★映画『グッバイ、レーニン!』と、荒寥の街の記憶
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銀座で乗った地下鉄日比谷線の電車は、わずかに 15 分で恵比寿に着いた。しかし、安心はできない。これから向かおうとしている再開発地区の恵比寿ガーデンプレースまでは、ずいぶん道のりがあるように思えるからである。
それというのも、駅と、それにつづくガーデンプレイスの一帯が再開発される前のたたずまいが、ぼくの頭から離れないためだと思われる。固定観念というヤツである。
恵比寿という JR の駅は、国鉄時代の昔、ヱビスビールの工場の付属施設みたいな存在からスタートしている。ビールのブランドがそのまま駅名になった。駅に隣り合っていた工場には引き込み線もあり、そこからビールが運び出されて、各地へ運ばれていったらしい。恵比寿駅の当初の役割は、このビール出荷にあった。恵比寿の街より、駅より、なにより早く、そこはエビス・ブランドのビールの故郷だったわけである。
かつて、駅から煉瓦造りのビール工場へ行くのによく、だらだら坂を上っていった。そのころは、駅のあたりを離れると、ずいぶん閑散としていて、荒寥と言っても、それほど間違いではないかもしれない。
再開発の結果、駅を呑み込んだ高層ビルが立ち上がるとともに、その向こうの、工場の敷地だった高台は、超高層三十何階かを中心にした恵比寿ガーデンプレイスという「街」になった。その新しい街の映画館、恵比寿ガーデンシネマが、この日のとりあえずの目的地になっていた。
地下鉄の階段を上がりながら、いまはなくなってしまった、寂しい恵比寿の残像に、ぽんぽんと丈の高いビルが立ち上がっている、現在を重ね合わせる作業、頭のなかでしてみた。その結果、遠いなあという感想になったわけである。昔のイメージがどうしても払拭できないでいた。
実際に歩き出してみると、当然のことだけれど、後生大事に持ち運んでいる、もう用のなくなったイメージなど、現在の駅や街のたたずまいによって簡単に粉砕されてしまう。
地下鉄から地上に出るとすぐに、エスカレーターが待ちかまえていて、そのまま駅ビルに吸い込まれる。これで 3 階に達し、しばらく通路を歩きながら、両側の店舗を眺めたりしていると、やがて、動く歩道に乗せられる。道が動いているのに、そこをわざわざ歩くので、移動速度はとんでもなく速くなる。
動く歩道とは、歩く行為を免除してくれるのではなくて、歩行をスピードアップするための装置である。ここで、手すりにつかまって立ち止まっていたりすると、なんだかいたたまれなくなって、どうしても歩いてしまう。きょうのように先に目標があれば、一層そうである。底を目指して歩いていく。したがって、動く歩道は、自由な歩行を著しく妨げるものである。
こうして、たちまちに、ガーデンプレイス入り口の信号のところに出る。ここまで来れば、もう到着したも同然なのだけれど、赤信号に妨げられる。いままであんなに速かったのに、と思いだすと、のろまな信号に苛立ちはじめる。歩くのにも停まるのにも、心に負荷がかかる。このあたりは、そういう場所になった。
地下鉄から出てきて、わずかに 5 分程度で、ガーデンシネマに到着したことになる。3 月はじめだというのに、この日の寒さは尋常でなく、待ち合わせた友人は、たまらず隣の三越の店内に入って、ガラス越しにこちらの来るのを見張っていた。
時計は 5 時 15 分。ドイツ映画『グッバイ、レーニン!』の午後 7 時 15 分からの回のチケットを買い求める。あらかじめネットで混雑状況をチェックしてあった。昼間はかなり混んでいて、わりに楽なのは 7 時 15 分ということで、それでは、早く出かけていって、ともかくチケットの若い番号を抑えようじゃないかとなったわけである。32 番と 33 番であった。
このような時間設定をしたのは、しかし、これだけの理由ではない。すでにわざとらしく述べてきたように、ビールである。
7 時 15 分の回は 7 時に開場だから、それまで 1 時間半以上ある。したがって、ガーデンプレイスのビアホールでビールを飲むことができる。最高じゃん、というわけである。
当然のことに、チケットを手にした我々は、既定方針にしたがって、暗くなりかけた広場を横切って、ビールへと急いだ。このとき、少なくともぼくの心は、ビールですっかり占められていた。グッバイもレーニンもあったものではない。
かつてビール工場があったとは言っても、いまでは、小規模のブリュワリーを除くと、この場所からなくなっている。それでも、ビールはふんだんにある。映画の前にビールを飲む。また言うけれど、最高じゃん。もっとも、ふたりともにこんな前振りをしてから映画に出かけるという行為をしたことがない。自分の胸に手を当てて考え、相手にもたしかめたから、そう断言できる。
