★天才ジャズピアニストの挑戦

 現在、小曽根真(43歳)の消息はどこからも聞こえてこない。彼は「シャバ」にいないからである。米ニューヨーク州ロチェスターにあるイーストマン音楽院ピアノ科の一学生として、クラシックの勉強に打ち込んでいる。その間、演奏活動もレコーディングも、すべてが休止である。

 9月はじめ、東京・南青山のジャズクラブ「ブルーノート」で、この天才ジャズピアニストのライブがあった。満席であった。イーストマン入学直前のステージである。トリオで、ジャズ・ナンバーを披露した後、ストリング・カルテットが加わった。豪華な陣容で演奏されたのは、小曽根自身が作曲した組曲「夜の子供部屋」である。クラシックへの明らかな挑戦であった。

 開演前のインタビューでピアニストは、新たな目標に向かう心境を次のように語った。

 「順風満帆ではなくても、ずっと追い風が吹いていた。しかし、風はパタッとやむこともある。そのとき、自分で舟を漕げないといけない。ぼくはいま難しいことをやろうとしているのかもしれないが、どうしても小曽根真の音楽をつくっていきたい。自分で言うのはいやだけれど、その自信はある。それというのも、お客さんを信じられるからだ」

 30代の未婚女性を中心に、ジャズを好んで聴く人が増えているという。この層では、ジャズやクラシックが音楽鑑賞時間の5割以上を占めるという調査結果もある。その中心に、小曽根真のピアノがある。最近では、テレビCMにも、彼の音楽が盛んに露出するようになった。

 やはり南青山にあるジャズクラブ「ボディ&ソウル」のオーナー関京子さんによると、近年、20代から30代の女性客が多くなったという。「男性は会社でも与えられたテーマに向かって進む。しかし、女性にはそれがないことがしばしば。だから、肌で感じて満足できるものがほしい。新しく良いものを探し出すのは、女性が断然早い」
 
 関さんは、小曽根が10代のころから、その成長を見守ってきた。かつて彼が18歳でバークリー音楽大学留学に出発する前日、当時六本木にあった彼女の店でピアノを弾いていったという。「さまざまな音を吸収して、自分のスタイルをつくり、変わっていく。小曽根さんの音楽は進化しつづけています」

 このピアニストは、小学生のころから、天才、神童、別格と呼ばれた。子どものときに盛んにもてはやされ、やがて忘れられるケースは多い。しかし、小曽根の場合は、実力と名声が伴って、いまでは世界的な評価を受けている。昨年のグラミー賞ノミネートも、そのひとつである。天才が実証された。

 才能の原点を、彼が生まれ育った神戸に訪ねた。
 
 神戸は、おそらく日本一のジャズ都市である。日本に初めてジャズが持ち込まれたのはここからだと言われる。中心部がジャズ一色になるジャズストリートの催しは、今年で23回を迎えた。常時ジャズのライブが聴ける店は、先の震災で少なくなったけれど、それでも十数店はある。高校や大学のジャズ同好会が盛んなことでも、他に類を見ない。

 いわゆる「神戸ジャズ」の中心的存在が、小曽根の父親の実氏である。戦後、進駐したアメリカ軍将校が持ち込んだ粗悪なレコードを聞きかじった。これを耳だけでコピーしながら、独学でジャズピアニストになった。69歳の現在も現役である。

 「真(小曽根)は3歳の頃にはメジャーとマイナーと、曲を聞き分けられ、悲しい曲では涙を流していた。音楽は自分でやりたいようにやらせた。親だからって息子の前に立ちはだかるようなことを、ぼくは絶対にしなかった。真も同様に独学だ。あいつが高校生のころにはもう、ぼくは追い越されてしまった。でも、いまもライヴァルと思っている」

 神戸の老舗ジャズクラブ「ソネ」の店長、曽根辰夫氏によると、バークリーを優秀な成績で卒業して帰国した当時、小曽根は「進路」について悩んでいたという。ジャズとロックなどを結合したフュージョンが一世を風靡していた時代である。自分もその方向に行くべきじゃないかと。先輩のミュージシャンからも、しきりにすすめられもした。 

 しかし、「好きなジャズをしたいなら、日本にいてはだめだ。活動の拠点をアメリカに戻すべきだ。マー坊(小曽根の愛称)のレベルなら、絶対やっていける」と、遊び友だちでもある辰夫氏は強く勧めた。簡単にスターになって終わりという日本の危うさを告げたかったのである。小曽根はその後、アメリカを拠点にして一流となったわけである。

 小曽根を慈しみ育て上げてきた街、それが神戸である。だから、彼は神戸に戻るとすっかりリラックスする。オープン30年のジャズクラブ「サテン・ドール」の渡邊つとむ氏は、たまたま立ち寄った小曽根が、若手のプレーヤーの演奏に遭遇し、気軽に自分も参加する現場を何度も見ている。

 齢四十を過ぎて、いま、小曽根は更なる高みを目指そうとしているのである。数年前、あるインタビューに答えて、本気でピアノをやめたいと思ったことがあると述べている。クラシックの演奏会で、心をかきまわされるような美しい音に出会ったからである。

 小曽根を間近で見て育った、3歳違いの弟、小曽根啓氏(サックス奏者)は、「兄は、自分よりうまいとなったらかならず征覇しようとする。口惜しいんだ。クラシックの奥深さに魅了されているのだと思う。きっと行けるところまで行くだろう」と語っている。

 ピアノをやめたいとの思いが反転し、あの音を獲得するぞという意欲に変わったのである。これまで小曽根を支えてきた人々は、かたずをのんで彼の今後を見守っている。ジャズを超える天才ジャズピアニストにアドバイスするなど、だれにもできはしない。

 「音楽は人を幸せにし、心に豊かなパワーを入れる」を信念とする小曽根は、いま初めて孤独を噛みしめているのではないか。天才がさらに上昇しようとするとき、これを助けられるのは天才自身しかいない。
[2004.11.29.]

■□小曽根真の略歴
1961 神戸市に生まれる。
1973 オスカー・ピーターソンに心酔し、ジャズピアノの道に進む。
1980 渡米。バークリー音楽大学に入学。
1983 同大学の作曲・編曲科を首席で卒業。日本人では初めて、米CBSレーベルと専属契約をし、デビューする。
1990 帰国
1996 北川潔、クラレンス・ペンとトリオを結成する。
2003 アルバム「VIRTUOSI」がグラミー賞にノミネート。バークリー音楽大学より名誉博士号授与。
アルバムに「新世界」「トレジャー」「ザ・トリオ」「ウォーク・アローン」など。

[2004.11.29.]


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