ロシアの劇場占拠と時を同じくして起こった、アメリカの連続狙撃事件は、容疑者のジョン・アレン・ムハマドと、17 歳の共犯ジョン・リー・マルヴォが逮捕されて、一応決着した。しかし、彼らふたりが、ヴァージニア州で裁判を受けることになり、これが物議を醸している。
狙撃の件数は隣のメリーランド州が多かったので、通常はここで裁かれることになるが、ヴァージニアが裁判地として選ばれた理由は明らかである。犯行時に
18 歳未満の未成年であった場合、メリーランドは死刑を認めないからである。つまりマルヴォに死刑の可能性がなくなる。ヴァージニアを決めた司法長官のジョン・アッシュクロフトはこれを嫌ったものと思われる。ちなみに、1985
年以降、未成年者に死刑を課している国家は、合衆国以外では、イラク、イラン、バングラデッシュ、ナイジェリア、パキスタン、サウディ・アラビア、それにイエーメンを数えるのみである。イラクとアメリカは同じ部類に属している。
メリーランドはまた、これまでの例からして、死刑を適用するとしても、そこに至るまでのプロセスが煩雑をきわめ、速攻で審理が進むとは考えられない。ところがヴァージニアは、アメリカ 50 州のなかで、死刑執行率第二位を誇っている。第一位が、かつてジョージ・W・ブッシュが知事を務めていたテキサス州である。
殺したヤツらはどんな理由があろうと、年齢がどうであろうと、絶対死刑にしてやるぞという意志が、この選択にははっきり出ている。つまり、国家的規模での復讐が意図されていると考えないわけにはいかない。
西側諸国で、現在、死刑をしきりに奨励するのは、アメリカのみである。二、三百年前のイギリスでは、200 種類の犯罪について死刑にすることができると法律上考えられていた。腹が空いて食べ物を盗んだだけでも死刑の判決を受ける可能性があった。しかし、しだいに適用範囲が狭くなって、1965 年には殺人にも適用されなくなった。それでも、1998 年までは、戦時の軍事行動を妨害した場合の死刑規定は残っていたけれど、実際に執行されたケースは 1964 年を最後にない。
しばらく前、アメリカも趨勢としては死刑廃止に向かっていた。60 年代に執行件数が極端に減少している。非公式に 10 年間の執行停止が 67 年にはじまっている。72 年、最高裁は、全ての州の州法にある死刑条項を無効としている。
ところが、76 年に至り、突然に死刑は息を吹き返す。ここで、アメリカとヨーロッパの差違がきわめて鮮明になった。現在、EU 加盟国ではどこも、死刑の判決を受けそうな犯罪容疑者を合衆国に送還することはないはずである。最近では、ドイツが、その憲法にしたがって、イスラム・テロリストのひとりと目されるザカリアス・ムサウイを起訴するために必要だとしてアメリカ側から求められた証拠の提供を拒んでいる。彼に死刑が言い渡される可能性があるからである。
アメリカが死刑にとりつかれているのは、なぜか、と弁護士のスティーヴン・デイは問う。その最大の理由として挙げているのが、昔ながらの人種主義である。人種的に単純明快な社会だったら、とっくの昔に死刑はなくなっていたというのが、デイの考え方である。たしかに、少数民族に、圧倒的に高い比率で死刑は適用されている。とくに白人が黒人に課するもの、それが死刑であるという常識はいまもある。
ただし、先の狙撃事件は、人種関連ではない。これが白人が犯人であっても、同様のきびしい世論が沸き起こったと思われる。もっとも、こうしたことを考えると、死刑制度を公正に運用しようということよりも、被告に対する憤りが、結局は、死刑になるか死刑にならないか、を決めてしまう事実に思い至るのである。人種は、その怒りの炎に油を注ぎ燃え上がらせる役割をしてきたことになる。
ギャラップの調査では、72 パーセントのアメリカ人が、死刑を支持しているという。この圧倒的な数字を前にして、死刑反対派が強かった民主党内でも、死刑反対を言うものが少なくなっているのが現状である。一方で、73 年以来、誤審などの理由で放免された死刑囚が 100 人を越えるという事実は、ほとんどないがしろにされている。
やられたらやりかえす、復讐の論理が、この死刑への賛同を支える。これは、日本などのように、極悪人は死んでもしょうがないし、死をもって自らの罪を償うのは当たり前という、どちらかというと、因果応報のマイルドな死刑肯定論が幅をきかせる日本と比べると、燃え上がった感情を吐き出すための出口として、死刑が使われているきらいがある。自分の手で殺したいくらいであり、実際、それが認められれば、銃を手にはせ参じようという人たちには事欠かないはずである。
現在の大統領ブッシュがしきりにこだわる、イラクへの「死刑宣告」にも、父親ブッシュが、サダムの命令による暗殺の危険にさらされたことへの復讐の色合いを見出せるのではないか。
10 月に、連邦最高裁は、犯行時に 17 歳だった死刑囚に関する審理をやり直すことを、5 対 4 の僅差で否決している。反対意見のなかで、ジョン・ポール判事が書いている。16歳とか17歳に死刑を適用するのは、「過去の遺物であり、文明社会における品位の基準を発展させることとも相容れない」と。
17 歳の容疑者マルヴォへの死刑に反対する声よりも、「狙撃犯に死を」の大合唱のほうがはるかに大きい。アメリカは死刑でも超大国なのである。「我々はこんなことを名誉にしたいとほんとうに思っているのか」と、デイ弁護士は問いかけている。
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[2002.11.20.]