侵略戦争を大目に見ようとして賛否の投票が行われ、それによって選挙で困難な戦いをすることになる議員たちが出てくるという、この政治的状況全体には、若干のアイロニーがつきまとう。昔からの常識には反するが、戦争は、これを推進する政治家にとって、けっして利益にならないのである。ウィルソンとローズヴェルト両大統領は、戦争の埒外にとどまることを公約することで再選されたのである。朝鮮戦争の間権力の座にあった民主党を
1952 年に打ち破ったのは、この流血の終結を約束したアイゼンハワー将軍と共和党だったことを思い出すといい。ヴェトナム戦争は、圧倒的な支持と興奮、強硬主義の熱気ではじまったけれど、終わってみれば、ジョンソン大統領の政治的キャリアに不名誉と屈辱とが残った。ケネディの短い在任期間の間でもっとも大きな挫折は、キューバの政治的変化を求めながら、ピッグス湾事件で悲運に見舞われた一事である。湾岸戦争でさえ、当時圧倒的勝利と考えられ、その余燼はいまも残っているけれど、それが、父ブッシュの
92 年の再選努力にプラスに働くことはなかった。
戦争が政治的にプラスにならない理由はふたつある。無関係な人間たちが死ぬことと、経済がつねに打撃を受けることである。興奮とプロパガンダが過ぎ一段落したときに、このふたつが、かならず人々を不幸せにされる。堂々とした、痛みを伴わない勝利と結びついた高揚感は、死と破壊と経済的苦痛という、あからさまな現実によって置き換えられる。高揚感に代わって、結局残るのは心の痛みである。ピッグス湾でも、朝鮮半島でも、ヴェトナムでも、ソマリアでも、そしてレバノンでもそうであった。
倫理と合憲と正義について聞こうする者はもはやいない一方で、多くの人を駆り立てる戦争と政治には耳を傾ける人がいるであろう。戦争賛成の一票を梃子にしてこの秋の選挙戦で名目上の勝利を得たとしても、ほとんど役には立たないであろう。短期間でもプラスに作用することはない。たしかに、戦争はけっして勝者になれないことを歴史が教えている。とくに、戦費を払い、戦い、そのために死んでいく人々が、この戦争は必要でさえなく、国家の安全や自由への戦いとまったく無関係であり、主権国家を支配することで利益を得るに至る特別な利害につきうごかされたのだということを知るに至ったときはなおさらである。
平和はつねに戦争に勝り、それはまた政治的にも勝者である。
★
(2002.9.24.)