★未来のはじまりとしての1970年代

60年代と80年代の狭間で■
 79年11月19日号の『ニューズウィーク』が、「アメリカを震撼させた10年…さあ、これから80年代がはじまる」として、70年代を総括する特集を組んだ。
 表紙には、この時代を象徴すると考えられる写真が7点並んでいる。カルト集団「人民寺院」信徒たちの集団自殺現場、ジミー・カーター大統領の仲介による、イスラエルとエジプトの首脳たちの握手、毛沢東の遺体、ホワイト・ハウスを去っていくリチャード・ニクソン、「チャーリーズ・エンジェルス」でスターになったファラ・フォーセット、ベトナムの戦場を逃げまどう裸の少女、そして、ガソリンの値上げを示すガスメーター。
 ただし、これらを一覧しても、鮮明なイメージは浮かんでこない。そう言えばそういう事件があり、そういう人物がいたのは思い出すが、それではいったい70年代とは何なのかというと、ピンとこない。
 70年代にとって不利なのは、その前後の時代が、あまりにも明瞭な性格を持っていることである。
 前の60年代は、アメリカにとって、文字どおりの激動の時代であった。ジョン・F・ケネディ大統領の暗殺、公民権運動、ベトナム反戦、ヒッピー・ムーヴメントなどを通じて、価値観がひっくり返った。後の80年代は、一転、保守派のロナルド・レーガンがホワイトハウスに入って、虚飾と強がりの10年を引っ張った。経済はバブルに沸き、スノビズムが社会全体を覆っていた。84年の華麗なロス五輪は、この時代の祭典として長く記憶されるであろう。
 ふたつの時代の狭間で、70年代は、いまひとつさえない。アメリカがほっと息をついて休んでいるようでもある。アメリカ人の意識のなかでも、あまり重要視されてこなかった。しかし、この時代を見直そうとする動きが、90年代の末になって出てきた。ジャーナリストで、アメリカ社会史の優れた研究者でもあるニコラス・リーマンなどが、その先頭に立った。
 70年代が終わってから20年近く経った時点で、あらためて振り返ると、その後のアメリカ社会、アメリカ人の精神状況の核心部分は、この時代に根があると考えられはじめた。これが70年代の再評価につながっている。
 リーマンは、73年から74年にかけての六ケ月、アラブ産油国が実施した石油の禁輸措置が及ぼした影響に注目している。これによって、直接的には、ガソリンの値上げが招来されたが、アメリカ人の生活意識全般に、影を落とすことになった。
 第二次大戦後、アメリカ人の生活水準は、一貫して上昇をつづけてきた。彼らにとって、今日より明日がよくなるのは当然であり、それ故に、アメリカに希望を抱きつづけることができた。ところが、突然のようにやってきた石油不足によって、全てが足元から崩れた。アメリカ人の実質給与は、73年をピークに下降をはじめたが、この状況はずっとつづいている。
 従来、70年代を語る場合に、ニクソン大統領が辞任に追い込まれたウォーターゲイト事件がもっとも重視されてきた。アメリカの「神話」という扇の、要のような役割をするのが大統領だが、この要が外れてしまい、人々の間に不信感が広がることで、アメリカは求心力を失って、バラバラになっていったとする見方である。
 おそらくは、この政治的大事件に、経済と生活の不安定化が、いわば上乗せされた結果、アメリカ人の心が根底から揺さぶられたというのが、70年代の真実であろう。
 ニュー・ジャーナリズムのトム・ウルフは、この時代に対して「ミー・ディケード」(私主義の10年)というレッテルを張っている。そこには、自分にしか関心を示さないナルシストたちで充満している。
 映画『サタデイ・ナイト・フィーヴァー』で自己陶酔して踊る、白いスーツのジョン・トラヴォルタは、この時代の精神をみごとに象徴していた。それは、70年代後半に爆発したディスコ・ブームにつながったわけだが、自分だけのために踊りまくるのである。
 ディスコを支えたのが、お祭り騒ぎに活路を見出だすアメリカ流のアナーキズムだとすれば、腐りかけた社会に向かって唾を吐きかけ離反を印象づけたのがパンクである。
 既存の体制が統一力を失うということでは先輩にあたるイギリスから、パンクは移入された。クラッシュやセックス・ピストルズが、スーパー・ナルシストたちのアイドルになった。
 自分自身の身体への関心が高まるのも、この趨勢の副産物であった。
 かつてはマーティニに彩られていたランチ・テーブルは、70年代後半には、発泡飲料水ペリエのグリーン・ボトル一色になった。60年代の批判精神を体現した雑誌『ニュー・タイムズ』は79年に廃刊になり、代わって、同じ発行人の手で、ジョギング雑誌が創刊された。ファッション化されたボディ・コンシャスネスは、やがてヤッピーたちのライフスタイルの中核部分を構成することになる。
 それまで、膨脹しつづけるパイを思わせたアメリカが、70年代にはもはや膨らむことができなくなって、そのショックに耐えられずに、中身が崩れ、さまざまに細分化していく。人の関心は、自分とその周辺に局限される。これが、10年の風景だが、じつは、その源をたどると60年代に至る。
 70年の8月、ぼくは、初めてのニューヨークで、歴史的な瞬間に遭遇した。それは、五万人の女性たちが五番街を行進する「平等のための女性のストライキ」である。
 60年代後半から顕著になったウーマン・リブ運動は、このときが転換点であった。示威の段階が終わりを告げて、以後は、女性の力によって家庭やオフィスが実質的な変化をせざるをえなくなる。その結果、79年の離婚率を65年のそれに比べると二倍強になり、同じ時期に、子どもを持つ女性の就業率がやはり倍増するに至った。
 60年代の公民権運動の主役だったアフリカン・アメリカンは、70年代になって広く「認知」される。アレックス・ヘイリーが、アフリカからニューヨークへ連れてこられた黒人奴隷一族の歴史をノンフィクション風に描いた『ルーツ』は、76年からベストセラー・リストに登場し、77年にはテレビ化されて、史上最高の視聴率を上げた。同じ作家が、60年代には、黒人革命家マルコムXの『自伝』の執筆を担当していたことを思い合わせれば、アフリカン・アメリカンをめぐる環境が、いかにちがってきたかが納得できるであろう。
 なお、ビヴァリー・ジョンソンが、黒人モデルとして初めて『ヴォーグ』の表紙を飾ったのも、70年代の半ばであった。
 77年、ニューヨークにオープンし、たちまちもっともシックなクラブとなった「スタジオ54」では、客の70%が、同性愛者に占められた。一方、市内のゲイ・バーで発生した警官との衝突をきっかけとするゲイ解放運動が起こったのは、この8年前のことであった。
 こうして、60年代があふれて70年代に流れ込み、かつては想像もできなかったような、さまざまな要素を抱え込んだ川が、ここからはじまる。
 21世紀をつくるはずのテクノロジーもまた、70年代に端を発している。スティーヴ・ジョブズとスティーヴ・ウォズニアックがアップル氓掲げてアップル社を創業したのが76年である。未来のスタートであった。

