★映画評/『にがい涙の大地から』大塚幸子 |
この春、『にがい涙の大地から』(海南友子監督)というドキュメンタリーを観た。太平洋戦争時に旧日本軍によって行われた〈遺棄毒ガス・砲弾問題〉がテーマである。60年も前に日本の軍隊が毒ガスや砲弾を捨ててそのまま置き去りにしてしまったために、中国では21世紀の今、子供や若者も入れた人たちが苦しみ続けている、今日的な話である。
上映会場の日中友好会館へはJR飯田橋駅の東口を出てさらに東の方へ歩いてゆくと、たどり着いた。ここを訪れるのは初めてだったが、文字通り中国との文化交流を目的としたもののようだ。立派な建物のなかに美味しそうな中華料理の店や、中国語の学校もあるようである。平日の夜7時からの会。ポスターから推察するに観る側にとって気の重いテーマであるだろうし、上映会は何日も前から開催されている。どれほどの人が来るのだろう……と思っていたら、意外と多くの人が会場ロビーにはおり、上映会場には次々と観客が入ってくる。総勢、50人近くいたのではないだろうか。
映画には中国ハルピンにある小さな料理店で皿を片付ける若い女性が出てくる。彼女の名前は、リュウ・ミン。27歳だという。すらりとした姿にショートカット、Tシャツとパンツ姿のリュウさんはいかにも今時の若い女性、といった姿形だ。が、その表情はおそろしく暗い。目線はつねに下を向いており、上や横に視界がないかのようだ。料理店のテーブルを片付け、皿を洗うリュウさん。毎日、休みなく働いている。働いても、働いても、返しきれない借金があるという。
両親に恵まれ、幸せな家庭に育った彼女であったが、1995年、19歳のときに、父親が旧日本軍が敗戦時に捨てた砲弾の事故にあった。手足が吹き飛び、18日間苦しんだあげく、父は死んだ。住んでいた家も失い、後に残されたのは治療にかかった莫大な費用の借金である。働きすぎて体調が思わしくない母親とリュウ・ミンは、生涯働いても返せない借金のために働きづめ。灰色の画面には彼女が負っている苦渋の暮らしぶりが映し出され、息苦しさすら覚える。
また別の人が出てくる。年配の男性は居間に現れ、少し話すやいなや、タンが出てくる。これが、まったく止まらない。真夜中、カメラは彼の寝室に据えられる。時間の掲示と大まかなシルエットとともに音だけがきこえてくる。男性が夜中に息苦しくて咳き込み、タンを吐き出す様子が延々と聞こえてくる。彼もまた、旧日本軍の毒ガスの犠牲者である。
次から次へと出てくる悲惨なケースは、現在の中国の話である。60年も前の旧日本軍の“お土産”が、遺棄ガス・砲弾というかたちで、今の中国の人に、いきなり襲いかかる。あちらの医療システムや社会保障はどうなっているんだろう。日本はこれに対してどう責任をとるのか。被害者の理不尽な生活のようすを見せつけられるに従って、つぎつぎと疑問がわき起こる。
つい最近、2003年にも東北部のチチハル市で、遺棄毒ガス兵器の事故が起きた。1名が死亡、子供を含む43名が深刻な後遺症を負った。中国のTVや新聞で大々的に報じられる、いたましい事故の様子。
旧日本軍の存在すら知らない幼い子供が太平洋戦争時代の毒ガスの犠牲となっているのを見るのは、じつに心傷むものがある。とはいえ、このことは日本ではあまりにも知らされていない。一方、中国の人にとっては今日的な問題となっている。この溝はとても大きく深いように思える。
なんとも暗い画面が続く。ロシア風の異国情緒ただようハルピンの町にはいつも暗い雲が立ちこめており、地面に積もる雪はその凍える寒さと被害者の心境を代弁しているかのようだ。ナレーションも入らない。被害者の口から出てくるのは、遺棄毒ガスや兵器が人体に及ぼす、信じられないような苦悩の日々。けして心地よいものではない画面の連続に、辛い気持ちになる。が、登場する人々にみな生きてゆく尊厳を捨てまいと必死になっている様子があり、それが僅かながらの救いとなっている。と同時に、これは現実であり、私たち日本に暮らす者がこの事実を知らないでは済まされない、という気持ちがふつふつと湧いてくる。
人の心の温かさを痛感させられるエピソードもある。やはり被害者となった一組の夫婦が、戦争中に毒ガスを製造していた広島を訪れた。そこで知らされたのは、毒ガス製造に動員された多くの日本人もまた被害者であったということである。ふたりの帰国後、原子爆弾の惨状を映した写真集が送られてくる。悲惨なシーンの連続を眺めながら妻がいう。「日本人も大変な被害に会った。彼らもまた被害者なんだ。」
