★「教条なき左翼」ニュー・レフトを思い起こせば

カウンターする力■

 先ごろ、ミュンヘンとベルリンを旅している間、街を歩くのに飽きると、ハワード・ジンの『歴史の未来』(1999) を開いて読むのが、楽しみであった。デイヴィド・バーサミアンとの対話を集めたもので、1922 年生まれの歴史学者は、諧謔に富んだおしゃべりでインタビューアを煙に巻いてくれた。冬の旅の息抜きにぴったりであった。

 ジンは、1960 年代の前半に学生生活をしたぼくなどには、「懐かしい」部類に入るアメリカ人である。

 彼は、60 年代前半に、ジョージア州アトランタのスペルマン大で教鞭をとっていたときに、黒人の若い活動家たちの組織 SNCC とともに公民権運動に参加して、大学を解雇されている。その後、ボストン大に移ってからは、ヴェトナム反戦に邁進した。当時の反体制知識人の典型であろう。

 日本にも 66 年にやってきて、小田実氏らとともに、全国各地でのティーチイン集会に参加し、アメリカの「良心」として、反戦を訴えてまわった。

 そのころはもう、ぼくの学生時代は終わっていた。ベストセラーづくりで名を馳せる某出版社の社員になり、『吉本隆明著作集』全何巻かを業界人特権の八掛けで買いこんだりしていたけれど。

 90 年代以降、ノーム・チョムスキーなどとともに、ジンはふたたび浮上し、その発言に接する機会が増えるようになった。ソ連邦崩壊後の第一次、9.11 が引き金になった第二次とつづく湾岸戦争への反対者としてである。

 彼らに当てられる脚光は、アメリカ合衆国の歴史が、60 年代にはじまる周期を終えて、新たなサイクルに入ったことを示唆しているのだと思う。国家がギアを入れ替えようとしている。あるいは、そのように装う。さて、異を唱える側に、これを迎え撃つ力があるのか。

 したがって、60 年代のアメリカに於ける反 (アンチ) の論理をいま問うのは、意味のあることだと思う。ジンのインタビューは、当時のアメリカに於ける反対派、反体制派、あるいは左翼のありようをよく伝えていた。

 そのなかに、60 年代の半ば過ぎに、ジンがエンマ・ゴールドマンの思想に出合って魅了されるくだりがある。ゴールドマンは、ボルシェヴィキのロシアからアメリカに亡命したアナーキストで、スペイン内戦にも参加し、カナダで死去している。

 その反国家、反教条主義、反宗教、政治と経済ばかりでなく生活と文化全体に革命をひきおこそうとする「フリー・スピリット」に、ジンは一も二もなく共鳴する。共産党の教義から距離を置く自分たちと、アナーキストのゴールドマンの「宇宙観」は同じであると明言する。ここには、いかにもニュー・レフトのひとりらしいスタンスがある。

 旧左翼のイデオロギーは、マルクス、エンゲルス、レーニンあたりからやってきた。しかし、新しい左翼は、アメリカの独立宣言と憲法、アルベール・カミュ、ガンジー、カストロ、毛沢東、ボブ・ディラン、ゲバラ、あるいはビートルズまで、現状を否定するエネルギーのすべてを吸収しようとした。ディランを大統領にという呼びかけさえ行われたのが 60 年代である。

 ところで、アメリカ共産党は当時、党員の半数を FBI をはじめとする「官憲の手先」が占めていると言われたほどで、お笑い草のような存在である。「旧左翼」とも言えないほどにお粗末であった。

 事実上、この社会には旧左翼勢力はいなかったと言ってしまってもいい。それだけに、体制に反対する人々は奔放になれた。教条なき左翼とは形容矛盾かもしれないが、それが、ニュー・レフトであった。これまでの左翼運動のなかで、もっともラディカル (「過激」ではなく、本来の意味の「徹底的」「本質的」) なものになった。

 アメリカのニューレフトは、文化を変容させたことによって、そう言えると思う。たとえばこういうことである。先に述べた SNCC でも、ニュー・レフトの中心になる学生組織 SDS でも、女性メンバーが数多くいるのに (SDS の場合で三分の一)、執行部はほとんど男性に独占されていた。これを不満とする女性たちが、後の女性解放運動で活動家になっていくケースが目立った。

 生活のあらゆるステージで、在来の文化に対抗 (カウンター) し、変化をかちとる。自己発現をあくまで求めていくのがカウンターカルチュアの基本であり、ニュー・レフトがもたらした、新しい倫理でもあった。

民主主義の幻■

 ぼくが大学生になったのは 1959 年である。キャンパスはまもなく、60年安保闘争の波にのみこまれる。日本国家ばかりでなく、アメリカにも敵対するデモの列のなかで、大きなジレンマを感じていた。

