| ★謎の酒「紹興酒」の真実に迫る |
中国風酒場の登場■
たとえば、ある夕べ、中華料理店で集まりがあり、紹興酒をたっぷりいただいたとしよう。翌朝、目覚めて、あれはうまかったよな、と思う。「あれ」って?
あの紹興酒──。
ここから先へはたいてい進めない。銘柄は何だったか? さて、おぼえていない、というか、銘柄など気にしなかった。ラベルは、どんな? 赤かったけど、金色もすこし入っていたような。
こうして、「ゆうべの紹興酒」は、簡単に幻と化してしまう。この繰り返しである。これでは味覚は目を覚まさない。うまいものはこれ、と自覚しないことにははじまらない。
それでも、やっと暗闇に光が射しはじめている。紹興酒バーや、酒菜にこだわる中国風居酒屋が登場してきた。熟成年数が二十年とか五十年とかいう高級紹興酒も市販されだしたとか。しかも、五十年ものでも、もともと手ごろな紹興酒の場合、ドンペリニオンのロゼに比べられるぐらいの値段という。
地下鉄赤坂見附駅の近くに、一年前にオープンした中国酒場「黒猫夜」(くろねこよる)の店長、田中太郎さんは、自称「日本で三本の指に入る」紹興酒通である。中国現地に出かけて探してきた酒を、鴨の舌とか羊の串焼きといった、マニアックなつまみとともに提供する。
酒の売り上げ全体の半分を紹興酒が占めている。イチゲンの客は、十年もの三種類と併せて「日本で市販されている安い」銘柄一種類を比べて味見ができる。名づけて「利き酒セット」。
一口、味のひろがりに衝撃を受ける。さらに欲張って、一ランク上の20年ものを試せば、その丸みのある甘さに圧倒され、この酒独自の世界の深さを実感する。
味に明らかな差があることだけでもわかれば、比べて、どれが好きかがはっきりする。「ワインでは酸味と渋味を重視しますが、紹興酒では、土臭さと自然な甘みが大切で、うちでは濃い口のものが好まれます」と田中さんは言う。
紹興酒の味に関心が湧けば、好みの銘柄をおぼえようともする。中華料理の店でちらと瓶の姿が目に入り、見慣れないラベルに魅かれて注文したくなる。こうして紹興酒入門を果たすわけである。
日本酒の源は紹興酒、か■
中国では、コーリャンなどを原料とする蒸留酒(白酒)が有力で、酒のうちの80%を占めるという。これに対して、穀物が原料の醸造酒(黄酒)は少数派で。原料のもち米を麹発酵させてつくる紹興酒は、こちらである。うるち米を麹発酵させてつくる日本酒と製造工程がよく似ている。
中国酒を手広く輸入するミナト酒販(株)の高橋一栄社長は、「紹興酒の製造法が日本に伝えられて清酒ができた、とも言われています。世界各国に輸出されている紹興酒だが、いちばん需要の多いのは日本。日本酒に似ていることに、日本人は親近感を抱くのかもしれない。
日本人は、紹興酒のことをラオチューと呼び慣わしてきた。ラオチューは老酒と書く。これは、黄酒のうちで長く寝かせて熟成した酒のことである。紹興酒は最低三年の熟成が必要で、たしかにラオチューである。
もっとも、紹興酒の瓶のラベルで、目立つのはたいてい、「紹興酒」の三文字である。銘柄名よりもずっと目につくことが多い。ラベルの中央に、真っ赤な地色に白抜きの文字で大書してあることも珍しくない。一方、老酒という文字のほうは端のほうにひっそりと書きそえてある。
いまから六年前の中国政府の決定によって、上海の南にある紹興市で生産された老酒でなければ「紹興酒」を名乗れないことになった。
当地の酒蔵の数は200とも300とも言う。同じ工程でできてくる酒でも、産地がちがえば「上海老酒」「福建老酒」などになる。紹興酒はエリート・ブランドの証明なのである。
