔も、八○年代にやってきたバブルの狂乱も切り抜けた街である。
 この街を歩く気分は平静であり、飲食の場に坐って気持ちが波立つことはない。一九世紀にはじまった街が、二〇世紀を乗り切って、二一世紀に生き延びようとしているのを感じさせる。
 先日、平日の午後一時過ぎに、ある人とソニービルの一階ロビーで待ち合わせた。きょうは仕事である。夕方までの数時間をかけて、この人を取材するのが目的であった。長い時間がかかるだけではない。かなり突っ込んだことまで話をしてほしい。その望みがかなえられなければ、この取材は失敗だと考えなければならない。
 ぼくは、デリケートなやりとりがあるはずの場に銀座の街を選んだ。この街のなかを移りながら、しゃべる。ぼくも話す。相手にも話してもらいたい。この数時間、ぽくたちがお互いを信じあって話ができるとすれば、この方法しかないと思ったからである。
 小さなレストランで、一緒に軽い昼食をとった。この時間帯の銀座はなかなかにおもしろくて、静かにひとりで食事をしている女性が目立つ。それもキャリア風であったり、奥様風であったり、お年寄りであったり、年齢にもライフスタイルにもかなりの幅がある。
 食事を終えて、ずっと以前から気になっていながら、一度も入ったことのなかった喫茶店の前を通りかかったので、そこを最初の「会談」の場に選ぶことにした。ぼくたちは奥に、周囲に気がねなく話ができる一角を見つけて、腰を落ち着けた。薄い陽射レが窓から入ってくる。なにかいつも利用しているスペースのような親しみが湧く。コーヒーをひく音に、話をときどき中断されるが、それがかえって、アクセントになっているような気さえする。
 おたがいに話し疲れて、外に出る。午後の銀座をめぐりながら、外れのコリドー街に至って、さっきとはまるで雰囲気のちがう喫茶店があるのを思い出した。
 だいたいぽくは、どの街でも、どこになにがあるかをはっきりおぽえていない。実際に、その近くへ行き、その前を通ったりしながら、ああそうだ、ここにたしか、と蘇る。そういういい加減な記憶をしているものだから、突然に、エイリアンみたいな怪物だって出てきかねない気がする。一緒にいる人にとってはいい迷惑だろうが、自分としては、突発的記憶蘇生がうれしくて、それが街を歩くときの楽しみにもなっている。
 そのときも、数年前にここでコーヒーを飲んだことがあることに思い至り、そのコーヒーの味まで浮かんできた。この店に入って続きをしましょう。
 そこは、バブル期に急速にチェーン展開をした喫茶店で、暗く沈んだインテリアに囲まれて、いやに値段の高いコーヒーを口にする。ふだんならシャクにさわることはなはだしいのだが、こういう場合、つまり、入り組んだ話をじっくりとしなければならないよううときには、こんなにありがたいスペースもない。
 客はまばらで、始終、従業員がまわってくることもなく、心ゆくまで会話に没頭することができる。その日もそうであった。
 ふたつの店をめぐっている間に、夕暮れが近づいてくる。もう少し話をしていたい気がする。ふたつめの喫茶店を出たぽくたちは、コリドー街を折れて、JRのガードをくぐり、まっすぐに日比谷公園に入っていった。ここはもはや銀座ではないけれど、ぼくの感覚では「銀座の公園」である。噴水の周囲をめぐりながら、しばらく話をつづけることができた。話しにくいことを話してくれた相手に感謝し、すぐ近くの地下鉄千代田線の改札口まで送って別れた。
 この日のぽくは、銀座をインタビュー・ルームとして使い切ったと思う。
 銀座は大きな部屋のような気がする街である。さまざまの紆余曲折を切り抜けて、この街は、そのように思える場になってきたと言うほうが適切であろう。
 にぎわいへ突っ走るのではなく、ひたすら人を懐旧の情に駆り立てる後ろ向きの街でもない。だれでも受け入れ、その人が使いたいように使うことを許容する街である。それだけの奥行きを備えるようになっている。
 ここに希望があると思う。それは、銀座の希望であると同時に、東京の希望でもある。なおしばらく東京は、落ち着きなく転変する都市であることをやめないだろうが、銀座は、そのなかにあって、おそらくいまのところは唯一つ、東京が連綿として続いている都市であることも実感させる街である。
 都市の記憶も、都市の現在も、そして、まだ姿を現していない都市も、銀座という部屋のなかを探せば、どこかに、そのかけらがころがっている。
 だから、きょうもまた銀座へ出かけていくわけである。

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