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まえがき
ピーター・F・ドラッカーの著作にはじめて出会ったのは、1960年代の末である。『断絶の時代』が林雄二郎氏の訳で刊行され、大きな話題になった。つられてこれを読んだのが最初である。
原著名のThe Age of Discontinuity(非連続の時代)を敢えて「断絶」と言い換えた、日本側の関係者の判断に、当時雑誌の編集者をやめたばかりだったぼくは、感銘を受けた。だから、タイトルで売れたのかというのが、第一印象であった。
読んでみると、いちいち納得できる内容であった。しかし、納得できないことがあった。それはドラッカーという思想家の、日本に於ける受け入れられ方である。
日本でのドラッカーは、60年前後からずいぶん人気があったらしい。今回、この本を書くために集めた資料のなかに、66年の『週刊現代』のある号がある。それによると、ドラッカーは59年以来、ほとんど毎年のように来日している。当時はニューヨーク大の教授で、各地で開かれるセミナーはどれもこれも超満員の盛況だったという。
セミナーの出席者は経営者や管理職などの企業人で占められ、彼の著作は「経営のバイブル」としてもてはやされた。日本政府も、「わが国経営への貢献の功」を讃えて、勲三等瑞宝章を贈ったとも書かれている。松下幸之助がすでに勲二等を受けていたが、どちらの人物も勲一等が適当だと主張する経営評論家もいたらしい。
ドラッカーはまず経営学の「神さま」であった。日本のドラッカーは、まずなによりもナンバーワン経営学者であったた。そのころのぼくにもそういう先入観があったから、『断絶の時代』を読んだときは意外な感がしたものである。これは経営学の本じゃないなと思った。文明論じゃないか。しかし、世間はそうは扱わなかった。経営の未来を大胆に語るドラッカー、という評価であった。
その後も、日本でのドラッカーは、おおむね経営の範疇を出ていない。ドラッカー自身は、大変な日本びいきらしくらしく、墨絵を学び、アメリカの大学で教えたくらいに、日本文化に通じている。しかし、日本人は彼の真の姿に無知でありつづけているというのが、ほんとうのところではないか。ぼくは、これが長いこと納得できなかった。
たしかに、ドラッカーは、若いころから経営コンサルタントをしていて、ビジネス経営について主に書いてきた。それは彼が、企業こそ社会の中心的組織であるという認識を持っていたからである。しかし、次第にその立場を放棄した。
ドラッカーは変わっていった。経営(マネジメント)の考え方を、企業以外の組織にも適用しはじめ、やがて、21世紀は企業の時代ではないとはっきり言いだした。「知識」をキーワードにして、資本主義の後にやってくる社会の構図を描いてみせた。いまになって振り返れば、インターネットが登場した現在を、ドラッカーがデッサンしていたことがわかる。
ドラッカー自身は、自らを「社会生態学者」と称しているらしい。アメリカのメディアでの扱いを見ると、日本のようにかならずしも経営論のなかに彼を閉じ込めてはいない。教育を語り、老齢者の生き方を論じ、軍備と戦争の未来についても筆を執る。人類が向かう先を全方位でとらえようとしている。その意味で、社会の生態を観察する達人であることにまちがいない。
先の週刊誌のなかに、興味深いエピソードがある。ドラッカーがはじめて東海道新幹線に乗ったときに、こんな感想を述べたという。「すばらしい。しかしなぜ車内に温度計をつけて、スピード・メーターはつけないのだろうか。子どもも大人も乗り物に乗ったらスピードはうれしいものなのに‥‥」
ドラッカーが来日するたびに通訳を務めてきた日本人が、その好奇心の強さと「なんでも見たがる」姿勢に感心し、「のみ込み」の速さを絶賛している。ドラッカーは、社会がどうなっているか、これからどうなろうとしているのかを考察することが楽しくてならないのにちがいない。
彼の書いたものを、経営論のなかに押し込めておくのはもったいない。日本では、いったん固定観念ができあがると、それがなかなか払拭されないきらいがある。ドラッカーにはもっと広いステージに出てほしい。そこで思う存分踊ってもらいたい。この思いが、この本を書くきっかけになった。
もちろん、近年のドラッカーの著作に対して、「単純すぎる」「脅迫めいている」「繰り返しが多い」などの批判が出ているのは知っている。100歳を目前にした老大家の役割はすでに終わったと、決別の辞を述べる評者もいる。それはそれでいい。
言ってしまえば、こうした末節はどうということもない。重要なのは、ドラッカーの語りつづけていることの核心部分である。そこには、現代がもっともよく言い表され、我々ひとりひとりの生き方へのもっとも適切なアドヴァイスがある。