現在も、台湾製の台湾紹興酒が、日本にも輸入されてはいる。当事者は、「中国革命のときに紹興から台湾に渡った酒職人がつくっているのだからいいのだ」と主張するらしい。じつは、日本でも一時、堂々と紹興酒がつくられていた。
紹興酒への執着は、なかなかに強い。それだけに、この酒は歴史的にも重用されてきた。
東シナ海に面した海辺の土地の酒、それが紹興酒で、中国全体から見れば、ごくローカルである。その割には、強い影響力を持っている。中国だけでなく、日本から南洋地域にまで知られる。
12世紀から13世紀の南宋の時代、このあたりは首都の臨安(現在の杭州)に近かった。酒税が重要な財源になるので、酒づくりが大いに奨励された。水田の4割で、酒の原料になるもち米を栽培していたともいう。
ずっと下って、清朝の時代、中国を支配したのは、北方の満州族である。北の寒い地方の人々は度の低い酒を好まないのだが、紹興酒だけは気に入られた。酒づくり職人がわざわざ宮廷に呼び寄せられて、南の米の酒をつくったという。清朝最後の皇帝「ラストエンペラー」溥儀の結婚式には、紹興に四十樽の紹興酒を注文したと伝えられる。
現在も、中国外交の総本山である、北京の釣魚台(ちょうぎょだい)国賓館には、特別銘柄の紹興酒が常備されているそうである。
燗か、氷砂糖入りか、常温か■
筆者が初めて紹興酒を口にしたのは、二十代の半ばであった。四十年近く前である。もっとも、ラオチューとしてで、紹興酒という名称は知らなかった。当時、単行本の新米編集者で、新しい本ができた打ち上げで、著者夫妻に招待されたときである。
場所は、芝公園にあった超高級中華料理店。もっとも、クルクル回る中華用のテーブルを見るのも、この日がはじめていうほどの世間知らずで、「高級感」などさっぱり伝わらなかったけれど。
ラオチューは、途中のどこかで出てきたようである。終わりに近い頃だったかもしれない。隣りに、氷砂糖が付いている。なんだ、これは? 途端に、目の前が真っ暗になり、パニックに陥りかけた。著者の奥さんのほうが、「そのお酒、氷砂糖を入れるとおいしいわよ」と助け船を出してくれ、難関をなんとか乗り越えた。
しかし、「そのお酒」はおいしくなかった。ただ甘いだけであった。夫妻にお礼を言って別れた後、地下鉄のホームを歩いていたら、頭がフラフラした。翌朝、二日酔いをしたのは、このラオチューのせいだといまでも信じている。
そのときのラオチューがどんな素性のものかいまとなっては知るすべがない。中国からはまだ、ラオチューは正式輸入されてはいなかった。品質のよくない紹興酒は、強い酸味をごまかすために、氷砂糖やざらめを入れて飲んだのである。この後、何度も同様のラオチュー禍に遭った。
これは筆者ひとりだけではない。日本人と紹興酒あるいはラオチューとは、不幸な出会いをし、その不幸をずっと引きずってきたと言える。
1972年の日中国交回復も、紹興酒については、度重なる不幸のひとつに過ぎなかった。このとき訪中した田中角栄首相(当時)がパーティの席で、白酒のマオタイを飲んで悪酔いをした。首相はマオタイのアルコール度数を六五度と思い込んでいたが、毛沢東に七五度だと訂正されたという話もある。
この悪酔い話が、日本に伝わると、中国の酒は強いという、不幸な伝説が、日本人の間に生まれた。マオタイとラオチューも区別するだけの中国情報を、日本人に持っていなかった。
このころには、氷砂糖入りの他に、ラオチューを熱くして飲む方法もはじまっていた。
ある中華料理店の店主によれば、「温めたラオチューのグラスを口元にもっていくと、一瞬鼻に来て、アルコールにやられたみたいにうっとなる。これで紹興酒まで度数が強いことになってしまった」という。
紹興酒の度数は、いまもむかしも、日本酒並みの16〜17度なのに。
