★「市民防衛の原点へ戻れ」
9.11 については、世界貿易センターの惨事ばかりがクローズアップされる。このビルのなかにいて死んだ人たち、勇敢な消防士や警官たちの悲劇が語り伝えられ、やがては神話・伝説の類にまで昇華していくであろう。
ハイジャックされた旅客機には、たくさんの乗客がいた。彼らは携帯電話を武器として、「テロリスト」たちに戦いを挑んだ。これに対して、アメリカが誇る軍はいったいなにをしたであろうか。乗客たちの行動を注視し、アメリカの国防政策に疑問を投げかける思想家がいる。ハーヴァード大教授で、哲学者のエレーン・スカリーである。彼女の主張が『ボストン・グローブ』紙に掲載されている。これを読んでみよう。
スカリーは、事件から一年を過ぎたいま、「アメリカが国家として自らを守ることの困難さ」というテーマについて、広く議論が行われていないことについて、不満を表明している。
あの日、ハイジャックされた旅客機は 4 機であった。これに対して、軍、国家の防衛組織はなす術がなかった。ペンシルヴェニア州に墜落したユナイテッド 93 便は、軍によってではなくて、一般市民である乗客たちによって、首都ワシントンの目標物に激突するミッションを果たすことを阻止された。これは市民防衛の勝利だったというのが、スカリーの立場である。この一機に視点を据え、現在のアメリカの国防の基本的な考え方に誤りがあるのではないかという問題提起をしている。
なお、ひとつ注釈をつけると、93 便のハイジャック犯が目指したのはホワイトハウスだったという説が有力だが、事件から一年後の今年 9 月、アルカイダの幹部が明らかにしたところでは、「民主主義のシンボル」として、ワシントンの連邦議会議事堂を狙ったものだったという。ホワイトハウスが、アメリカ-本土へのテロの対象になっていなかったという「事実」は、なかなかに興味深い。
9.11 の防衛がうまくいかなかったのには、事態が急速に展開したということが大きく関わっている。「スピード」は、じつは過去半世紀にわたって、アメリカの国家防衛に関する議論の核心部分でありつづけた。巨大なミサイルシステム、これは分単位で作動することになっている。大統領の命令もそうであり、ミサイルの発射までの時間も同様である。ターゲットにも数分で到達しなくてはいけない。「超音速」「一触即発」といった用語は、ハイスピードを体現している。
第二次大戦以降ずっと、憲法に規定されている宣戦布告が行われないことも、スピードと深く関わっている。すぐに行動しなくてはいけないから、憲法を迂回するのは仕方がないことだという風潮が定着している。これは、ジョージ・W・ブッシュ大統領に、イラク開戦の全権が委ねられたことにも通じているはずである。核兵器は大統領の判断で使用が決断され、その途端に核戦争がはじまる。アメリカ大統領の意志で、人類は絶滅できるわけである。となれば、大統領の側から見たら、在来の戦争などどうでもよくなるにちがいない。
生活のハイスピード化、技術の急激な進歩、これらを前にして、いちいち議会におうかがいを立てたり、国民全体の賛否を問うたりするのは、まどろっこしい。建国の父祖たちは、超音速になど無縁であった。その当時のままに議会で討論を重ねるなどアナクロニズムもいいところだということになる。音よりも速く飛んでいく飛行機と兵器があるのに、だらだらと議論を費やすのにどんな意味があるのか、と。
しかし、9.11 の事件では、人間の行動のほうが迅速であって、一方、半世紀にわたって憲法をないがしろにして追求してきたスピードのほうにはまるで現実感が伴っていない。
アメリカン航空 77 便
4 機のなかのアメリカン航空 77 便を見てみよう。この旅客機はワシントンからロサンジェルスまで飛ぶことになっていたが、時速 500 マイルでペンタゴン (国防総省の庁舎) に落ちた。この建物の 200 万平方フィートが被害を受けた。189 人が死んだ。乗客が 64 人と、ペンタゴンの職員が 125 人。重傷者も多かった。
死者を悼み、負傷者に慰めの言葉をかけるのはいいとして、はっきりしておかなくてはいけないことがある。ペンタゴンを本拠とするアメリカ軍は、9.11 に、アメリカ全体どころか、自らをさえ守ることができなかったのである。
たしかにこのとき、アメリカ軍はきわめて短時間に反応することを求められた。しかし、憲法をないがしろにしてまで正当化されるスピードというところで言えば、ペンタゴンを守るのに十分すぎるぐらいの時間があったはずである。複数の飛行機が乗っ取りに遭ったことは 1 時間 21 分前にわかっていた。ハイジャック犯たちが死者の数を最大限にしようしているという警告はすでに 58 分以前に出されていた。77 便がハイジャックされた可能性があることが判明してから 55 分。ハイジャック確実となって 20 分。このとき F-15 と F-16 戦闘機が出撃した。そのパイロットたちにはなんの過失もなかったし、不適切な行動も見られず、勇気に欠けるということもまったくなかった。にもかかわらず、彼らの行動、あるいは非行動の理由は、いまから考えれば、とうてい受け入れられないものだったと思える。
