★エッセー「バー・クールのこと」
銀座のコリドー街は、このごろ賑わっていて、高速道路の下に並んでいる飲食店は、ずいぶん繁盛しているようである。数年前に、世田谷においしくて安い寿司屋があって、いつも行列だという噂を耳にしたが、その店がいまではここにも出てきていて、やはり行列ができている。
バー「クール」は、そんな繁盛店が並ぶ一角の向かいにあるが、界隈の変容ぶりに関心があるんだかないんだか、まるで変わらない。丸くした白いネオン管をグリーンのガラスケースに仕込んで光らせていると思われる袖看板もずっと同じままの気がする。オーナーが古川緑郎さんだから、看板も緑色であるらしい。
ぼくは、このバーに行くことはじつはあまりない。滅多に行かないけれど、とても気に入っている。行くたびに気分よく出てくる。あのカウンターの前に立った(ここは立って飲むスタイルである)、数少ないあのときこのときのことはだいたい憶えているし、これからもおそらくは忘れないであろう。
たとえ頻繁に訪ねていかなくても、この店の「消息」には通じているつもりでいる。銀座の他のバーで、よく「クール」の話題が出るからである。
バーテンダーが、「古川さん、風邪を引かれたそうだけど、もうお元気になったかな」といった気遣いを口にしたこともある。古川さんは、戦前の少年時代から銀座の酒場で働いていたそうで、いまでは東京のバーテンダーのなかでも最長老ではないか。
どこかのバーに同行していた人が、近ごろクールへ出かけていってどうだったこうだったという話をしてくれることもよくある。東京のバー好きにとって、このバーはいつも頭のどこかに引っかかっているのだと思う。
冬だったら午後5時前後、夏ならば午後6時ごろに銀座を歩いていると、「クール」を思い出すことがある。夕暮れにはもう少し間があるころで、晴れていれば、空は赤っぽくて白っぽい。いまこのときに、あのカウンターの前に立ったら、どんなに気持ちがいいかと思う。窓からは、その日最後の外光が入り込んで、カウンターに点々とあるグラスの上を漂い、清澄な空気が店のなかを流れわたっているにちがいない。
そういうことが頭のなかを行ったり来たりするうちに、たまらなくなって、コリドー街方向へ足が向くことがある。したがって、ときたま「クール」の、時代がかったドアを押すハメになってしまう。★
(『TITLE』誌2001年11月号掲載原稿に加筆)
クール 東京都中央区銀座7-2-14 電話03-3571-2604 営業時間/午後5時-11時 土日祝休
(2001.10.27)
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