★連載完結
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超人伝説■ 乗っ取りのテクニック■ 懲罰金は「たった」1億ドル■ 映画の撮影じゃないか、と■ 頼れるのは「金の増殖」のみ■ 友を売り、敵をまるめこむ■
超人伝説■
1986年11月14日に、SEC(アメリカ証券取引委員会)は、アイヴァン・F・ボウスキーがインサイダー取引きをしていたことを認めて、賠償金と罰金各5000万ドル、合わせて1億ドルを支払ったと発表した。
ボウスキーが証券Gメンの捜査の網にひっかかったのは、その半年前の5月に逮捕されたデニス・レヴィンの自供がきっかけであった。7月にはレヴィンの共犯として4人が挙げられている。スキャンダルはどこまで拡大するのか。夏の間、ウォール街の金融業者たちは、休暇の楽しみがだいぶ削がれたのではないか。
盛夏の8月、日本では、ボウスキーの著作『マージャー・マニア』が、日本経済新聞社から刊行された。まだ、彼の没落をだれも予期しない時期で、この訳書の帯には、
“リスク”を買う!
続発するM&A(合併・吸収)に噛んで乱高下する株の
“サヤ”を抜くアービトラージュ──
辣腕で鳴る現役アーブによる理論と実践の書
といった、かなり無防備なコピーが記されている。なお、アービトラージュとは、株のサヤとり売買のことである。その業者はアーブと呼ばれる。
さらに、この本の袖を見ると、次のようにある。「(ボウスキーは)辣腕のアーブとして、ウォール街では伝説的な存在だが、ニューヨーク大で教鞭をとるなど理論家としても鳴らす。『フォーブス』誌によれば、『アメリカで最もリッチな男のひとり』と称される。
この大物に捜査の手が及ぶことになって、人びとは「ウォールストリートのウォーターゲート」「ボウスキーゲート」などというレッテルを貼りつける。
ボウスキーは当時49歳。壮大な伝説の中心に居た。
住まいはニューヨーク市から北へ上る高級住宅地ウェスチェスター郡にあり、200エーカーの土地に、寝室が10もある邸宅を構えていた。夜は2〜3時間しか睡眠をとらず、毎朝4時半に起床して、マンハッタンへ向かう、という。名前のイニシアルIFBを組み合わせたナンバーの運転手付きリムジンには、自動車電話が3台常備されていた。ケータイの時代はまだ来ていない。市内まで3時間のドライヴの間、「恐怖王イワン」と渾名される人物はときに、車内からの電話で企業幹部たちの朝のまどろみを破ると言われた。
五番街のオフィスには、300回線もの電話がある。ボウスキーはデスクに向かって立ったまま、電話機のプッシュ・ボタンを押しつづけ、数台のヴィデオ・スクリーンを注視して、株の値動きを追う。情報とコーヒーとを絶え間なく飲み下し、一瞬の判断によって数百万ドルを稼ぎ出す。
超人ボウスキーは、途方もない情報を高速で処理し、電話とコンピュータ端末だけを武器として、全ての売買を成立させる「見えないスーバーマーケット」に君臨していた。
「アービトラージュは科学である」との前提で書かれた、先の著作の原書は、前年の85年に出版されたものだが、同じ年の6月、ボウスキーは、カリフォルニア大学バークリー校で、経営学部大学院の卒業式に記念スピーカーとして招かれている。そのピーチのなかで、「ついでに言うと、金銭欲は大変結構である。そのことを知ってほしい。金銭欲は健康的だと、私は思う。貪欲であり、なおかつ満ち足りて生きるのは可能なはずである」と述べて、笑いと拍手に迎えられた。このころの彼は、得意の絶頂であった。
『マージャ・マニア』は彼の記念碑であったが、翌年には、インサイダー取引きの罪で、生涯二度と金融業界に出入りできなくなってしまった。かつての記念碑も、敗将の打ち捨てられた銅像のように無意味である。それが威風堂々としていればいるほどに、いっそう空虚に見える。
もっとも、事情が逆だったとしよう。つまり、ボウスキーの罪はあばかれず、いまなお現役のアーブとして活躍しているとすれば、この本は相変わらず、彼に学び成功をつかもうとする者のバイブルだったにちがいない。人間の評価とはその程度のものかという気もする。
乗っ取りのテクニック■
