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★映画『テルミン』のラスト・シーン |
平日の午後3時10分からの上映で、30分ぐらい前に「恵比寿ガーデンシネマ」のチケット売り場へ行った。それでも受け付け番号は52番であった。かなりの混み方だと思う。実際、「きょうは混んでいますから」というアナウンスがあった。隣の席にも、そのまた隣にも座っている人がいたし。
この映画のタイトル、『テルミン』は、楽器の名前だが、その発明者の名でもある。レフ・セルゲイヴィッチ・テルミンというロシアの科学者が発明した、世界で初めての電子楽器がテルミンである。シンセサイザーの原型だという。映画のなかにも出てくるシンセの発明者、ロバート・モーグは、現在、世界で唯一のテルミン製造販売会社の社長だそうである。
もっとも、ぼくは、この映画がやってくるまでは、そんな楽器がこの世に存在することさえ知らないでいた。ぼくだけが無知なのではなくて、いろんな人に訊いてみたが、知っていたという人は少なかった。
しかし、映画を見ると、テルミンはこれまでいろんなところに使われている。50年代のSF映画では、火星人が登場したりする薄気味の悪い場面で、きまってテルミンの音が聞こえている。ビーチ・ボーイズの『グッド・バイブレーション』がヒットしたのはテルミンを使ったことが大きかったと、ブライアン・ウィルソンが、やはり映画のなかで話している。このウィルソンのシーンはとてもよくて、しゃべり口調がもうビーチ・ボーイズの曲の雰囲気になっている。(テルミンには関係ないかもしれないけど。)
こんな楽器をどうして知らなかったのか、そんなに革命的な発明ならもっと広く知れ渡っていていいのではないかと思える。
テルミン博士は、ロシア革命の成り行きに翻弄されたという事実も、もちろん今回はじめて知った。
博士は1920年、革命の3年後にこの楽器の発明に成功して、レーニンの前でも演奏したほどで、時代の寵児になった。ニューヨークで暮らして、華やかな生活を送るけれど、祖国に戻って、スターリンの粛清に遭い苦労したらしい。
このあたりの経緯は映画のなかでもあまりはっきりしないけれど、「鉄のカーテン」に遮られて、博士についての情報が西側に伝えられなかったことはたしかだという。1938年には死んだと信じられてもいた。実際には、生き延びて、ソ連崩壊をさえ知るのである。
こうなると、楽器とその発明者をめぐる「現代史の謎」へシフトしていきそうだが、フィルムメーカーたちは、これを意図して避けている。おかげで、この映画がおもしろくなった。
はじめてテルミンを聴いたひとりとしての感想を言うと、やはり問題は音ではないか。一部の人たちにしか知られず、長く忘れられていたのも、いま蘇ったのも、ここに理由がある。テルミンの音は、20世紀はじめの感性が生み出したと容易に納得できる。「ノコギリ演奏か島倉千代子のように少しビブラートがかって繊細な哀調を帯びている」と書いている人がいるが、ぼくは大正琴の音色を思い出した。あきらめ果てたような、それでいて、心に癒えない傷を刻みつけるような。
アルカイックで、人を寄せつけない、なにかよそよそしいところがある。演奏法が、さらにこれを「増幅」する感じになっている。というのは、演奏者は楽器にまったく触れないで、手をかざしながら、指と手を微妙に動かし、まるで見えていない弦を奏いてでもいるみたいだからである。
世界初の電子楽器であるにはちがいないが、それは音を前進させるのではなく、あの時代の感性を掘り下げ、掘り当てた音を放り出す。そういうメディアになりきっている。このあたりがシンセサイザーとはちがうのだと思う。
したがって、その後、時間が推移し、なにもかもが変化していく周辺でひっそりと生きつづけた、アンリアルなテルミンによく気がついていた人は少なかったのであろう。
こうした成り行きを実感させるための狂言回しとして、クララ・ロックモアという絶妙の人物を配している。これが映画にとっては成功の最大の鍵ですね。
彼女はテルミン演奏の第一人者であるばかりでなく、テルミン博士自身を1920年代以来よく知っている。ふたりは恋人同士であったのかというと、そう言ってしまうのはいかにも言葉が足りない気がする。テルミン博士とクララの間には、たしかに愛はあるけれど、それは、肉体を介することなく虚空に漂いつづけるかのようである。それはテルミンという楽器と、そこから生み出される音によく似ている。
映画のなかに、若かったころのテルミン博士が、若く美しいクララの右手の甲に唇を押し当てるシーンがある。その瞬間のふたりの視線は、触れあいながら、どこかを目指して上っていく気がする。それは、楽器のテルミンが人間になる瞬間でもある。
この点については、映画のラスト・シーンで確認されるはずだが、このラストについては、しゃべってしまったのではそれまでだし、また、たとえしゃべっても、なにも伝えられない気がするから、ここは黙っておくことにしよう。
ぼくは、最後には、この映画がドキュメンタリーであることをすっかり忘れてしまっていた。★
(2001.9.5.)