★原酒を利き分ける、ブレンダーの技

香りが見える■
 煉瓦の外壁に向けた指先が、建物のずっと上のほうにひとつだけある窓を指している。
 「あそこ、陽がちょっとあたる場所に置いた樽が、妙に熟成がいいんですよ。どうしてか、私たちにもわからないんですけどね」
 主席ブレンダーの輿水精一氏は、そう言いながらしきりに首を振る。京都の中心部からクルマで30分、サントリー山崎蒸溜所では、すぐ裏の山の、まだ浅い緑が、建物に覆い被さるみたいに迫っていた。夏のはじまりである。
 「あの窓の周りのシェリー樽の原酒だけ集めてつくった試作品があるんですが、いまからちょっと利いてみますか」
 輿水氏に案内されたのは、ブレンダーたちが専らテイスティングに使っている部屋であった。チューリップ型のグラスに注いで、差し出される試作のブレンデッド・ウィスキーは、豊潤な香りが渦を卷くように広がり、口に含むと、予感していたとおりの柔らかい甘味が充満する。さすがにシェリーの熟成後に再利用されるシェリー樽だけに、その濃厚な味わいに圧倒される。
 「これ悪くないでしょ。まず香りですね。複雑に絡まりあった香りが甘味を引っぱってくる」
 この部屋の円テーブルの上には、蓋をしたグラスが200近く並んでいる。樽ひとつからひとつずつサンプリングした原酒である。ラベルを見ると、XT0240,XT0241,XT0242…と連番であり、しかも、日付けは、85年8月28日の前後三日ぐらいに集中している。つまり、1985年の同じ時期に樽詰めされ、いっせいに熟成をはじめた原酒たちが、13年後のいま、ここに顔を揃えたということになる。
 ところが、それぞれの液体の色合いは、飴色と言えるほどに濃いのから、うっすらとした黄金色まで千差万別である。さらに、グラスの蓋をとり、顔を近づけ、ひとつずつ味わうと、その違いはいっそう歴然としてくる。
 同じ日に産声をあげた新生児たちが、十三年後、外見はもちろん、感じ方や考え方のちがう中学生となる、その成長ぶりを連想させる。ウィスキーの「生命」を実感する瞬間であった。
 ブレンダーたちは、午前中の二時間をかけて、このすべてをテイスティングすることになっているという。
 輿水氏は説明する。
 「香りで、どの程度の熟成品質に育っているか、ほとんど見分けがつきます。休憩をはさみながら、さらに確認するために、口に含みます。最初のイメージどおりかどうかが、これではっきりします。その際、同量の水を加えて度数を20パーセントぐらいにすると、アルコールに特有の刺激感が抑えらて、含まれる微量成分がわかりやすくなり、香りがいっそうよく見えてくるのですね」
 香りが見える、か。ぼくなどは、香りを嗅いだり、吸ったりしているだけだが、プロは、香りから、熟成された液体のすがたまでもイメージし、まるで形あるもののごとく思い描いているということなのであろう。