こうして、スカリーは慎重にそして断固として論議を進めていく。
軍が 77 便をインターセプトできなかったわけははっきりしている。第一に、同機のトランスポンダー (電波の中継器) のスイッチが切られていたために、追跡が困難であったこと。たしかにそうだが、アメリカおよびその同盟国に対して発射されるミサイルだって、トランスポンダーなど装備していないはずである。第二に、77 便の無線機が作動していなくて、このときアメリカの空域にいた少なくとも 11 機が同様の状態にあったため、ハイジャックとは断定できなかったとされる。これも間違いないが、ミサイル防衛においては、ただちに識別しなくてはいけないおとりや誤目標は、数百とあるはずである。いずれの理由も、逆に、これまで信じられてきた軍事上の常識を厳しく疑ってかからねばならない証拠となってしまう。
ペンタゴンを守れなかった、もうひとつの決定的な理由がある。それは、機上より多くの生命が地上で失われる可能性があるからといって、これを避けるため機上のそれを犠牲にする決断を下す権限を軍が勝手に行使して旅客機を撃ち落とすことはできないというものである。これも正しい議論である。しかし、これまで長いこと、アメリカの国民全てを直接的に危険にさらすような軍事行動をとる可能性を示唆しておきながら、それらの行動についてはアメリカ国民の同意を得ようとしたことはなかったではないか。いまさらなにを言っているのか、である。
ユナイテッド航空 93 便
つづいて 93 便である。この飛行機がテロリストによって支配された約 40 分の間、小さなアメリカ領が侵略を受けていたことになる。市民兵士たちはここを取り戻そうと努め、自らの生命を失っていく、その過程において、アメリカの領土が回復されたという事実に注目する必要がある。
こうしていよいよ、スカリーはその主張の核心へ入っていくのだが、その前に、93 便のたどった道筋を略述しておこう。
午前 8 時 42 分に、93 便はニュージャージー州のニューワーク空港を離陸してサンフランシスコに向かう。機種はボーイング 757 型である。ペンシルヴェニア州に入ろうとする 8 時 53 分に、シカゴのオペレーション・センターからのメールで、他のユナイテッド機がコックピットに侵入を受けているという警告を受信した。機長らは、メールを受け取った旨応答し、ペンシルヴェニア州を西へ横断していく。この警告がハイジャックの発生を告げているのはあきらかだったが、93 便の機長らは、自分の機がやられるとは予想だにしなかったはずである。その 35 分後に、ハイジャック犯がコックピットに押し入ってくる。
9 時 36 分、93 便は V 字型に左旋回すると、南東のワシントン方向に進路を変え、その 30 分後の 10 時 6 分に、ピッツバーグに近い農地に、160 度の角度で突っ込んで、機内の全員が死亡する。
ハイジャックされた4機のうち、この 93 便のみボイス・レコーダーが回収されている。アラビア語と英語の怒鳴りあう声、食器の割れる音などが、そこに録音されている。実行犯のひとりがコックピットのドアを開けたまま乗客を引っぱり出せ、と叫び、他の実行犯は酸素を止めろと怒鳴っている。その後正体不明の衝撃音だけが聞こえている。この直後の激突で生じた穴の深さは 15 メートルに及んでいるといい、抵抗する乗客たちと犯人が、操縦かんを奪い合ううちに、猛スピードで墜落したものと考えられる。(青木冨貴子著『FBI はなぜテロリストに敗北したか』新潮社刊、を参照)
93 便は、じつは、アメリカ軍の戦闘機によって撃墜されたのだという説があり、現在もかなり信じられている。しかし、スカリーが展開する議論を読むうちに、この説そのものが、アメリカの軍や政府によって意図的に流されたものではないかと疑いたくなる。軍はやはり、ワシントンの政府中枢を守ることに成功したのだと、この説はほのめかしているではないか。
さて、スカリーの主張へ戻ることにしよう。
乗客たちが行動できたのはなぜか、と彼女は問いかけるのである。そして「9.11 の 93 便は、小さな立法会議ないしはタウン・ミーティングのようなものになった」と考える。激突までの二十数分の間に、乗客たちは、次ぎのようなプロセスで共同行動をとっている。
1=ハイジャック犯全員の位置、彼らひとりひとりが抑えている乗客の人数を明らかにする。これらのことが現在わかっているのは、機内の模様が、携帯電話によって地上にリアル・タイムで伝えられたからである。