ボウスキーが携わっていたアービトラージュは、別に新しくはない。この単語の語源は、フランス語のアルビトレ arbitrer である。判断する、評価するなどの意味がある。ヨーロッパの通貨市場で、目はしの利く業者が、市場間の価格差を利用して、安く買って高く売ることで儲けるのは、昔から行われていた。
しかしボウスキーの「功績」は、この古めかしい、裏道商売の感があるアービトラージュをブラッシュアップしたことである。アーブは彼によって、現代の企業の合併、乗っ取りという刺激的な行為に参画し、その帰趨を左右するほどにパワフルな存在に仕立てられた。
現代のアービトラージュは、古典的なそれに対して、リスク・アービトラージュと呼ばれる。リスキーであるけれど、あるいはだからこそ魅力的であることを強調するために他ならない。
「ウォール街に代表される金融街では、リスク・アービトラージュほど真に企業家精神に富んだ活動は、他にあまり見られない。成功しているアービトラージャーたちは独立心があり、リスクを冒すのをいとわない。役人のような生活をするくらいならつらい生活のほうがまだましだと考える人たちだと言っていいであろう。この種の、独立心を貫き我が身を常に第一線に置いて勝者を目指す行為には、ある種の昂奮をそそるものがある」(村井俊彦訳)
ボウスキーは、このようにリスク・アービトラージュの魅力を語っているけれど、思い返せば、彼の冒すリスクには、法を破り、禁断の情報を入手することも含まれていたことになる。先のデニス・レヴィンはM&Aのスペシャリストだが、このレヴィンから内部情報を買っていたことが、ボウスキーの命取りになる。
企業の乗っ取りはふつう、乗っ取り屋が、標的にする企業の株を100万単位で購入するところからはじまる。これは、大手の金融企業を通じて正当な手段で行われ、全株の5パーセントを取得した時点で、その旨を公表することが義務づけられている。すると株価は急上昇して、アーブが介入し買いに出る。乗っ取りを策している側は、市場価格よりも30パーセントから40パーセントを上乗せして買い取るので、「サヤを抜く」には絶好の場面になる。
しかし、ボウスキーのような「辣腕」になると、こんな生ぬるいやり方には頼っていない。まず、乗っ取りの意図が明らかになる以前の、まだ値が動いていないうちに、対象企業の株を買いはじめている。これはレヴィンの手口でもある。そのレヴィンからボウスキーが情報を買っていた点が、乗っ取りとの関連で考えると、きわめて重要になってくる。
と言うのは、レヴィンが当時、ドレクセル・バーンハム・ランバート社の幹部社員だったからで、この金融企業は、ジャンク・ボンド市場を創り出し、それをつねにリードしてきた事実がある。
ジャンク・ボンドは信用度も低く、リスクも大きいけれど、それだけに、きわめて投資収益率が高い。「高利回り債権」と日本語に訳されるゆえんも、そこにある。したがって、冒険的な投資家を集めるのは造作ない。乗っ取り屋がこの種の債権の発行元になって資金を集め、「ランバート」社のほうはその引き受け手となり、M&Aの主役の一角を占めた。
金融証券企業の関係者も乗っ取り屋も、同盟を結ぶ相手はアーブである。アーブが所有する株は、乗っ取りを策す側にも、防ぐ側にも、同様に貴重なわけで、アーブがどちらに与するかでバランスが変化する。乗っ取り屋のほうは、次の標的の情報を漏らして、アーブに買い占めを促し、こうして取得された株をアテにすることができる。あるいは、5パーセントの株を取得したら乗っ取りの意向を公にするという法規定を逆用して、自らはリミット以下に取得を抑えながら、アーブと手を結んで買いに走り、そのうえで、乗っ取りがありそうだという噂を流す。すると株価は急激に動く。上昇しきったところで、両方の株を一斉に売ってしまって利益を手中にするというテクニックもある。
後にボウスキーとの関連で逮捕されるロサンジェルスの証券業者ボイド・ジェフリーズは、乗っ取りの、また別の部分を受け持っていた。企業の側が、乗っ取りに対抗して反撃をはじめ、株をまとめにかかると、乗っ取り屋側は「街頭清掃」にとりかかる。取引所の立ち会い時間外に落ち葉やごみのような株をかき集めて、大きな塊に仕上げるのである。ジェフリーズは、この仕事のヴェテランで、1962年以来、乗っ取りには欠かせない存在であった。彼が逮捕されたのは、ボウスキーに代わり5,600万ドル相当の株を買い、自分名義にしておくことで、法律に認められている以上の株をボウスキーが実質保有するのを助けたためである。
