★ローズヴェルトの「戦争責任」

 開戦記念日、つまり日本軍が真珠湾を攻撃して太平洋戦争をはじめた日は、ほとんど話題にもされずに過ぎていったが、今年、アメリカで『偽りの日』Day of Deceit(Free Press)と題する、一冊の本が出版されている。サブタイトルに、「ローズヴェルト大統領と真珠湾の真実」とあるように、本書は、大統領が日本軍の「奇襲攻撃」を事前に知っていたという、かなり確度の高い風説を検証したものである。
 著者のロバート・B・スティネットRobert B. Stinettは、『オークランド・トリビューン』紙やBBC放送で仕事をしてきたジャーナリストである。彼が、今年、オークランド(カリフォルニア州)のインデペンデント・インスティチュートの「インデペンデント・ポリシー・フォーラム」で行った講演をもとに、その論旨を紹介しよう。


Day of Deceit


降格されたふたり■

 アメリカ側が日本軍の攻撃を事前に知っていたという問題には、ふたつの側面があるという。
 ひとつは、ローズヴェルトをはじめとするアメリカ政府首脳部が、日本を奇襲攻撃に仕向けたかどうかという点。ふたつめは、この攻撃計画に関する情報を得ていたにも関わらず、軍司令官のハズバンド・E・キンメル提督とウォルター・ショート中将とに伝えていなかったのではないかと疑われる点である。
 後者のほうについては、「国防委任法」にクリントン大統領がサインすることで明確なものになった。同法のなかで、真珠湾関連の過去の調査結果が覆されて、キンメルとショートが、決定的な機密情報にアクセスできなかったことがオーソライズされた。
 ふたりは、日本軍がハワイを侵攻しようとしていることを知らされず、にもかかわらず、攻撃をかわせなかった責任を問われて、降格されている。なお、両軍人の名誉はなお回復されていない。
 今後問われるべきは、第一の点、ローズヴェルトの責任であろう。来年5月に、ディズニーの制作で、真珠湾攻撃を主題にした映画が公開される予定だが、このなかでは、大統領の責任については触れていないらしい。

戦争反対の世論に抗して■
 1940年当時のアメリカでは、無着陸太平洋横断で英雄になったチャールズ・リンドバーグが先頭に立つ不干渉運動が盛んであった。ヨーロッパでナチスが勢いを増していたけれど、それでも、アメリカ人の8割は、戦争に反対の意見を持っていた。
 これを突破するのには、「まず日本人に攻撃を仕掛けさせる」ことが必要だったという考え方は十分に成り立つ。
 日独伊の枢軸三国は、40年9月27日に、同盟関係に入った。それから10日後、海軍諜報局の高官であったアーサー・マッコラムという人物が記した秘密メモが、1995年に、情報公開法で公になった。
 そこには、ハワイ基地にアメリカ海軍の艦隊を留めて、日本軍をそこに引き寄せる必要が論じられている。日本がアメリカと戦争状態に入れば、同盟の相互安全保障規定が有効になり、それによって、アメリカは第二次大戦に参入できるはずである。
 このメモが書かれた翌日の10月8日に、海軍参謀総長ジェイムズ・O・リチャードソンがホワイトハウスに呼ばれ、日本を挑発する計画を告げられる。大統領と軍司令官の間で、このとき激しい議論が戦わされた。リチャードソンは、部下と艦隊を危険にさらすことに強く反対したという。
 この後、参謀総長は更迭され、後任に、目立たない存在だったキンメル少将が任命された。彼は提督に昇進している。ショートも同様の人事で、少将から中将に昇格して、ハワイの地上軍を統率する任務に就いた。

暗号解読■
 アメリカ側が、真珠湾攻撃計画を予知したのは1941年1月のことであった。以後、日本側の外交および軍事情報の暗号解読を進めて、この計画の進行を詳細にチェックすることができた。
 一日に少なくとも1,000通に及ぶ無線情報が解読されて、攻撃が12月7日に設定されたことも明らかになっていた。
 1941年11月27日と28日に、キンメル提督とショート中将は、大統領から直接に「合衆国は日本の先制攻撃を望む」故に、防御の態勢に入ることを命じられた。
 ただし両者だけが、アメリカ政府首脳のなかで、日本側の機密情報から隔離されていたという。これらの解読情報は、真珠湾攻撃直後に海軍の厳重な管理下に置かれ、そのまま半世紀あまりが過ぎたわけである。★

2000.12.14)