★私家版アメリカ語感辞典

著者/枝川公一
タイトル/私家版アメリカ語感辞典
発行/研究社出版
初版/1998.9.30
定価/1890 円(税込み)
ページ数/216
ISBN4-327-46136-9

 どこの言語でも、比喩表現には文化がくっきりした姿を現している。たとえば、maggot in one's head(頭のなかの蛆)というと、日本人から見ると、脳味噌に蛆が湧くくらい頭を使わないので腐ってしまうという感じだが、これがアメリカ人になると、この蛆は気まぐれな考えを指す。気まぐれな考えとしての「蛆」にけっこう温かい眼差しが向けられているのを知るにちがいない。アメリカ人がよく使う比喩をたどり、アメリカ英語の面白さを再発見しようとしたのが、この本である。

《抜  粋》
まえがき
 このような本をつくるつもりは、はじめなかった。
 自分の楽しみのためだけにしていたことが、だんだんおもしろくなって、本にしたらもっとおもしろいだろうと考えたのである。しかし、「自分の楽しみ」という部分はずっと残っていたから、あくまでも「私家版」であることには変わりがない。
 もっとも「私家版」と言っても、きわどい記述や、危ない写真などは一切入っていないはずだから、ご心配なきように。(あるいは、期待されることのないように。)
 そもそものきっかけというのは、ぼくがアメリカの雑誌が好きで、昔からいろんなものを読んだり集めたりしていたところにある。
 これまでに、ずいぶん長いこと英語とは付き合っているけれど、いつまで経っても速く読めない。始終もたもたしている。それというのも、いろんなところで道草をしているからだと思う。この本ができたのも、道草のおかげと言えないこともない。
 いい表現だなあと思うと、見とれてしまってなかなか先に進めない。ぼくは、言葉から、なにか感覚的なイメージが広がっていくのが好きで、そういうのにでっくわすと、イメージのほうに注意が行ってしまって、読みかけの英文をすっかり置いてきぼりにするようなことがしばしばある。
 雑誌にかぎらなくて、本を読んでも、音楽を聴いても、あるいは、このごろではインターネットを渉猟していても、同様なことが頻繁に起こる。
 Busted like a bowling pin(ボウリングのピンみたいにとっつかまえられて)-グレイトフル・デッドの『トラッキン』という曲のなかにあるフレーズだけれど、これなんか、真っ黒い、巨大なボウリング・ボールのような警官たちにやられる、哀れなピンみたいな存在としての自分、などと一言も言っていなくても、そういった感情の機微が、あざやかにわかってしまう表現である。レーンの上を突進してくるボールを、ピンになって見ている、そのときの恐怖がそのまま伝わってくるではないか。
 なにかにたとえて、それに託して、言葉の意味を思いきり拡張してしまう。アメリカの英語は、このやり方に秀でていて、おかげでイメージがとても豊かになる。イギリスやオーストラリアや、あるいはシンガポール、インドなどなど、それぞれの英語も、豊かなイメージに彩られているのかもしれない。ぼくの目に触れるのは、アメリカ人による文章がほとんどなので、その結果、そう思い込んでいるだけかもしれない。
 ぼくにとっては、しかし、そのあたりのことはどうでもよくて、自分の感じている「アメリカらしさ」が、言葉の表現からたちのぼってくることが、大切なわけである。
 はじめはイメージを楽しんで、それで終わりにしていたのだけれど、そのまま行き過ぎてしまうのが惜しくなって、気に入ったたとえや比喩をカードに書き写すようになると、またこれが、ときどきカードをめくって、気に入った表現をわたりあるくのが楽しくてしかたがなくなった。
 すでにおわかりと思うけれど、そんな遊びをしているうちに、ある時点で、一冊の本にまとめるアイディアが浮かんだわけである。都合のいいことに、ぼくにもパソコンがなんとか使えるようになり、表現を蓄積するのが容易になったという事情もある。
 そうなると雪だるま式(英語でもsnowballと言うと同じような意味になるけれど)に増えていった。
 ふりかえって、ひとつひとつを点検すれば、別にアメリカだけにかぎった言い方ではないものもかなりある。昔からの慣用表現も含まれている。だいたいがアメリカのメディアのなかで出会って、ぼくが魅かれたというのだけが共通点で、しつこいけれど、だから「私家版」なわけである。
 一本に編むにあたっては、歌詞表現、映画やテレビの台詞などは除いてある。音や映像の世界は、活字の文章とは性格が異なるから、両方をいっしょくたにしてしまうのは、表現行為を冒涜しているような気がしたからである。インターネットの場合は、文章化されて画面に表示されているものについては、活字と同様に扱うことにした。
 収録した表現は一応、アルファベット順に並べてあるけれど、これはあくまで形式上のことで、たいして意味があるわけではない。どこから読んでもらってもかまわないと思う。それぞれに立ち上がってくるイメージで遊んでほしい。
 後から思い出して、あれはどこにあったかなと、探すような場合には、ABC順になっていれば見つけるのに楽なのではないか。その程度の「辞典」スタイルである。
 ぼく自身も、本になってから楽しみたいのが索引で、ここには、見出しにはなっていないけれど、本書のなかに散らばっているイメージ表現が集められている。こっちから逆に引いて、見出し語に至ると、また別の世界が展開するかもしれない。
 言葉と表現には、さまざまなアングルがあり、その多様性は、人間の感情生活の豊かさを表している。また多様な言語表現に触れることで、ぼくたちの感情もまた大いに刺激を受けるにちがいない。
 言葉の力を味わい尽くしたい。そのための本になれたらいい。

