★映像のなかの父親と息子 |
父が息子を必死に追いかける。このごろの映画に出てくる父子には、そんなイメージが強い。息子を深く愛し、また、息子に愛される父でありたいと切に思う。
以前の父親は息子とは距離を置き、娘のほうにより関心が高かったように思う。しかし、いまはちがっている。そこには、妻たちも娘たちも、もはや夫の庇護も父の支持も必要としなくなったという事情があるにちがいない。女たちからアテにされなくなれば、男同士、息子との関係を頼りにせざるをえない。勢い、必死に追いかけるということになるのではないか。
最近、海中描写の美しいディズニー・アニメ『ファインディング・ニモ』(2003・アメリカ アンドリュー・スタントン監督)のヴィデオが出たので観た。全編、父親の魚が行方不明の息子を探し求めるストーリーで、父と子の絆の強さを謳い上げている。
父魚のマーリンはグレート・バリア・リーフから、東オーストラリア海流に乗ってシドニーまで、ふらふらになりながら泳いでくる。父ひとり子ひとりの息子、ニモが海中で捕らえられ歯科医院の水槽に閉じこめられているので、これを救い出すためである。
水槽仲間からニモは、探しにきてもらえる幸せをうらやましがられる。ナレーションが「父の愛は海よりも深い」と讚えている。やがてニモは、逞しくなって戻ってくる。
この父親は非力な小魚である。力で息子を奪い返したのではない。鯨に食べられ、不発弾の爆発に遭いながらも、耐えに耐えつづけて、やっと我が子を取り戻す。以前なら、それはむしろ、全てを呑み込む母親の愛情の発露として描かれたであろう。
『海辺の家』(2001・アメリカ アーウィン・ウィンクラー監督)でも、ケヴィン・クライン演じる建築家が、息子を愛したいと思い、自らの死の瞬間に至るまで、愛されたいと願いつづけたのが、印象的である。
息子が六歳だった、あの日のことを、かつての妻に告白する。幼い子を抱きしめキスすると、心臓の鼓動が伝わり、それが幸せというものを感じた最後だったという。あの幸せを取り戻したい、と切望する。
彼は、二十数年勤めた建築事務所を解雇され、身体はガンに侵されている。病気を隠して、十六歳になった息子と一緒に、一夏をかけて海辺の崖の上に家を建てようとする。息子は顔ピアスをつけたヤク中で、離婚した母親と同居している。無理強いする父を憎みに憎む。それでも力を貸さないわけにはいかない。
やがて家は完成に近づいた。痛みに耐えられず、自分は余命幾ばくもないと息子に打ち明ける父親は、さらに重大な告白をする。家をつくったのは、「おまえに愛されたかったからだった」と。息子は激怒する。いまは顔ピアスもしなくなっていた少年は、じつは、父を愛しはじめていた。それなのに、すべては謀られていたと知るのである。
しかし、ここでは終わらない。父親の愛情のシルシである家を、息子はどうするか。この答えが、父親に対する少年の深い愛の表現になっている。結末を知れば、父と子は真に愛しあえるのだと納得できるにちがいない。
イタリア映画『息子の部屋』(2001・イタリア ナンニ・モレッティ監督)は、カンヌ映画祭でグランプリを受賞した大作だが、そこに描かれている世界は、一人息子を失った家族の、一見ありふれた日常である。父は息子を愛したい。しかし、息子はいない。ここでは、愛を注ぐべき対象が失われている。
精神分析医ジョバンニの頭には、同じシーンが何度も何度も映し出される。彼が、並んでジョギングしている息子のアンドレアに、「もう少し一緒にいよう。潜りは来週の月曜にしろ」と父親らしく命じているのである。
この一言さえ口にしていれば、アンドレアは潜水事故で死ぬことはなかったであろう。この幻のシーンの繰り返しに、つねに息子に執着しつづけた父親の思いが溢れる。その息子の愛情は、求めてももはや得られないのである。そのことにジョバンニは懊悩する。
息子は、死の直前に、学校で盗難事件を起こしていた。分析医として、我が子の心がわからなくなっていた。ちょうどその時期に死なれた。取り返しがつかない気がする。妻と娘のいる、彼の家庭は、息子の欠損をきっかけに、ゆるやかに崩れていくのか。あるいは、もちこたえるのか。
このように、手を伸ばして息子に触れようと、ひたすらに努める父親は、最近の映画のなかのお馴染みになっている。
ところで、かつての父親は、息子にとって人生の導き手であった。いまはちがう。したがって、父親をひたすら尊敬し、憧れる息子というイメージは、映画のなかから消えつつある。
それがどのようなものであったかを知るには、小津安二郎が、第二次大戦の最中に撮った『父ありき』(1942・日本)を、フィルムの保存状態の悪さを我慢しつつ観ることであろう。
この映画は、エンディングに至るまで、父親と別れて暮らさなくてはならない息子の哀しみに終始する。共に暮らすことを願い出るたびに、父に諭され、子は涙を流す。
二十代になっても、それはつづく。大学を出て教壇に立つようになった息子を前に、父は、「教職を天職と思ってやれ。人には分というものがある。それを守れ。どこまでもやりとげろ。のんきな気分でやってはいかん」と檄を飛ばす。
息子と離れて暮らすのも、克己の精神からである。しかし一方で、成長した息子がたばこをふかすのを眺めながら、頼もしそうに「いつおぼえたんだ」とつぶやく、優しい父親でもある。後に息子は、父の死の直前に一週間を共に暮らすことができて、「あれがいちばん幸せだった」と述懐するのである。
親密な感情の淡い交流が、父に対する息子の崇拝の念を際立たせる。このような温かい心の通いあいは、いまでは期待しようにもなくなっている。
一方で、命令と服従の強要を事とする、尊大な権力者としての父親の姿も消えたのではないか。タヴィアーニ兄弟の監督作品で、やはりカンヌでグランプリを受けた『父/パードレ・パドローネ』(1977・イタリア)あたりで、彼らは有終の美を飾って退場していった。
パードレ(父)でありパドローネ(支配者)でもあったサルディニア島の農夫は、「ワシからあいつが離れていく。わかっていてどうしようもない」と嘆く。20歳まで羊の番をさせていた長男が、なんと言語学者への道を歩むと言い出したのだから、無理もない。この父親の自慢は、二桁の掛け算がそらでできることなのである。
畑を後にしようとする長男に対して「殺してやる」と息まくけれど、振り上げた拳をおろすことができない。中空で握りしめられたまま停止する、その黒い手袋の拳は、旧世代の父親の終焉を表しているのであろう。
子どもの上に君臨し支配した父親像は去り、代わりに登場してきた息子への愛を素直に語り、彼らに愛されることに喜びを見出す父親。映画のなかのイメージは大きく変化している。
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[2004.11.26.]