★映画「海辺の家」が語りかけるアメリカ
海に臨んでひっそりと建つ、一軒家。それは、アメリカ人が心の奥に抱え込んできた、孤独のイメージである。20 世紀のアメリカを代表する画家、エドワード・ホッパーなどは、落ち着きなく移動を繰り返しながら孤独の寂しさに絶望する人々を描くために、しばしば、海と家とをワンセットにした荒涼を題材にとったものである。
「神よ、アメリカに御恵みを」 昨年の 9.11 同時多発テロ以降、アメリカ人がしばしば口にする、この祈りの言葉の裏に張りついているのも、どうしようもない孤立感である。「残虐無比」なテロリストの攻撃の矢面に立たされる祖国という、切迫した思いが、大統領に対する圧倒的な支持につながった。
孤独の意識が強ければ強いほど、攻撃に転じるとき、限りなく暴走する危険をはらんでいる。アメリカ大統領ブッシュ・ジュニアを「世界支配」へ向けて駆り立てているのは、このエネルギーであろう。窮鼠ならぬ、ライオンが追いつめられる恐怖におののくとき、その行動はもはや予測し得ない。
しかし、いったいアメリカはこれでいいのか。ちがうアメリカがあるはずではないか。そう問いかけているのが、近く公開される映画『海辺の家』(アーウィン・ウィンクラー監督)である。
海に面した断崖の上に建つ、ふるぼけた家。そこにひとり住むのは、コンピュータ・グラフィックも扱えず、時代に取り残された、四十二歳の建築家である。彼は、長年勤めていた建築事務所を解雇されたうえに、「医者が治療さえしてくれない」ほどに病状の進行したガンを抱えている。
余命三ヶ月の間に、家を自力で建て替えようとする。十六歳になる、ドラッグ浸りの息子を無理矢理手伝わせて。
建築家が息子の世代だったのは、1970 年代である。60 年代のヒッピーの時代以来、ヤクは半ば公然と流通している。しかし、いまとちがうのは、アメリカ人が、孤独の垣根を乗り越えて、お互いに対して手を伸べあっていたことである。
70 年代の半ばまでつづいた、ヴェトナムでの戦争の教訓は、国を信用するな、隣りにいる人間こそがほんとうの友だというものであった。
当時の大発明に、パーソナル・コンピュータがある。これには、国もビッグ・ビジネスもまったく関与していない。名もない若者たちが、知恵を集めて創り出した夢のマシンであった。彼らが自前のパソコンに記憶させて演奏した最初の曲が、ビートルズの『フール・オン・ザ・ヒル』(言葉の意味は、丘上の愚者)だったのは、象徴的である。
あの時代に培われた「もうひとつのアメリカ」精神を受け継いでいこうではないかと、この映画は静かに語りかけている。
建築家が自ら壊して、新たに建てる「海辺の家」の現場には、さまざまな人間たちが吸い寄せられてくる。別れた妻も、新しい家族たちを伴ってやってくる。敵対的だった隣人たちは手を貸すか、少なくとも文句を言わなくなる。孤独のシンボルだったものが、協働と協力のそれへ変質していく。
だれよりも大きく変わるのは、十代の息子(『スターウォーズ エピソード 2』で、若き日のダース・ベーダーを演じるヘイデン・クリステンセン)である。エンディングで彼は、新しい家の完成間近に死んでいく父親に代わって、周囲が予期していなかった、ある決断をする。
このとき、70 年代のアメリカを特徴づけた「オルタナティヴ」(もうひとつの)の精神が、世代を越えて継承されたことを、我々は知るのである。
見えない敵に向かって突き進むことでは、アメリカが、あるいは世界が救われるとは思えない。いま見出すべきは、敵ではなくて友のはずである。
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(『東京新聞』2002年7月16日夕刊掲載)
-アメリカ映画『海辺の家』は、7 月 20 日から、東京・丸の内ピカデリーほか全国松竹系で公開中である。
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