以前紹介した南大塚的文化遺産に続き、今回は北大塚文化を検証してみよう。先ず筆頭は、駅前の大塚ビルで誰も異存は無かろう。我が国建築界の重鎮にして、分離派の雄・石本喜久治の、現存する貴重な建物なのだ。外面は分厚い化粧を施してあるが、室内に漂う雰囲気は、戦前のモダンの象徴たる百貨店を彷彿とさせる。老朽化したとはいえ、高度経済成長期を生き抜いたJR大塚駅舎が消えた現在、この町にあっては孤高の存在といって差し支えあるまい。
しかし巣鴨に向かう坂道を登ると、更に歴史を遡る物件が顔をもたげる。真如苑の向かいにある巣鴨公園にある、廃兵院跡の石碑だ。何と頃は明治時代、日露戦争で負傷、罹病した兵士を収容する病院兼リハビリ施設のようなものだったらしい。南大塚よ、バカにするな! 北にだって、こんな歴史的モニュメントが存在するのだぞ。
まぁ威張るのはここまで。この先は怒濤の北大塚的文化遺産が目白押し。例えば折戸通りの、まるで一貫性のない飲食店のラインナップなどは、この町の何でもあり体質を如実に表している。ものの数百メートルの間に、古い蕎麦屋、超有名な居酒屋、絵に描いたような大衆食堂、新進気鋭の焼き鳥屋、謎の中華屋、夜な夜な芸人が集まるスナック、元布団屋の喫茶店、インテリア全てが手作りのアート系バー、行列のつけ麺屋等々、迂闊に丸腰で入れない店ばかりだ。
大塚果樹園計画も深く静かに進行する。都電の踏切脇のビワ、北口商店街の一本裏通りで実るイチジク、空蝉通りの交差点で健気にサクランボが小さく赤い実をつけ、巣鴨図書館手前で驚異の収穫数を誇るキウイ。巣鴨に近い住宅街には、カキと柑橘系の大きな実も見られる。因みにサクランボは余り甘くないことを、お伝えしておこう。
行き止まりと一方通行の嵐渦巻く3丁目の迷路のような住宅密集地帯、駅前から線路に沿って登る坂道と北口商店街の間に広がる天下のピンク通りも、歴史ある文化遺産に間違いない。どれも甲乙付け難い重要物件なので、末永く保存して貰いたいものだ。
|