2=機外からの電話連絡で、世界貿易センターの運命を知らされる。この情報が鍵になった。つまり安全に着陸することはできないのだということが、これでわかった。この飛行機の墜落によって、地上の人たちが生命を失ったり、傷を負うであろうことも明らかになった。
3=世界貿易センターの倒壊に関する情報を確認する。たとえば家族に電話をして、「機内で囁かれているけれど、これはほんとうか」と問いただしたりしている。
4=なにが適切な行動であるかについて、乗客同士で話し合い、外部との接触を通じてアドヴァイスを求める。スチュワーデスのひとりは、地上夫への電話で、コーヒーを注いでまわっていて、ポットの熱湯をハイジャッカーたちにぶちまけようと思っているが、他にいいアイディアはないか尋ねている。夫は「それが最良の方法だからやるべきだ」と答える。テロリストたちを襲う計画への意見を求めて、家族や職場の関係者に問い合わせた乗客もいる。
5=乗客たちの間で、「蜂起」の是非をめぐって、賛否の票決が行われたらしい。
6=必死の行動に出ることによって死に至るかもしれないと覚悟を決める。ケータイを通じて、家族とともに祈り、あるいは機内にいる他の人々のためにも祈ってくれと頼むこともしている。男性客のひとりは、職場の女性上司に電話をし、ふたりはケータイ越しに旧約聖書の詩篇 23 篇を暗唱しあい、共に祈りを捧げている。なお、23 篇は次の通りである。
主はわたしの牧者であって
わたしには乏しいことがない。
主はわたしを緑の牧場にふさせ
いこいの汀にともなわれる。
主はわたしの魂をいきかえらせ
み名のために
わたしを正しい道に導かれる
たといわたしは
死の陰の谷を歩むとも
わざわいを恐れません。
あなたがわたしと共に
おられるからです。
(『オレゴン魂』という西部劇には、牧師の娘がこれを唱えながら、悪漢に立ち向かい、神の助けを求めるシーンがある。)
7=愛する人々に別れを告げる。ケータイで家族の者と話すことのできた乗客は全員が、相手への愛を語っている。
8=行動開始。力づくでコックピットへ侵入する計画が実行されたらしい。電話を切らないでほしいと言ったまま「突撃」していった人たち。戻ってこられると考えていたのかもしれない。あるいは、自分たちの行動を記録に残しておこうとしたのか。こうして、最後の絶叫や衝撃音が電話に残った。
ハイジャックなど、航空機内外のパニックをテーマにした映画では、ひとりないしは少数のヒーローやヒロインが、最悪の事態を回避するために英雄的な働きをすることになっているが、93 便ではちがった。人々が手を伸べ合い、力を合わせて、「悪」に立ち向かっている。
ハイジャッカーのほうも、この場合、自分たちのミッションへの脅威が、外部から軍によってもたらされるのではなくて、乗客からやってくることを自覚していたらしい。彼らは、アラビア語のマニュアルのコピーを大量に残しているが、そこには、戦闘機に対してどう対処するかは書かれていない。しかし、乗客の抵抗に遭ったときはどうするかについては、詳細な記述がある。
市民防衛?
ペンタゴンに突っ込んだ 77 便と、ペンシルヴェニアで墜落した 93 便とは、「国家防衛に関する異なったふたつの概念」を表徴していると、スカリーは考える。前者は権威主義的、中央集権的、そしてトップダウンの防衛思想。後者は分散的、平等主義的、そして、アメリカ憲法の起草者たちが市民に求めていたものと合致する考え方である。
戦争開始の決定が、一点に集中することなく、分散されるように、憲法はふたつの規定を設けている。ひとつは、議会による宣戦布告である。これは上下両院の公開討議を経て行われる。もうひとつは、憲法修正第 2 条である。これは有名な銃器所持を認める条項で、次ぎのような条文になっている。「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保蔵しまた携帯する権利は、これを侵してはならない」 ここには、大統領や王の恣意で使われる軍隊への拒否の姿勢が明確に打ち出されている。一方、各地に展開し、各年齢層、さまざまな社会層に分散する民兵には同意する。散開する民兵なしには民主主義はありえないという考え方の表明である。自らを守ることなくてどうして自治がありえようかとする、きわめてラディカルな思想が、アメリカ憲法には塗り込められているのである。生殺与奪の権利を他人に渡してしまったら、自ら治めるものはどこにもなくなる。
なお、日本における自衛論は、国を守るために軍隊が必要であることを、当然の前提としている。しかし、スカリーが主張するアメリカ憲法の前提はちがう。国を守るのではない、国民ひとりひとりが自らを守るのである。そのためにどうするかを、軍隊よりも先駆に考える。