この被害者夫婦には、加害者である日本あるいは日本人をすべて敵とみなすのではなく、他者への配慮を抱くゆとりがある。まるで余裕のない生活ぶりと、原爆犠牲者の傷みを自分のことのように引き寄せる広い心。現実には、太平洋戦争における日本人は、被害者が同時に加害者にもなっているのだが、ここでは単純に、この夫婦の心の大きさに救われる思いがした。
このままではいられない。1996年、リュウ・ミンたち遺棄ガス・砲弾の被害者は日本政府を相手に裁判を起こした。2003年9月29日。「旧日本軍遺棄毒ガス・砲弾被害事件第一次訴訟」で、東京地裁は日本政府の責任を認めた判決を出した。リュウ・ミンたちへの損害賠償も認められた。これで彼女は借金を返済し、母を楽にさせて、念願の教師となるべく勉強もできるようになる。
喜びもつかの間、日本政府は控訴した。また長い裁判での闘いが続き、時間とお金をかけたからといって勝訴できる保障はない。リュウ・ミンともう一人の原告の男性が乗った車は、光を受ける国会議事堂を後ろに見ながら、悲嘆にくれるばかり……
見終わった途端に思ったのは、「なんとしても、リュウ・ミンの笑顔が見たい」ということであった。そばによってギュッと抱きしめてあげたくもなった。自分の体温が少しでも彼女に伝わればいいのに。27歳という人生、まさにこれから希望の帆をいっぱいに膨らませているような時期に、聡明そうな彼女がこれほど乏しい表情をしていていいのだろうか。リュウ・ミンが嬉しそうな表情を浮かべたのは、東京地裁で勝訴が決まった直後である。まさに、希望の星が輝いている、という顔つきだった。それが日本政府の控訴によって、またしても暗闇に突き落とされている。
海南友子監督の登場人物への視点はあくまでも優しく、近所の友人や親戚のおじさん・おばさんの話を聞いているかのようだ。と同時に、なんらかの戸惑いが感じられる。監督自身、すっきりと解決しないものを抱えながら、それでもこれを日本の人に伝えなくてはというやむにやまれぬ思いが画面から伝わってくる。
リュウ・ミンは今日もまたハルビンで休日も無く働きづめなのだろうか。病弱の身体を押しても働かなければならない母親に寄り添って歩く彼女のTシャツには、大きく〈LOVE〉とプリントしてあった。
「日本で暮らすあなたにとって、〈LOVE〉とは、なんですか?」
彼女から、こう問われているような気がした。たとえばそれは、リュウ・ミンの人生に起こったことを自分の人生に引き寄せてみることだろう。彼女が理不尽な境遇から抜け出せるために、自分になにができるか考えてみることだろう。
すっかり夜もふけた帰り道、外堀通りから飯田橋東口の交差点を渡り、友人と中華料理屋へ入った。映画の後で紹興酒を飲む気になれず、珍しく飲み物はお茶だけにした。リュウ・ミンは今もまた食卓を片付けたり皿を洗い続けているのだろうか。JR総武線の電車の窓から千代田区の夜景が見えた。夜なので自分の顔も窓ガラスに映り込んでいた。そこに、つい先ほどまで映像として観ていたハルピンの景色を思い出し、さらにその上にリュウ・ミンの硬い表情を重ね合わせていた。
4月に入って、映画の上映会場となった建物と同じ敷地内にある中国語学校の窓ガラスに金属弾が撃たれたという報道を聞いた。中国の反日デモへの反発からのようである。中国における一連の反日運動が過激化していたとはいえ、暴力に暴力で応えるやり方ではまるで問題の解決にならない。あのドキュメンタリーを観ていたら、こんなことはできないだろう。『にがい涙の大地から』に登場する人々は、誰も日本に“復讐”しようとしていなかった。限られた情報をもとに感情的に敵対するだけでは、リュウ・ミンはいつまでも微笑みを浮かべられない。
あなたも『にがい涙の大地から』を観てみませんか。そして、私たちにも〈LOVE〉があることを、彼女に伝えてみませんか。
全国各地で随時、上映会が開かれています。詳しくは、こちらを御覧ください。
「海南友子オフィシャル・ウェブサイト」http://kanatomoko.jp.todoke.net/
★[2005.6.27.]