甕出しをめぐる伝説■
紹興酒が、正式なルートで中国から日本に輸入されはじめるのは、先の日中国交回復以後である。これを手がけたのが、甲類焼酎で知られる宝酒造である。
当初は試験的に入れていたが、77年から中国側と専売協定を結び、ほとんどゼロから、最高で年間販売量3700キロリットル(600ミリリットル瓶で600万本あまり)にまで押し上げた。なお、90年代になってから、中国の開放政策で、この独占販売はなくなった。
紹興酒の販売額が拡大の一途をたどった80年代、同社は、しきりに飲み方の提案をしたという。同社広報課長の山田和宏さんによると、「ストレート、ぬるかん、あるいは、女優の大地真央さんを起用して、ロックでどうですかとか。中華料理店には、砂糖を入れないで飲んでもらうキャンペーンをしたり」という。
しかし、紹興酒は、飲み方を工夫するまでこだわる飲みものには、なかなかならなかった。中華料理店経由で、ずっと売られてきたからであろう。
中華の店には、同じ銘柄の同じ値段の紹興酒がいつもある。よほどの高級レストランなら別だが、そうでなければ、紹興酒のなかでも安い部類に入る品である。飲み方をいちいち工夫しようという気持ちになれない。ありきたりの品をありきたりに消費する。
そうした貧しい環境が、この5年ぐらいの間に変わってきた。中国ブームもあり、輸入代理店が、5年ものとか10年ものとか、熟成年数の長い品に力を入れだした。味のちがいがはっきりする。あるいは、熟成年数の異なるものをさまざまにブレンドしたり。
こうして、バラエティのある酒たちが、飲み手に、「さあ、どれがおいしい?」と迫ってくる。
さらに、紹興酒のおいしさを計る物差しは、長いこと、甕入りか瓶入りかである。つまり「甕入りのほうがおいしい」と信じられてきた。
紹興酒に関する、この最強最大の伝説によれば、こうなる。発酵を終えた酒が甕に入れられ、布や藁や竹の皮で密封された後、積み重ねられる。やがて熟成の期間を終えると、甕のままの状態で、日本にまで運ばれてくる。それを丁寧に開くと、そこには申し分のない「自然の酒」が──。
この麗しい伝説に、「黒猫夜」の田中さんは、次のように反ばくする。
「甕の酒は、一回出して消毒してから輸出するのです。そのままはない。また、十年など長期熟成の場合は、甕では値段が高くなってしまうので、瓶に小分けにします。甕出しは五年ものまででしょう。値段的に見て」
そして、飲み方は常温があたりまえに。紹興酒もやっと、味覚だけを頼りに選べる飲みものになろうとしている、ということか。
★[2006.10.16.]
酒場データ□■
| 黒猫夜 |
東京都港区赤坂3-9-8 篠原ビル3階/TEL 03-3582-3586 3酒利き酒セット900円
| 咸亨酒店(かんきゅうしゅてん) |
東京都千代田区神田神保町2-2/TEL 03-3288-0333 上海の南の港町、寧波の家庭料理と紹興酒。紹興酒は寧波にある工場から直輸入。紹興酒ティスティングセット2500円。
| ALTAIR(アルタイア) |
東京都中央区銀座8-2-14 竜王ビルX 2・3階/TEL 03-5568-7161 紹興酒は甕出しが30種類以上。3年熟成がグラスで800円、ボトルは3800円より。
酒販店データ□■
| ミナト酒販 |
東京都港区芝3-3-11/TEL 03-5765-5361 料理店向けだが、倉庫に出向けば個人でも買える。あらかじめ電話で在庫の確認を。ネット注文も可。http://www.minato.co.jp/ 唐栄花彫酒494円、女児紅788円。
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