アメリカ領土上空でのテロリズムに対して、これまで有効だったのは、この平等主義的防衛モデルだけだと、スカリーは考える。まず、9.11 で、乗客たちが力を合わせたおかげで、飛行機はワシントンへ行くことができずにペンシルヴェニアに墜落させられた。つづいては、昨年の 12 月 22 日にも、パリからマイアミへ向かうアメリカン航空の機内で、靴に隠したプラスチック爆弾の爆発が未然に防止された。これも乗客と乗務員が協力しあったからである。この飛行機にはアメリカ軍の戦闘機がぴったりくっついて飛んだし、着陸するとFBI捜査官が機内に突入したけれど、6 フィート 4 インチの大男のテロリストを抑え込んだのは、そこに乗り合わせた人々に他ならない。犯人自身の髪や革ベルトやイヤフォンワイアで拘束し、同乗していた 2 人の医師が鎮静剤を打ったおかげであった。
旅客機がテロリストに奪われた場合、外部からこれを守ることは、時間の点から見て「構造的に」無理だと、スカリーは断定する。9.11 に、ペンタゴンに向かっていた飛行機の進路を妨げることが、戦闘機にはできなかった。フロリダで、小型機のパイロットがわざと高層ビルにぶつかったが、これも阻めていない。ワシントンの進入禁止空域内に偶然入り込んでしまったという飛行機についても同様であった。また、合意形成という観点からも、外部からの阻止は不可能である。戦争の場合、ひとりの兵士が勝手に 200 人の味方を殺す権限は与えられていない。とすれば、ひとりの操縦士に 200 人の同国人を殺害することがどうしてできるのか、とスカリーは問うている。つまり、9.11 以降、7 カ月にわたり、ワシントンやニューヨークの上空をアメリカ軍の戦闘機が飛びつづけていたわけだが、これらの乗員は、旅客機乗っ取りに際していかに行動するかについて、どんな指示を受けていたのか。現在では四六時中飛んでいることはないけれど、なお断続的に警戒飛行がつづいている。この場合の乗員はどうか。その指示内容については、高官だけが知っているようだが、公の議論をする必要があるのではないか。つまり、まさかの場合に、撃たれ撃墜される側に立つかもしれない市民の同意を得ないでいいはずはない。
9.11 以後、本土防衛がしきりに言われる一方で、市民によるコントロールがますます効かなくなってきていることに、スカリーは懸念を表明している。ケータイで使われている無線ネットワークがその典型で、緊急の場合には政府がこれを抑えるほうがいいという考え方が、連邦通信委員会内部に出てきている。すでに見たように、ケータイが、あるいはケータイのみが、9.11 で実質的な防衛行為を遂行するのを可能にしたわけである。なす術を知らなかった政府が、市民にとって有効な防衛手段を取り上げてしまうことの不合理あるいは理不尽が問われる。
中央集権化された国防に頼りすぎる危険がもっとも明らかになるのは核兵器である。核兵器の使用には、国民による同意・不同意の原則がまったく通用しない。大統領が決断を下す。この決断の瞬間はすでにハリウッド映画が何度も描き出している。あとはノンフィクションになるのを待つばかりである。ヨーロッパで核兵器を「君主の兵器」と呼んでいる理由はここにある。平等主義的な国防に立ち返ろうとすれば、在来兵器へ戻ることが必要だと、スカリーは力説している。こうなると、徴兵制の導入も必然になる。日本では徴兵制というと、国家による強制行為、滅私奉公のシンボルととらえられる。しかし、スカリーの議論を推し進めると、徴兵制への回帰は、「市民を通過せず大統領だけで戦争を遂行することはできない状態に戻ること」を意味している。市民を通過するとは、戦争の是非について何度も何度も議論しなくては殺し合いができないということである。軍務に駆り立てられる市民側が、まず殺し合いを納得しなければならない。
核拡散を防止したり、生物化学兵器を抑え込む努力をすることが無意味ではないけれど、結局、アメリカがそれらの兵器を捨てないことには、最終的には解決しない。これはおそらく大方の同意が得られるところであろう。アメリカは軍事的優位を保ち、支配的な地位を保ちつづけるために、これら先端兵器に固執している。ところが、9.11 は、そのアメリカの領土内でアメリカの国防の根幹が誤っていることが確認された。したがって、スカリーは、正しい国防、つまり「自衛の民主的形態」へ戻るために核兵器などを捨てなければならない、と主張する。そのときはじめて、イラクをはじめとする「敵性国家」と友好諸国との両方を説得する「真のプロセス」がはじまるのだと。
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(2002.10.18.)