構想力を鍛える■
 ただし、見えてくる香りの、さらに先に、ブレンダーのほんとうの仕事がある。そのことは、輿水氏の履歴を一覧することによって、自ずと明らかになるはずである。
 このブレンダーは、ワインの産地、山梨県の生まれで、山梨大工学部生産工学科で、主にワインの醸造を学んだ。だから、サントリーに入社するときは、将来、ウィスキーのブレンドを手がけることになるとは、まったく考えていなかった。
 最初に配属された多摩川工場(川崎市)では、ブレンダーの指示書に従って、正確な配合でウィスキーをつくるボトリングを担当した。三年後、研究所に移り、ここでは主に樽の出来映えとウィスキーの品質の関係を調べて九年を過ごしている。その後、山崎蒸溜所勤務になり、六年間にわたって貯蔵庫を受け持った。
 「この六年が、私には大きかった。ブレンダーとともに、さまざまな原酒を混ぜながら、多くの情報に接し、酒に対する評価の作業を近くで見ていられましたから」
 尊敬する先輩たちにまじり、彼らが酒を評価する際に使う言葉をおぼえる。自分もそれを使えるようになれば、同じ尺度で酒に向かい合うことができる。早くそうなりたい一心であったという。
 輿水氏に限らず、最初からブレンダーとして育成されることはないとそうである。まず、ウィスキーをつくる技術のそれぞれの段階を十分に把握することが求められる。
 ブレンダーたちは、全国の蒸溜所や工場に勤務する従業員たちに絶えず目を配って、やがて「ブレンダー室」に呼ぶべき人材を探しているのだという。
 もちろん、テイスティングの能力がなければならない。サントリーの製造部門では、20年ほど前から、嗅覚のテストを実施し、鼻のトレーニングをしている。これには、事務職も、瓶詰めオペレータも、だれでも希望すれば参加できる。たとえば、無味無臭の水に、少量ずつの黴の臭いを加え、ブラインド・テストで、臭いの濃い順にならべるなど、さまざまなテストが、一年を通して行われる。
 その都度採点され、序列が発表される。だから、水のテストの前後であれば、従業員の間で水に対する意識が急速に高まり、「きょうの水はおかしいね」「そうそう、生臭いよ」などと言い合うことで、切磋琢磨されるわけである。こうして潜在していた能力が開発されて、ブレンダーの目にとまることにもなる。
 輿水氏の場合は、この蒸溜所で、たまたま鼻のテストの推進部署にいたために、「いい成績とらないとかっこわるいなという気がして、がんばった」のだそうである。
 こうして、入社してから十八年後に、ブレンダーに「スカウト」された。主席ブレンダーになったのは、1996年3月で、最終評価者としてウィスキーの品質を決めるという、重い役目である。
 「いまあるウィスキーの味を一定に保つのはとても重要です。どういう性質の原酒がどのくらいあるかを、現在だけでなく将来にわたってしっかりつかんでおく必要があります。頭のなかに原酒マップができあがっている。さらに、日々のテイスティングで、このマップをふだんに組み替えます。さらに、ブレンダーの最大の任務は、それら無数の原酒のなかから選びとりブレンドして、新しい製品をつくることなのです。そのための構想力を鍛える毎日ですね」
 輿水氏は、和食に合うウィスキーとして知られる「膳」の開発者である。この開発には、3年という長い時間を要している。
 つねに生活を律する心構えも必要になる。官能を十分に働かせるために、二日酔いは許されない。食事もカレーなどの刺激の強いものは避ける。煙草も吸わない。現在7人いるブレンダーには、喫煙者はひとりもいないという。いちばん若くて40歳、48歳になる輿水氏がちょうど中間の年齢である。
 「新製品は若々しい感性だけでは生み出せない。安定して10年先も維持できる品質のものでなければなりません。そのためには、長い時間の見極めが大事で、それには年齢が力になります」
 ブレンデッド・ウィスキーは、重厚なアーキテクチュア(建造物)を思わせ、ブレンダーには、経験豊かな熟練のアーキテクト(建築家)の気配がある。
 ところで、輿水さん、どうしてもおききしたいことがひとつあります。ブレンダーの晩酌はなにを飲むんですか。
 「私の場合、ふつうは角ですね。あれは疲れなくていい」 
 この答えには意外の感に打たれたけれど、その一方で、なるほどと納得する気持ちにもなる。