その核心を抽出しようと考えた。書名を「真髄」とした理由は、ここにある。ただし、全ては、ぼくがドラッカーを読みつづけてきて、これが「真髄」だと思ったことであり、他の人には他の「真髄」があるかもしれない。
ドラッカーはとても一筋縄ではいかない。それが「巨人」であるゆえんだが、敢えて一筋、縄をかけてみた。ここに並ぶ33項目が、それである。
日本の社会が、いまや泥沼状態であることをだれも疑わないであろう。我々はいかにすれば、ここから這いあがれるか。それがわからないでいる。溺れる者は藁をもつかむというけれど、ドラッカーは、少なくとも藁よりは耐久性がある。この点は保証する。そこで、ドラッカーの「真髄」をひとまずひっつかんで、どう生きるべきかを考えるきっかけにしたい。
「第2部 人、いかに生きるべきか」より
人は、仕事を好きになりたいと思い、満足できる仕事をしたがっている
1940年代の末に、ゼネラル・モータースの従業員19万人近くが、自分の仕事と、それについてどう感じているかについて書いた。当時は、労使の関係がきびしい時期で、我々は4パーセントのリターンしか期待していなかったが、実際には60パーセントの回答があった。批判的でない労働者はあまりいなかった。しかし、仕事が好きな理由を見出せないでいる人はさらに少なかった。これだけの人のほとんどが、だいたいにおいておもしろいとは思えない仕事に、なにがしかの意欲を燃やし、達成感や満足を得、あるいは真の動機付けを見出していた。──「アメと鞭を越えて−仕事倫理をめぐる狂騒」(『サイコロジー・トゥデイ』1973年11月号)
人類史の大部分は、仕事に対する誤解に貫かれていた。「もっとも古い職業は娼婦」という言い方が、そのことをもっとも雄弁に物語っている。娼婦とは、自分の身体を売り、その対価としてお金を得る仕事である。女性でも男性でも、進んで身体を売り物にする人は、まったくいないわけではないけれど、ほとんどの場合、いやいや、気の進まないままに、この仕事をしている。自分自身や家族の生活を成り立たせるため、あるいは、だれかに脅されて仕方なく、人は娼婦の仕事をつづけるのである。
ここに、これまでの仕事観が集約されている。どんな仕事でも、その前提には、義務や強制がともなっているという考え方である。かつて、農民の子は農民、職人の子は職人と決まっていた。親子代々田畑を耕し、おいしい米や野菜をつくるのと同様に、伝承された技術に磨きをかけて、優れた工芸品を生み出すのは、たしかにすばらしいことではある。その一面、農民の子も職人の子も、はなから他の仕事をするチャンスが奪われていたことを忘れてはならない。それは、社会的に恵まれた貴族や武士の子にもあてはまったことで、ほんとうは他の仕事をしたくても、それは許されなかった。
その結果、与えられた仕事を、遂には愛するようになるかもしれないが、だからと言って、子の義務として、その仕事を引き受けないわけにはいかなかった事実は消えないであろう。
人をがんじがらめにしている仕事、外側から人を縛っている仕事というイメージが、人と仕事の間には確立していた。これは、身分制度がはっきりしていた中世が終わって、「人間解放」が声高に語られるようになった近代にも、払拭されることはなかった。新たな装いのもとに、再登場してくるのである。
産業革命が大量に生み出した工場労働者は、本来が怠け者で、仕事を毛嫌いする連中だから、これをおさえつけて、仕事をさせなければならないという「思想」に、それは代表される。そこで、厳格な就業時間を定め、職長の監視の下に働かせる。労働環境は劣悪のまま、給与はつねに、生命を維持できる最低限に保たれた。さらに、このような「非人間的」仕事であるにも関わらず、解雇される危険がつきまとう。職場から放り出されれば、だれも助けてくれず、社会の底辺に呻吟しなければならない。その恐怖から、仕事にしがみつかないわけにはいかないという悪循環の上に、このシステムは成り立っていた。
仕事を呪いつつ、仕事に執着せざるをえない、出口のない状況に人々は閉じ込められていた。
マルクス主義が、工場労働者を魅きつけたのは、彼らに仕事を強制している主体を暴露し、攻撃対象を明確にしたためである。生産手段を私有する資本家が、労働者を縛りつける元凶として告発された。したがって、階級闘争とは、いやな仕事を押しつける階級と、いやな仕事に縛りつけられる階級との戦いであった。どちらにとっても、仕事が「いやなもの」であることに変わりはなかった。
仕事観についての長い間の誤解を解くためには、20世紀の後半も過ぎてから顕著になった、知識労働と知識労働者を待たねばならなかった。人は強制されて仕事するものではなくて、自分自身を表現し実現するための手がかりとして、仕事を必要としているのだということが、ようやく理解されるようになった。