 小学校に入った 1947 年は六三制の最初の年で、アメリカ軍が指導する民主主義教育が本格的にはじまった。だから、小学校でも中学校でもアメリカン・デモクラシーがいかに素晴らしいかを教え込まれた。美しい庭のある白い家に暮らす、垂涎のアメリカン・ファミリーの映像も、講堂で開催する巡回映画会で見せられた。アメリカに憧れた。(デモクラシーと自分自身との関わりについては、謄写版雑誌『あめつうしん』に連載中である)

 小学校から鍛えられた、筋金入りの民主主義者としては、自由、平等、民主といったコンセプトが誤っているとは思えない。いったいどうなってるんだ ? 「安保反対」のシュプレヒコールを叫びながら、疑問が渦巻いた。それでいろんなものを読んだ。なかでも、『マンスリー・レヴュー』にいちばん教えられた。

 どういう経緯で手に入れたのか忘れたけれど、プレーンな小さな判型の雑誌で、発行部数は極端に少なかったはずである。表紙に刷り込んだ Independent Socialist Magazine 独立社会主義雑誌) の三文字、とくに Independent に、編集者の心意気が込められていると思った。

 難解な経済論文は飛ばして、労働運動や南部の差別などをテーマにしたルポルタージュ風の記事を拾って読んだ。まったく知らないアメリカがそこにあった。自由でも平等でもなく民主などとは縁遠いアメリカ社会を発見した。さっそく定期購読を申し込んだ。

 この雑誌は、著述家のレオ・ヒューバーマンと経済学者のポール・スウィージーとが、戦後まもない時期から発行をはじめたもので、現在も存続している。ヒューバーマンは 68 年に死去したが、スウィージーは、90 代になってなお健在のはずである。彼がハーヴァード大の学生だったころ、都留重人氏と机を並べてマルクス経済学の講義を受けたという話を聞いたことがある。

 この『マンスリー・レヴュー』のルポルタージュに、しっかりした意味付けをしてくれたのが、社会学者 C. ライト・ミルズの著作である。とりわけ、パワーは民主的に社会全体に行き渡っているものではなくて、エリートに集中しているのだという、いまではだれもが知っている事実を論証した『パワーエリート』(1956) は、ナイーヴに民主主義を信じていたぼくのジレンマを最終的に解いてくれたと思う。

 ミルズは、60 年代の大展開を見ることなく、62 年にこの世を去ったが、SDS の理論的バックボーンとして、名を残すことになった。労働者階級をあくまで革命の担い手とする「ヴィクトリアン・マルキシズム」の旧弊を攻撃してやまない論客であった。

 アメリカに育まれた左翼思想のおかげで、ぼくは、学校で教えられた民主主義は額面通りに受け取れないことを知った。それは幻想にすぎないかもしれない、とも。もっとも、アメリカン・デモクラシーの美しい夢から覚めないでいれば、それはそれで幸せだったかもしれないが。

連続性と断絶■

 ニュー・レフトという概念をはじめとして、60 年代から 70 年代にかけての日本には、アメリカの新しい文化が、切れ切れに、しかも大量に流入してきた。なかには、ゲイのように、日本の文化状況に若干の影響を与える現象が見られないわけではない。しかし、反対派の思想として根づいていったとは思えない。

 アメリカの 60 年代が、日本にどのような文化的影響を残したかという質問を受けたとしたら、否定的な答えをしないわけにはいかない。

 一方のアメリカでは、60 年代から現在へ、時代の連続性を確認できるケースをいくつも見出せるからである。

 近年のコンサートで『風に吹かれて』や『ライク・ア・ローリングストーン』を歌うボブ・ディランに耳を傾ければいい。一心に聴いてやっと、これらの曲名が浮かんでくるほどに、初期のディランとはちがっている。編曲を変え、歌い方を変え、ギターの奏法を変えている。しかも何度も何度も。ディランは 60 年代からいままで、成長し変化しつづけることで、学生運動家のアイドルだった時代にしっかりフックしているのではないか。身をもって革新を表現するラディカルでありつづけている。

 あるいは、いまではデスク上の必需品と化しているパーソナル・コンピュータ。これを 1970 年代につくりだした若者たちの頭を占めていたのは、メインフレーム・コンピュータを独占するビジネス社会への対抗意識であった。「自分」のマシンを持ちたいという思いに突き動かされ、小さなコンピュータをつくった。パソコンには現在も、カウンターカルチュアの青痣が残っている。

 ただし、近年の戦争については、ちがっている。60 年代アメリカの若い世代は、重たい思想を担いで、ふーふー言いつづけた。そうしながら、インドシナ半島の戦争を終結に導くための口火を切った。これを受けて、アメリカ人一般が政府の政策に背を向けることで、権力は、戦争から手を引かざるを得なくなったのである。しかし、イラク戦争へ反対する力として、その「前衛」の姿がなお見えてこない。

 高速で走れなくなったアメリカ。急激に活力を失いかけている合衆国に、ブッシュの空元気が虚しい。

[2004.1.30.]


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