将来のために残す■
 蒸溜所の近くに住んでいるうえに朝は早起きで、しかも始業の1時間前には出勤するという輿水氏の最初の仕事は、原酒のテイスティングではない。水のチェックである。ブレンドに使うために、ミネラル分を取り除いた純水の品質を確認する。
 この水は、所内の井戸から汲み上げられる地下水である。ウィスキーの誕生の鍵を握っているのは、水に他ならない。豊かな香りの出発点も、当然水にある。
 このあたりは、山崎峡という名が示すとおり、狭隘な土地である。山が迫り、川が迫る。木津、宇治、淀の三つの河川が合流する地点が、前方間近にある一方、背後からは、丘陵が接近している。
 その丘の斜面を埋める木々の緑が、建物の壁の煉瓦色をいっそう深いものにしている。いちばん高くても270メートルの天王山山系に降る雨が地に滲み入り、伏流水となって一帯の地下を流れわたる。
 かつて千利休が、いまは国宝に指定されている茶室「待庵」を結んだ地である。ここに、サントリーの創業者が水を求め求めてたどりつき、蒸溜所を開いてからでも、八十年の時が流れた。
 「豊富な地下水を少し使わせてもらって、私たちはウィスキーづくりをつづけているのです。この水は、性状もいいし、濾過する必要など一切ない」
 とは、蒸溜所の工程のガイド役を引き受けてくれた、製造技師長の木村俊一氏の話である。木村氏は、ウィスキーの原酒であるモルトの製造と開発にあたっている。
 ウィスキーにとっていい水とは、なによりも、飲んでおいしい水だと言われる。ここの従業員はしばしば、会社の井戸水をペットボトルに詰めて自宅に持ち帰るという。ウィスキーになるはずの水を、家庭で使うのだから、なんと贅沢なことであろう。
 この「山崎の水」は、温められて仕込み水になり、その際に、水に溶けているミネラル分が酵素と反応し合う。次の発酵では、水によって酵素の働きが促される。その結果、千種類にのぼる香りと味の成分が、水に揺り起こされるようにして出現するのである。
 さらに、二度の蒸留を終えて樽詰めされると、今度は、甘いバニラ臭をはじめ、樽から滲み出す香りの数々が、長い場合は三十年にもおよぶ時間をかけて、モルトを馥郁と香らせる。あらかじめ樽の内側を焦がすなどの処理をするが、こうして香りが流れ出やすいようにしているわけである。したがって、木村技師長が言うように、「樽は単なる容れ物ではなくて、原酒と呼応し合う反応容器です」ということになる。
 地下から取り出された水と、アメリカとヨーロッパの森から切り出された木材を組み上げた樽と。このふたつが、力を尽くして、モルトの香りに磨きをかける。これが熟成に至るプロセスの核心であろう。
 自然のなかにただ放置したままにするのではない。しかし、機械にすっかり委ねているのでもない。つねに人のカンが頼りである。鼻と目だけではない。あるときは釜に手をかざして温度を調べ、泡立つ液体の音を聞き、目で色合いをたしかめる。随所に人間が直接に関わって、自然の不可思議な活動をサポートしつづけることで、原酒は生み出される。
 そして、リレーの最終ランナーのように、締めくくりに登場してくるのがブレンダーということになる。
 それまでの走者たちの力走に応えて、有終の美を飾らなくてはいけない。バトンを落としたり、転んだりするのは論外であろう。
 主席ブレンダーの輿水氏は、「蒸溜所がせっかくいい原酒をつくってくれても、ブレンダーが台無しにしてしまってはなにもなりませんからね」とつぶやいた。
 この言葉が出てきたのは、製造工程を巡り、テイスティングの聖域に立ち入り、あるいは貯蔵庫の薄闇のなかに佇んで、全日を費やしてつづいたインタビューが、終わりを迎えようとしていたときである。
 その責任がいかに重大であるかは、当方にもおぼろげにわかるようになっていた。主席ブレンダーは、さらに言葉を継いだ。
 「責任はもうひとつあります。将来のためになにを残すかです。私たちの代のブレンダーが、いい原酒をみんな使ってしまっては、次の世代が困ります。次の人たちにこんなものをつくってほしいと、いい素材を伝えていかなくてはいけません。私たちがいまやっているブレンドにも、前の代の人たちの思いがこもっているのです」
 バトンタッチは終わらない。ウィスキーを華やかに彩る香りは、まだ姿を見せていない未来のブレンダーに引き継がれなければならないのだから。★

 (『サントリー・クォータリー』誌掲載原稿に加筆)
 
(2001.7.23.)