いまでは、主に教育によって自分のなかに蓄えられた知識を活用し、さらにその上に積み重ねて、なにかをする。それが仕事である。頭のなかをだれも覗けないように、いったいなにをしようとしているのかは、その人自身にしかわからない。だから、どんな仕事をしようと、それに給与などの外的報酬でだけで報いるするやり方は、もはや通用しない。また、強制しようとしても、それを受けつけないにちがいない。先進国と言われる社会では、生活をしていくだけなら、脅しや強制などに屈する必要はないことぐらい、だれでも知っている。「なにをしてでも食うぐらいはできる」と考えているからである。
近年の日本に氾濫する「フリーター」たちの風景がなによりも、人間が仕事の呪縛から解き放たれたことの証になっている。彼らは定職を軽蔑し、仕事から仕事へと移りながら、日々の暮らしを成り立たせている。
もっとも、これは裏返せば、仕事をすることから満足を得られないでいる、宙ぶらりんなありかたをも示すものである。「フリーター」とは、知識を仕事に生かすことを知らないでいる知識労働者に他ならない。その意味では、「フリーター」もまた、知識が仕事の核になっているからこそ生まれた人種とも言える。
彼らを、ソフトウェア企業の開発技術者と比べてみよう。ソフト開発に従事する技術者たちは、文字どおり寝食を忘れて仕事に打ち込んでいる。だからと言って、だれかに命じられてそうしているわけではない。これから開発しようとしているソフトは、技術者の頭のなかには明確な像を結んでいるはずだが、だれにも見えない。わからないことをしている人間に命令したり強制したりはできないであろう。
ドラッカーは、コンピュータと言えば大型のメイン・フレームのことに決まっていた1960年代に、こう書いている。「知識労働者が知識に対してなんらかの敬意を払うとすれば、それは知識が、仕事を行う上での基礎とならなければならないと考えるからである。このための知識労働者にはいどむにたる職務をもつことが決定的に重要である。‥‥また、知識労働者は、彼らの課題が上役によるのではなく知識によって、つまり人間によるのではなく目的によって課せられるべきことを要求する」(『断絶の時代』)
「目的」のない「フリーター」とは異なり、明確な「目的」を持って仕事をする技術者には、決まった出勤時間も退勤時間もない。働く意欲に応じて働く。仕事が生活そのものとオーヴァラップして、仕事場に簡易ベッドを持ち込んで、オフィスを寝室兼用にしてしまうことも珍しくない。だから、ハイテクの聖地シリコン・ヴァレーのオフィス・ビルでは、どんな深夜でも、窓の明かりが完全に消えることはない。多くの者はすでにビルを後にしているかもしれないが、つねに、ある者は仕事に没頭し、ある者は眠りをむさぼっているからである。
人が、自分の「内的満足」のために働くとき、いかに奔放になれるかを、このような光景が如実に物語っている。
そこで、組織が個人になすべきことは、個人の力がもっとも発揮でき、しかも全体の目標達成にもっとも益するグループを編成することである。そのためには、それぞれのメンバーの知識を適切に組み合わせて、仕事のしやすい環境をつくることである。しかも、その組み合わせは、仕事の進み具合に応じて、柔軟に変えていく。
逆に、組織が個人に対してけっしてしてはならないことは、すでに明らかであろう。能力の発揮を阻害するような試みを極力慎むことである。運動会の障害物競走で、これから進んでいこうとしているコースに水たまりや跳び箱などがたちはだかるようにして、仕事に待ったをかけるのは、どんな些細なことでも、人を萎縮させ、やる気を失わせる。もはや強制が通用しないだけに、前へ向かう気持ちが失われることは、即致命的な結末につながりかねない。
現在、企業では、社員のE-メールのチェックがしばしば行われているが、これなどは、これからの仕事のありかたへの無理解を示す典型例である。メールをあまり頻繁に私用に使われると仕事の能率が落ちるし、サーヴァに負担をかけることを憂慮してのことだが、メールというメディアが、個人が仕事をするためにいかに役に立っているかに思い至らない行為と言わないわけにはいかない。
メールやインターネットは、人々が知識を共有し、直接に交換させるのに不可欠なメディアである。知識には公私の別はない。流通すればするほど威力を発揮する。たとえば、一方で待ち合わせの約束に社内LANを使うことがあるかもしれないけれど、思いついたアイディアをメーリング・リストのメンバーたちに送信し、そこからディスカッションが生まれて、やがてプロジェクトに結実することもある。
したがって、知識の生産性に口をはさむことは禁物である。口をはさまれたほうは、気力喪失に陥り、仕事への意欲を確実になくす。逆に知識の可能性を解放すれば、人は、仕事の満足を求めて、がんばるにちがいない。‥‥
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