★書評『アメリカ新上流階級 ボボズ』
このごろのアメリカはおかしい、と考える人は多いはずである。とりわけ 9.11
の同時多発テロ以来、テロリズム撲滅を呼号し、ごりごり押しまくる外交政策を推し進めて、いまや戦争の瀬戸際にまで到達しているかに見える。
こうして世界支配を目指すと思われる政府を、議会もアメリカ人の大多数も支持しているらしいのも、ますます奇妙に映る。
この本は、現在のアメリカとアメリカ人の「謎」を解いてくれる。原著が刊行されたのは 2000 年である。ジョージ・W・ブッシュが大統領になることはまだ決まっていない頃で、世界貿易センタービルも健在であった。しかし、日本語訳が出たいま改めて読み返すと、大変化の先を見つめている著者の慧眼に一驚しないわけにいかない。
書名のボボズ(BOBOS)はブルジョワ(Bourgeois)とボヘミアン(Bohemians)のそれぞれから頭の二文字(Bo)をとった合成語である。金儲けに成功する一方で、創造的で、しかも自由闊達なボヘミアン的生き方をする新成功者たち、ボボによってアメリカ社会はリードされつつあるという。
ボボとはどんな人種か。
たとえば、夫がウォール街の金融コンサルタント、妻は神経外科医。ふたりが知り合ったのは、学生時代に遺跡の発掘調査に参加したときで、カリフォルニア上空を熱気球で飛びながらプロポーズをした。何不自由のない現在、熱帯雨林保護基金へ寄付を欠かさない。休暇でニュージーランドを自転車で回ってきたばかり。で、列車で旅行なんて、と軽蔑しているわけ……。
という具合に、お金と自由に恵まれた「新上流階級」の生態を活写する、コミカルな素描が充満しているのも楽しい。
アメリカには、十年に一度ぐらいの割合で、社会風俗の新たな地平を俯瞰し、展望する著作が登場する。いまなにが新しいか、そのトレンドが未来をどう規定するかが論じられる。
日本では、最近の日本語ブームが典型だが、出口を求めようとするときまって過去へ反転する。過ぎ去った日々に答えを求める。この点が日米の大きな違いのひとつである。
この本の真価もまた、ボボの今後を描き出した、最終章の「政治と彼岸」に発揮される。
個人の暮らしに満足し、地域社会の生活の心地よさを楽しんでいるボボ。彼らを讃えつつも、ワシントン在住のジャーナリストである著者は、次ぎのように警告する。
「アメリカは、結局、個人的な、地域社会の生活の持つ心地よさを楽しめる国になれるかもしれないが、国としての結束や、この国が置かれているユニークな歴史的使命感を失っているかもしれないのだ。アメリカは、成長し過ぎたためではなく、その指導的な市民たちが、広々とした台所を楽しむ方が戦争や愛国的な奉仕に伴う苦痛よりも好ましいと決めるにつれて精気を失い、次第に衰退するかもしれないのだ」
とするならば、あの 9.11 テロは、ボボたちを「愛国的な奉仕」の必要に覚醒させた、かっこうの事件だったことになる。
彼らはあのとき、自らの安寧を省み、よし大統領とともにアメリカのために戦おう、と決意したと考えられるわけである。
著者は、2002 年のアメリカ人の心を見通してでもいたかのように、ボボの任務をこう力説する。
「前世代から勝ち取った個人の自由や、いま再び帰ってきつつある“親密な権威”の絆を破壊することなく、統一された政策、国家的な結束の感覚を再建することだ。つまり、個人として、地域社会として得た収穫を結束して、国の政策を再び活気づけねばならないのだ。
‥‥国際的な領域では、世界の主導的な国家にふりかかっている責任を拾い上げることだ。そして、民主主義と人権意識を全世界に普及させ、アメリカの理想を反映する方法でアメリカの力を使うのだ」
なんと調子の高い主張であることか。まるでブッシュの演説を聞いているみたいである。それにしても、いまや、その通りの事態になっているではないか。
強気のアメリカ政府のバックには、強力なボボ軍団が控えているのである。だからこそ、矛盾に満ちた「正義の戦争」がかくも簡単に肯定されてしまう。
(『週刊文春』2002年10月17日号掲載原稿に加筆)
『ボボズ』**************
デイビッド・ブルックス著
セビル楓訳
光文社刊
1800円+税**************
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(2002.10.21.)
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