本文の一部

A

accordion(アコーディオン)
 アコーディオンという楽器は、使わないときは、畳まれてくたっとなっている。これに人間の身体のイメージを重ねてみると、どんな状態が想像できるであろうか。
 [例] 
 Suddenly, Jessica folded up like an accordion. Mel rushed her to the Camden Community Hospital.(突然、ジェシカは、アコーディオンみたいにくたくたと崩折れた。メルは、彼女を急いで、キャムデン・コミュニティ病院へ連れていった。)−GoldenGirl, Alanna
Nash, Signet, 1988−
 同じような楽器は古代中国にもあったそうだが、アコーディオンとして登場したのは、19世紀の前半で、比較的新しい。accordion door(アコーディオン・ドア)、 accordion pleat(アコーディオン・プリーツ)などという言い方もあり、やはり、あの蛇腹が強烈な印象を与えていることがわかる。

ageing fruit(齢を重ねていく果物)
 ぴかぴかして、色鮮やかだった果物も、古びていくうちに、色が褪せ、輝きを失っていく。そこには、少年少女から老人へと移り変わっていく、人間の生の時間が圧縮されているようでもある。
[例]
 He sat down in his living room and looked at the walls. They had once been white, he remembered, but now they had turned a curious shade of yellow. Perhaps one day they would drift further into dinginess, lapsing into grey, or even brown, like some piece of ageing fruit.(彼は、居間に座って、壁を眺めた。以前には白だったのを思い出したが、いまは、妙な色合いの黄色に変わってしまった。おそらく、そのうち、もっとすすけて、知らぬ間に灰色になり、茶色にさえなっていくのであろう。一個の古びていく果物のように。)−The New York Trilogy, Paul Auster, faber and faber, 1985−
 なお、ageingは、名詞としては医学用語にあり、日本では加齢などと訳されている。このごろは、老化、高齢化などの代わりに、エージングと言おうじゃないかと主張する向きもあるらしい。老眼鏡でなくて、読書用眼鏡(reading glasses)のほうがスマートじゃないかというのと同じ類か。

Ahab(エイハブ船長)
 ハーマン・メルヴィルの代表作『白鯨』(Moby Dick, 1851)の主人公、捕鯨船の船長エイハブは、どう猛で賢い鯨モビー・ディックに片脚を噛み切られる。鯨骨の義足をつけて、ふたたび航海に出る彼のなかには、「なんとしてもあの鯨をやっつけるのだ」という復讐の思いがたぎっていた。大西洋から、喜望峰をまわり、インド洋から太平洋へ。ついに目指す鯨に遭遇する。執拗に、最後まであきらめることなく、「敵」に立ち向かうエイハブ。3日に及ぶ死闘は、語り伝えられ、彼は執念深さの象徴として、いまに生きている。
[例]
 What Arledge wanted for the past two years was Diane Sawyer, and he pursued her with an Ahab-like tenacity.(アーレッヂが、過去二年間ほしがっていたのは、ダイアン・ソウヤーであり、彼は、エイハブ船長顔負けの執念深さで、彼女を追いまわした。)−New York, Mar. 13, 1989−
 エイハブよりおそろしく、執念深いことでも互角に渡り合うにちがいないのが、パパラッチ(paparzzi)であろう。元イギリス皇太子妃ダイアナを、その執拗な追跡の末に死なせたと非難される(これは冤罪だったらしいが)ことしきりの、追っかけカメラマンたちである。with a paparazzi-like tenacityという表現が生まれるかもしれない。

Alamo(アラモの砦)
 1836年、当時はメキシコ領だったテキサスの独立を要求して戦う戦士200人弱がたてこもったアラモの砦。これを攻撃するのは、サンタ・アナ将軍率いる4000のメキシコ軍。雄々しく戦って果てたテキサスの精鋭のなかには、もちろん、デイビー・クロケットもいたし、ジム・ボウイもいたわけである。正義のために死守する、最後の砦、それが、すべての時代の「アラモ」である。
[例]
 People's Park in Berkeley, Calif., is the Alamo of the anti-Establishment young.(カリフォルニア州バークレイのピープルズ・パークは、反体制派の若者にとっては、アラモの砦に等しかった。)−Time, May 29, 1972−
 圧倒的に強い体制派(Establishment)を迎え撃つ若者たちの1960年代のアラモは、バークレーであり、カリフォルニア大バークレー校であり、そして、バークレー校のすぐ隣りにあるピープルズ・パーク、つまり人民公園であった。などという昔話はともかくとして、追いつめられた日本経済に、the Alamo of Japanese economy(日本経済のアラモ)はいったい何だろうか。‥‥

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