つまりボウスキーは、乗っ取りのプロセスにパイプを幾本も挿入して、ドル紙幣を大量に吸い出していたことになる。
懲罰金は「たった」1億ドル■
このことは、彼の罪が明るみに出た後に、SECとニューヨーク南部(マンハッタン)連邦検察局に任意出頭を求められた参考人の顔ぶれを見ればわかる。
まず、TWAのカール・アイカーン会長がいる。アイカーンは、85年にフィリップス・ペトロリュウム社の買収に乗り出した際、ボウスキーが毎日電話をしてきた事実を認めている。
本人は否定しているけれど、同じ年にふたりはガルフ・アンド・ウェスタン社の株を取得し、そのときに同社が乗っ取りの対象になっているという噂をひろめて、株価を吊り上げている。そのうえで、ガルフ社に手持ちの株すべてを売り渡した、と言われる。
この手口はグリーンメール greenmail と呼ばれるもので、グリーンバック greenback(ドル札)とブラックメール(脅し取る)の合成語である。これに巧みな企業家のことはグリーンメーラーと呼んでいる。その代表的な人物であるヴィクター・ボスナーも、参考人として検事局へ出頭した。
これらの紳士たちが有力な武器としたジャンク・ボンドのパイオニアであるドレクセル・バーンハム・ランバート社からは、専務のマイケル・ミルケンら6名が召喚された。
なお、「街路清掃」人のボイド・ジェフリーズも、もともとは参考人としてよばれたものである。
当局が彼らを呼び出した根拠はなにか。ボウスキーの電話の「傍聴」記録である。罪の軽減を条件に、ボウスキーの同意のもとに行われたものだから、正しくは盗聴ではない。おかげで、ボウスキーの電話は6週間にわたって、当局に筒抜けになっていた。
SECは、参考人の取引き記録とボウスキーのそれを付き合わせ、両者が当該日に電話で話した事実を確かめてから呼び出す。電話での会話が、証拠をつなぐ接着剤の役割をしたわけで、これを突きつけられたら、もはや逃れる術はなかった。
レヴィンにはじまるインサイダー取引き捜査のポイントは、犯罪者に罰を与えることよりも、「罪のネットワーク」を探り当て、それをたぐり寄せて、全容を解明するところにあった。そこで、被疑者が飛びつきそうな取引き材料を投げては裏切りを促す。他者を裏切り生き残ることが正当な行為なのだと、司法当局が保証するのである。
50年代初めの赤狩りで、連邦議会の非米活動委員会に喚問された文化人たちの多くは、仲間に共産主義者のレッテルを貼ることによって、自らは罪を逃れた。一方、これを拒んだ作家のダシール・ハメットや映画監督のダルトン・トランボなどの少数派は、獄に下り、さらには、自由な表現活動ができない状態に置かれた。
アメリカでは、個人が罪と罰とを秤にかけ、選択する余地を残し、国家との取引きを認めている。したがって、ハメットやトランボの行為を、単に正義やヒューマニズムの観点だけで評価することはできないであろう。取引きをするにしろ、それを拒むにしろ、どちらも選択である。この相対主義を前提にしたうえで、各自の選び方の重みを考える必要がある。事の是非はしばらく措いて、裏切り行為をした者にも、自分の意志で選びとったと言う権利は残されている。
アメリカの犯罪をめぐるシステムのなかで、日本人にもっとも奇異に感じられる、当局との取引きには、国家と個人が同一の条件で向かい合えるという民主主義の原則が貫かれている。本来きわめて明快であるはずのこの関係を曇らせているのは、個人が期待されるほどには強靱でなく、他方国家は、強力になるばかりだという不幸な事実であろう。
さて、ボウスキーは並外れて強固な意志の持ち主と考えられる。彼はSEC側と交渉して、インサイダー取引きが公になる以前に、20億ドルと推定される金融資産のなかから、4億4千万ドルの現金化に成功していた。