ぱらぱらとしか客のないビアホールで、せっかくだから、飲むだけでなくて、あれもこれも食べよう。夕食の代わり、ということで、食べかつ飲むことに精を出し、結果、たっぷりあるはずだった待ち時間はたちまちに過ぎてしまう。
欧米の人たちは、食事をしてから映画に行く。それも、軽くではなく、たっぷり食べて、満ち足りてから、もうひとつの快楽の対象としての映像に接する。食がシネマのアペリティフになっている。それは、食前にマーティニのグラスを干すのに似て、とても真似のできない贅沢に思える。しかし、今回のビールと映画の組み合わせは、これにやや拮抗する行動であるかもしれない。
よんどころない事情から、というか、自分たちで勝手によんどころなくしているのだけれど、ともかくも、すっかり贅沢をしてしまった当方のなかには、ここに来て、不安がむくむくと頭をもたげる。上映中に眠りこまないか。そうでなくても、「映写中熟睡」の常習者なので、我が身ながら、というよりも、我が身だから自信がもてない。
ところが、案ずるより産むが易しで (この言い方はやや見当はずれの感があるけれど)、フランス映画『アメリ』の音楽も手がけたヤン・ティルセンによるテーマ曲がぶつりと切れて、映画が終わった 9 時過ぎまで、一睡もすることがなかった。隣の友人も同様であったと、証言している。『グッバイ、レーニン!』への賛辞として、「ビールを小ジョッキ 3 杯飲んでから観ても、眠気に襲われない映画」というのもありか、と思う。
東西ドイツを隔てる壁がなくなり、やがて東ドイツが崩壊するに至る一年あまり。古い街が新しい街に席を譲る。人々は、新たな現実に順応していく。それが生きていくための必須条件だからである。
この映画は、母親のために、そして自分自身のために、大勢に追随することを拒否する、「東ベルリン」の若い男と、その家族たちの物語である。壁崩壊直前に昏倒して、そのまま眠りつづけ、8 ヶ月後に覚醒した母親は、精神的なショックを受けると、生命にかかわる。医師にそう言い渡された息子は、身を挺して、激変と激動の街を母親から隠すために奮闘するのである。なにも変わっていない、いままで通りの街であり、レーニン像を押しいただく国であると。レーニン像の残がいが、ヘリコプターに吊り下げられて空を飛んでいくなんてことは、けっしてないと。
この若い男アレックス(ダニエル・ブリュール)は、東ドイツの消滅とともに消えていった食物を探し回る。ビクルスの瓶を詰め替えて、昔のままであるかのように装うこともする。テレビ・ニュースを「創作」して、ベッドで起き上がる母親クリスティアーネ(カトリーン・ザース)に見せる。かつての友人知己が集まって、昔の歌を歌い「社会主義万歳」を演じる。
なんと悲しい作為ではないか、というのであれば、たしかに悲しくもある。しかし、それだけではない。おかしくて笑ってしまう。なにがおかしいと言って、時間のあっちとこっちをがんばって行き来する人間のいじらしくも滑稽なこと。現実をねじまげる行為に、真面目に取り組めば取り組むほど、こちらは笑いたくなる。
この映画のなかには、悪い人はひとりもいない。善き意志を持つ人々が、どうしようもできない変容に待ったをかけ、ちょっといじくってみる。あほらしいと思うこともあるし、うんざりすることもある。でも、物事をいつもまっすぐに考えようとする。だから、必死になってしまう。
母親のために時間のつじつま合わせに奔走する息子は、やがていつの間にか、自分が子どものときに思い描いた、すばらしい未来へ歩み出している。「西ドイツ」が良くて、「東ドイツ」が悪いのでも、その逆でもない。幼い子のイマジネーションが、空恐ろしい光を放ち、虚実の被膜を突き破るかと錯覚させてくれる。映像が、その特権をいかんなく行使するのである。
そのとき、『グッバイ、レーニン!』は、傑作のひとつに名を連ねる資格を獲得する。
映画館から出がけに、ふだんはまずしないことをする気になった。チケット売り場の隣のカウンターで、プログラムを買ったのである。「珍しいことするね」と批評した友人もまた、じつは同じことをしていた。
外に出ると、夜の時間がずいぶん進んだはずなのに、寒さは逆に和らいでいた。動く歩道をはるかに眺めながら、ぼくたちは薄暗い坂道を下っていった。荒寥の街の記憶が甦ってくる。闇のなかにうすぼんやりと、それが現れることを念じたい気持ちになる。
さあ、行こう、酒場へ行くんだ。ぼくは友人の意向を尋ねることもしないで、どんどん先へ歩いていった。映画にそそのかされるということも、このごろでは珍しい。もう 1 年以上も訪ねていない店へ向かっているつもりだけれど、探し出せるあては、とりあえずなかった。
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[2004.3.29.]
■■映像メモ
『グッバイ、レーニン!』
2003 年 ドイツ
ヴォルフガング・ベッカー監督
上映館=東京・恵比寿ガーデンシネマ(電話 03-5420-6161)他 現在は、拡大上映に入っているはず。