エッセー「眠る男」

 何軒も回っている間に、意識が脱落して、どこにいるのかわからなくなることは、間々ある。誤ってグラスを倒したなどというのなら何度もある。しかし、バーで眠ったことは、記憶にあるかぎり一度もないと思う。あるいは、記憶がなくなっている間に眠っていたということはあるのかもしれない。しかし、そこまでは責任が持てない。これまでの人生でともに飲んだことのある人たちに、いちいち訊いてあるくわけにもいかないから、自己責任の及ぶ範囲で、眠ったことはないということにしておこう。
 学生時代からの友人には、飲むとかならず眠る男がひとりいる。バーにかぎらない。居酒屋でも、ビアホールでも、割烹でも、どこでも眠ってしまう。しばらくして目を覚ますと、何事もなかったみたいにまた飲みつづける。その男とは、もう三十数年一緒に飲んでいるが、いつのころからか、そうなった。仲間同士もうすっかり慣れているから、「こいつ、きょうは早寝じゃないか」などと言い合って、眠る男を放っておくのである。
 他の飲酒の場はともかく、バーテンダーがすぐ目の前にいるバー・カウンターで眠るとなると、簡単ではない。サービスされていることで緊張があり、それが睡魔を邪魔するはずである。それでも眠るとなると、オフィスでデスクに向かって仕事をしているのを装いながら居眠りするのに似ている。
 ぼくは、しばらく前まで、ある雑誌に東京のバーを巡ってのエッセーを長いこと書いてきて、その間にずいぶんたくさんのカウンターに座ったけれど、客が眠る場面にはあまり出会わない。ときにそんなシーンに遭遇すると羨望の思いを抱く。バーテンダーが技術を駆使し心をこめてつくる酒を味わいながら、かつ眠れる。これには脱帽する。
 そう言えば、映画を見つつ眠るのはとても心地よい。作品があまりに素敵だから眠りたくなるのではないかと思うことさえある。映像とサントラに覆われながら眠りの世界をさまよっている。ぼくは映画館では、よく眠る。すーっと引き込まれるように数分居眠って目ざめ、その間に、映画の時間が通り過ぎていったのを了解する。そして、眠りに委ねていた心身を、あらためて映画に任せる。そこにはある種の連続性があって、いままで乗っていた列車が、そのまま船に積まれて、海を渡りだしたみたいでもある。
 しかし、バーでは眠れない。眠れる気がしない。まだまだ修行が足りないのかと思う。映画館には子どものときから通っているけれど、本格的なバー通いはたかだか十年あまりである。駆け出しの身で、カウンター睡眠などもってのほかであるかもしれない。

 「あのバー、同じお客ばかりなのかな。きょうも同じ人が同じところで眠っていた」
 さっきまで一緒に飲んでいた人が独り言みたいにそう言ったのは、地下鉄への階段を下りかけているときであった。もう深夜に近い時間帯で、電車はあと一本か、あってもせいぜい二本を残すのみであろう。
 ときどき連れだって行く店がある。それも決まって閉店の一時間前とか三十分前である。したがって、他ですでに飲んでいる。二軒目あるいは、ときには三軒目ということもある。そこで、一杯か二杯で出てくることになる。
 そのカウンターは数人で満席になってしまう。座れないこともあり、その場合は、テーブルで我慢するが、かならず「空いたら移りたい」とバーテンダーに告げる。そこに座って、カクテルをつくったり、酒瓶から注いだりするプロの風景を眺めながらでないと、バーにいる意味がないからである。
 テーブルまで運ばれてくるカクテルは、瓶入りや缶入りのカクテルドリンクと変わらないとまでは言わないけれど、それに近いものがある。バーは、自分の酒、知友の酒、見知らぬ他人の酒、それらがふだんにつくりだされるプロセスと環境とを目にし、耳にし、肌に感じられるところに、いちばんの価値がある。
 だから、カウンターにこだわる。その日もあまり残り時間がないのに、テーブルから移った。隣りで男が眠っているのには、もちろん気づいていた。椅子の背にゆったりともたれて、口元を少しだけ開き気味にし、顔をやや上向けて、カウンターの端に両手を添えながら、男は静かな寝息さえたてていた。
 すると、二ヶ月ほど遡る前回にも、同じ男がああして眠っていたというのであろうか。
 「うん、そう。空になっていたグラスも、同じものだったと思う」
 「どんなグラスだっけ?」
 「マティーニのだろう。漏斗状で長い脚の付いてるの」
 「よく見てる」
 「うん、そっちみたいに酔ってないから」
 「さっき、同じ客ばかりって言ってたけど」
 「うん、眠っている人の向こう、ひとつ椅子が空いていて、その隣のカップルは、この前もいた」
 「よくおぼえているな。やっぱりこの前もはじめはテーブルだつた?」
 「そう。カウンターに来てみたら、眠る客がちょうど真ん中で、こっち我々ふたり、向こうふたり。そのバランスがおもしろかったからね」
 「まるで眠っているヤツが、いちばん偉いみたいだ」
 「そうかもしれない。あの人が、あの店を支えていると思えば、おもしろい」
 記憶力のいい相手も、さらに半年ぐらい隔たっている前々回の情景となると、さすがにおぼえていないようだが、眠る姿があまりに堂に入っているので、ずっとこんな感じの店ではないかと思ってしまったのである。
 ひとりの客の眠りを囲んで、ぼくたちは、酔いに浸され朦朧としながら、かろうじて目ざめていたことになる。
 もっとも、この客も最初から眠っていたわけではないであろう。
 夜の早い時間にやってきて、大好きなカクテルをひとつずつ、大事そうに口にし、そのたびに、自分の好みを知っていてくれることへの感謝の言葉を、バーテンダーに投げかける。やがて酔いはじめる。それははじめ緩慢に、やがて急速に身内に広がっていく。もうだめだ、今夜も終わりだな、と気づくと、意を決して、マーティニを注文する。このジン・カクテルを最後の一杯にするのだと、男は決めているのである。それを飲み干すのを合図に、彼は眠りに落ちていった。
 と想像してみる。時間の経過とともに、右隣も、左隣も、客たちは入れ替わっていったにちがいないが、その男だけは、急流のただなかで飛沫を浴びつづける岩のように動かない。眠る岩である。

 ぼくたちは、改札を抜けて、ホームに立った。相手の地下鉄のほうが先に入ってくるらしい。電車の接近を知らせるサインが点灯している。ぼくたちはそれぞれ逆の方向に帰っていく。
 「このつぎ、閉店ギリギリまでいてみようか」
 と、進入してきた車両に歩きながら、相手が言った。
 「それじゃ地下鉄がなくなってしまうよ」
 「だって、あの男が目をさますところを一度見たいじゃないか」
 「目をさまさないかもしれないよ」 
 相手は怪訝そうな表情をした。しかし、これ以上会話をつづける時間はなくなっている。ラッシュやや過ぎぐらいに混んだ最終電車のドアがすでに開いていた。
 「じゃ、また」
 「生きてれば」
 ぼくたちはいつものように、そうして別れた。
 店内の後片づけを終えたバーテンダーが、明かりを消して帰っていき、ひとり残された男は、闇のなかで眠りつづけている。ぼくが言いたかったのは、そういうことである。★
 
(『別冊文藝春秋』誌掲載原稿に加筆)

(2001.7.16.)