70年代語録をいくつか■

 私はイカサマ野郎ではない。 -ホワイト・ハウスを追われた大統領リチャード・ニクソン
           
 私は多くの女性を色情を抱いて眺めたし、心の内ではしばしば不倫をした。 -76年の大統領選に勝利したジミー・カーター
           
 変化の時代に、真実はなにもなく、全てが許容される。 -映画「パフォーマンス」のなかの、ミック・ジャガーのセリフ
           
 ハヴ・ア・ナイス・デイ。-70年代、もっとも広く使われた挨拶表現
           
 愛とは、ごめんなさいを言う必要がまるでなくなることである。 -映画『ある愛の詩』のキャッチフレーズ
           
 大きいことはいいことという観念の正体がばれた。70年代は、アメリカ人がそういった価値観から撤退しはじめた時代だったかもしれない。 -社会学者、シーモア・マーティン・リプセット
           
 モノトーン・ルックはとても面白い。 -デザイナー、ハルストン
           
 神よ! 爺々ロックよ! -ジョニー・ライドンあるいはジョニー・ロットン
           
 相手はだれでもいいのよ、殺すことなんてだれにでもできるわ。 -フォード大統領暗殺未遂犯スキーキー・フロム
           
 人生はかくも美しい。 -『ゴッドファーザー』のドン・ヴィトー・コルレオーネ(マーロン・ブランド)最期の言葉
           
 やろうじゃないか。 -77年に銃殺刑を執行されたゲイリー・ギルモア最期の言葉
           
 私たちスキーについてはよく知っている。落ちていくのはたいしたことではない、ふたたび上ることこそが。 -大統領ジェリー・フォード
           
 アメリカ人は、恐怖を梃子として生き延びる。ぼくたちはタフな人種なのだ。 -スティーヴン・スピルバーグ
           
 人間はどうして戦争に行けるのか、いまも私にはわからない。 -ウォルター・クロンカイト
           
 13のとき、私はオナニーを発見した。 -エリカ・ジョング
           
 今夜/おれたちの運命に/調印するキスを -ブルース・スプリングスティーン「プルーヴ・イット・オール・ナイト」★

(2001.8.0.)