★シリーズ『カリフォルニア・オデッセー』
食い詰め者の地■
カリフォルニアは、いわば「食い詰め者」たちの土地である。アメリカの他の土地で、にっちもさっちもいかなくなった連中がやってきて住み着いてしまう。アメリカだけではない。ヨーロッパからもアジアからも、それぞれの社会で爪弾きになったか自分からおんでたか、どっちにしろ相当の曲者たちが集まってくる。
19世紀の金鉱掘り、鉄道建設に駆り集められたアジア人、20世紀のビートニク、ヒッピー、あるいはゲイ、サーファー、カルト教祖、どれをとってもいずれ劣らぬ「食い詰め者」ではないか。
世紀末のインターネットを待つまでもない。彼らの世界はすでにしてヴァーチャルなのである。まだ食い詰めていないやつらの、まっとうな目には、荒唐無稽、嘘八百、摩訶不思議に映るのが、カリフォルニア・オルタナティヴ(もうひとつ別の)文化ということになる。
したがって、ここにハイテク・ヴェンチュアが開花して、シリコン・ヴァレーが生まれることになったのは、当然すぎるほど当然ということになるかもしれない。
百花繚乱■
このカリフォルニアを論じるには、ふたつの方法がある。ひとつは、アメリカ社会の重層性に着目し、つねに新しいものを創造して在来の価値に挑戦する、変革の起爆剤としてとらえようとする。他に先駆けて未来を開拓する希望の星を、ここに見出す。
一方、もうひとつのカリフォルニア論では、このような価値意識はきれいさっぱり捨てられている。代わりに、百花が繚乱と咲き誇る花園の美しさ、豊かさ、ときにおぞましさがひたすらに描かれる。こうして、この土地が放射する光に思いきり浴することでしか、けたはずれなエネルギーは実感できないとする立場である。
2000年はじめから刊行を開始した「カリフォルニア・オデッセイ」(グリーンアロー出版社 各本体価格2381円)の6巻シリーズは、徹底して後者の側に立っている。子のシリーズの構成は、『LAハードボイルド-世紀末年ロサンゼルス』、『ハリウッド幻影工場-スキャンダルと伝説のメッカ』、『めまいの街-サンフランシスコ60年代』、『癒しとカルトの大地-神秘のカリフォルニア』、『西海岸の波の音-アウトドアー・カルチャー』、『ハイウェイの誘惑-ロードサイド風景』となっている。
まず『LAハードボイルド』では、チャンドラーからエルロイまで、ノワールと呼ばれる大衆文学ジャンルを育てた都市ロサンジェルスの混沌が描かれる。また、映画の都をテーマにした『ハリウッド幻影工場』の主役は、銀幕の内と外に躍るセレブリティ(有名人)たちである。さらに、60年代のサンフランシスコやカルト信仰、クルマ文化、アウトドアなど、カリフォルニア・シーンのハイライトが爼上のぼる。
虚実の被膜■
注目すべきは、全6巻の著者である海野弘氏の「書き方」である。
虚実の被膜を曖昧にするという手法が威力を発揮している。たとえば、小説のストーリーを物語りながら、何気なく、現実の街や建物の描写や文化現象の解説を挿入してしまい、ふたたび、なんのことわりもないままフィクションのほうへ戻っていく。
読む側ははじめ戸惑い、やがて慣れ、遂には、これがカリフォルニアの「流儀」だと納得するのである。テーマと書き手のスタイルがこれほど合致するケースも少ない。
著者の博覧強記ぶりは、これまでにもよく知られているけれど、このシリーズは、最高の舞台になっているのではないか。これでもかこれでもかと繰り出される虚と実の数々に浮力を与えられたカリフォルニアを、ぼくたちは夢見心地に傍観する快楽をほしいままにできるのである。★
(『読書人』2000年5月26日号掲載原稿に加筆)
(2001.6.15.)