★泡盛にはラムネ、という酒場

「健康のために飲む」■
 浅草・千束通りに乙姫という酒場があった。いや、いまもあるのだけれど、改築されて、これが乙姫とはにわかにはわからなくなった。
 かつての乙姫は、いつ行ってもたいてい空っぽであった。先客がいることはまずない。それなのに、ひしゃげたカウンターには、グラスや、煮込みを食べ残した皿なんかが散乱している。片づけるのが嫌いらしい女主人は、奥の部屋でテレビ(なぜか『水戸黄門』が多かった)を見ているのである。
 「おばちゃん!」
 と大声で呼ぶと、眠そうな顔でのそのそ出てくる。厚手のグラスというよりはコップになみなみと注がれる泡盛に、きまってラムネが一本付いてくる。この甘い炭酸飲料をチェーサーにして、沖縄のお酒をいただく。これが、この店の昔っからのしきたりである。と言っても、ぼくはせいぜい十数年前からの客だから、その以前のことは知らない。
 チョコレート色が黒になる寸前みたいな色合いのカメが、店先から、真っ暗闇の廊下の奥の奥まで、積み上げてあるようだ。いつ客があるのか、これだけ飲み尽くしたのだから、ハンパじゃない。
 女主人は、いつも同じ自慢をする。「うちの泡盛は何十年も向こうから送ってくるんだから、おいしくないはずないわよ」と。「向こう」からと言うんだから、沖縄なのであろう、きっと。
 「おばちゃん、うまいよ、ほんと」
 「あたりまえよ。だけど、酔ったらだめ。泡盛は健康のために飲むんだから」 
 というわけで、二杯までしか出してくれない。とろっとした味わいが舌を柔らかく包み込んで、これがラムネの薄甘と絶妙な相性なのである。ご機嫌を損ねるのが怖くて、一応、やはり自慢らしい煮込みも注文するけれど、ほんとうはなにも要らないのである。泡盛をひたすら「食べる」感じが、たまらない。
 ここに通ったおかげで、泡盛は、飲むのではなくて、液体のパンを食べるつもりで口に運ぶものだと、信じるようになった。

ブランドを気にしないということ■
 この店で叩き込まれた信念が、もうひとつある。
 日本酒も洋酒も、あるいは焼酎も、銘柄が気になって、気に入ったのを飲もうと心がけるけれど、泡盛にはその必要がないということである。これがこのお酒の素敵なところだと考えるに至った。
 薄暗い電灯、きれいにはほど遠い店内、なにが気に入らないのか、しょっちゅう唇をとんがらかしている女主人と、泡盛とがワン・セットになっている。他の店へ行けば他の泡盛があるだけのことでしかない。
 したがって、ここの泡盛が、沖縄のどこの島でつくられ、なんというブランドかを一度も訊いたことがないし、訊いてみる気にもならなかった。
 と、
 「わかったようなこと言ってんじゃないの」
 どこからか、女主人の毒舌が聞こえる気がした。
 「ごめん、おばちゃん」

 改築後の店をとりしきっている息子さんの話では、「おばちゃん」はいま、身体の具合があまりよくないそうで、店には出ていないらしい。★

(2001.1.5)