★百貨店はやはり消滅の道をたどるのか
ロバの耳に賛美歌でも■
十数年も前のことだが、銀座の某百貨店のコート売り場へ行った。中年の女性販売員にすすめられたダーク・ブルーのピーコートを試着すると、とても着心地がいい。あらかじめ考えていた金額よりだいぶ高価だったけれど、気に入ったし、販売員の太鼓判の押し方が自信に満ちていたので、買うことにした。
それからしばらくして、ある大手スーパーの本社へ取材に出かけた際、応対した広報部員が、こちらの着用しているコートに目をやり、「それいいですね、アクアスキュウタムでしょ」と言った。
ほめられればうれしい。しかし、じつは、このブランド名を耳にするのは、このときが初めてであった。襟元を見ればたしかにそう書いてはある。しかし、知らないのだから、猫に小判・犬にマタタビ状態である。
先の百貨店の販売員は、ブランドについて一言も言わなかった。仕立ての良さ、色合いの素晴らしさ、シルエットのみごとさについて強調し、すすめた。こちらもそれらを聞いて納得し、購入を決めたのである。
ブランドに対してではなく、販売員のセールストークが決め手であった。有名ブランドなら、それを言い出してもよさそうなものなにに(言われたとしても、馬の耳に念仏、ロバの耳に賛美歌だけど)、彼女は自身の言葉で語った。
この経緯から、その百貨店に信頼感を抱いた。次ぎにコートを買い求めたのも、同じ売り場だったはずである。寂しいことに、このような販売員に遭遇することは、このごろほとんどなくなった。
鳴り続く警告の鐘■
百貨店のトップ販売員が共著者に名を連ねる『ノードストローム・ウェイ』を読むと、販売員の力が百貨店にとっていかに大きいかが、執拗な実例を積み重ねて説かれている。
そこには、客が気に入ったパンツなのに、あいにくサイズが合わないため、販売員がすぐ向かいのライバル百貨店に駆け込んで買ってきたうえ、その客にセールの価格で売ったという「英雄的」行為まである。「眼の高い客に今後も引き続き来店してもらうための一つの投資」という考え方である。
「ノードストローム」は、アパレルを主体にする百貨店で、アメリカで約百の店舗展開をする、文字どおりのナンバー・ワンである。売り上げ低迷がつづく日本の百貨店のなかには、営業力の強化をはかろうとして、ここと提携をはじめたところもある。
2000年の暮れも近く、日本百貨店協会は、全国の百貨店の売り上げが、九月に、七カ月ぶりで前年実績を上回ったと、本来は喜ぶべき統計を発表しながら、「(低迷)基調に変わりはない」と相変わらず沈んでいた。百貨店不況は長く深い。
百貨店出身の作家、渡辺一雄氏が、『百貨店が無くなる日』を書いて、「風前の灯火」となっている、小売業の王者の運命に警鐘を鳴らしたのが、一九九三年のことである。ところが、同じ本が五年後の九八年に『百貨店がなくなる日』として文庫化され、いまも書店の棚に並ぶ。警告の鐘は鳴りつづけているわけである。
渡辺氏は、売り場に立っていた経験から、「買い物客の便宜を第一に考える」という原点に立ち戻ることの必要を訴え、そのために百貨店経営トップの自覚を促している。
もっとも、同氏が本書で高い評価をしたトップのひとりは、その後、石もて追われる身になっていることを思えば、日本の百貨店を蝕む病いの根は、信じられない深さに達しているのかもしれない。

100年前のアメリカの百貨店内部。場所は不明 |
一日の快楽をつくし■
日本の百貨店を、その原初からたどった好著に『百貨店の誕生』がある。著者の初田亨氏は、近代日本の建築史の研究者で、都市空間を圧する建造物としての百貨店が、明治大正昭和の都市文化に与えた影響を克明に追跡している。
三越、伊勢丹、阪急などの有名百貨店の歴史から、百貨店が中産階級の形成と密接に関わっていることが明らかにされる。日本の百貨店は、子ども連れの家族が、一日の快楽をつくし、遊覧する場として成り立った。
昔の子どもは親と百貨店へ行くことに無上の喜びを見出していた。ところが、いまはだれも喜ばない。「お子様ランチ」の栄光は遠く去り、百貨店は家族を失った。一方で、大人の個人を相手にした商いの仕方が確立していない。店内を漂流する客たちをつなぎとめるよすがを知らないままである。
なかで、地下一階食料品売り場が孤軍奮闘しているのはなぜか。そこには、食の名店を集め、全国、全世界からの逸品を揃えている。『デパートB1物語』の著者、吉田菊次郎氏によれば、日本にしかない地下名店街こそ、「デパート最後の砦」と呼ばれているそうである。
食の欲望は、いかなるバリアも越えて、普遍であり、性欲に似て、野放図である。だから、これにおもねり、ひたすらな充足を志向するのは、逆に、百貨店の無策を告白していることでしかない。客が食いつくのは、おいしいと知っているからで、売る努力の結果ではない。
デパートが消えた街■
いっとき、『百貨店が復活する日』という、いかにも大胆なタイトルの本が、書店に平積みされていた。著者の松岡真宏氏は若手の証券アナリストで、百貨店ものの書き手としては異質の感がしたので、手にとってみた。
このなかで、百貨店という業態が、これからの日本にとって最適である理由に、富裕な高齢者と、それに、リッチな独身三十代つまりパラサイト・シングルが、都心に居住する状況の到来を挙げていたのが、興味深い。
どちらの層も、家族の喪失、解体、あるいは寄生を意味しているからである。それは、日本の百貨店が歴史的に依拠してきた条件とは、全く異なるものである。それにしても、いまや破片となった家族を相手に、果たして百貨店は再生できるのであろうか。それだけの活力が、この業界にのこっているか。
もっともこの本は、「復活する」と楽観しているのではなくて、「復活してほしい」、しかし「復活はなまやさしいものではない」と釘を刺しているのである。
復活への提言をしつつ、アナリストの著者がしばしば口にする「資本の暴力」なるキーワードがある。日本の百貨店の低い利益率を狙って、海外の投資家が買収する危険性を指摘している。
そうなると、「銀座や日本橋という一等地にある百貨店さえも閉店してしまうかもしれない。それをホテルやオフィスにするならまだしも、ネオンがギラギラしているようなディスカウントストアに賃貸することだってあり得る」
すでに日本橋交差点に君臨した有名百貨店は姿を消してしまっている。
百貨店は結局、消滅へ向かうのか。★
<ここで取り上げた本>
『ノードストローム・ウェイ』R・スペクター&P・D・マッカーシー著 日本経済新聞社 本体1650円
『百貨店がなくなる日』渡辺一雄著 徳間文庫 本体495円
『百貨店の誕生』初田亨著 ちくま学芸文庫 本体1100円
『デパートB1物語』吉田菊次郎著 平凡社新書 本体660円
『百貨店が復活する日』松岡真宏著 日経BP社 本体1600円
(2001.7.12.)