後に、議会の聴聞会で関係者が明らかにしたところでは、彼が処分できた額は、もっと多くて、14億ドルと言われる。これに関するSEC側の説明では、もしボウスキーへの容疑が公にされた後になってから、大量の証券類があわてて処分されるようなことになると、それによって市場がパニックに陥るので、これを防ぐためだったという。「アメリカ資本主義の番犬」にふさわしい理屈である。
ボウスキーが実際には価値の下落した金融商品をすまして市場に差出す際に、権力としめしあわせているわけだから、それは、だれにも真似のできない「究極のインサイダー取引き」にちがいない。
『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙の推定では、彼がインサイダー取引きで稼ぎ出した金額は、2億300万ドルにのぼる、という。後の84年制定の新法では、利益分をすべて返却したうえに、3倍の額の罰金が科されることになっている。
一方、彼に対する懲罰金はしめて1億ドルに過ぎなかった。いかにも安過ぎるではないか。捜査当局がなによりほしがる情報をちらつかせては、有利に交渉を進める「恐怖王イワン」の面目が躍っている。
ちなみに、皮肉なことだが、1億ドルは、ほぼSECの年間予算にあたる額である。
映画の撮影じゃないか、と■
年が明け87年になった。2月12日のニューヨークの朝は、ことのほか寒かった。捜査官が2人、ウォール街にある、灰色にくすんだ石造りの建物に入って行く。大手のキダー・ピーボディ証券の本社である。2人はエレベーターで18階まで上り、リスク・アービトラージュ部門の責任者、リチャード・ウィグドン(52)に手錠をかけ、同僚たちが言葉もなく見守るなかを連行していった。
そこから3ブロック離れた、こちらはモダンなビルの30階。同じころに、ゴールドマン・サックス証券の、やはりアービトラージュ部長、ロバート・フリーマン(44)が逮捕された。彼は、マンハッタンの連邦裁判所ビルで、前夜のうちに自宅で捕まっていたティモシー・ティバー(33)と出会うことになる。ティバーは、このときはメリル・リンチ社でアービトラージュ部門を統括していたが、それ以前は、「キダー」の投資部門にいた若手のエリートである。
ウォール・ストリートは、前年からつづくインサイダー取引きの摘発に、いい加減あきあきしていたが、現役の金融マンが、オフィスから衆人環視のなかを連行されていったのは、このときが初めてであった。まるで麻薬取締りの現場である。ウィグトンの逮捕を目撃したトレーダーのコメントが『ニューズウィーク』誌に載っている。「映画かなんかを撮っていると思ったよ。げんじつとはとても考えられなかった」
実際、映画『ウォール街』には、そっくりのシーンがある。若いトレーダーのバド・フォックス(チャーリー・シーン)が、インサイダー取引き容疑で捕まる場面である。陽気に出社してくるバドを、同僚たちが黙って見守り、異様な雰囲気の意味を介さない彼がオフィスのドアを開けると、なかで捜査官が待ちかまえている、というものであった。
この証券マンは、乗っ取り屋のゴードン・ゲッコー(マイケル・ダグラス)の代理人となり、内部情報を利用した取引きで成績をあげていた。彼がハーヴァード大卒のエリートではなくて、ニューヨーク大の出身であるところなど、ニューヨーク市立大卒にコンプレックスを抱くデニス・レヴィンを彷彿とさせる。
別のシーンでは、乗取り屋のゲッコーが「金銭欲は善であり、正義であり、役に立つ。金銭欲がアメリカを救う」と豪語している。これなどは、ボウスキーがバークリーで行った、先の演説を下敷きにしていると考えて間違いないであろう。
ゲッコーがセントラル・パークでバドに会った際、この乗取り屋は不用意にも、彼自身もインサイダー取引きに関与していた証拠となる発言をする。いまはすべてを失ったヤッピー、バドはこれを、腹部に隠したテープレコーダーに録音し、取引き材料としてSECに提出するのである。
映画と現実とを比べると、実際の事件から、ヴィジュアルをピックアップして組み合わせ、これを早回しすると『ウォール街』ができてしまいそうな気配さえする。
頼れるのは「金の増殖」のみ■
87年2月のウォール・ストリートに戻る。捜査当局が派手な逮捕劇を演じたのは、ボウスキーへの寛大な処遇に対して批判が集中したことへの善後措置だったと言われる。資産の処分を認め、そのうえ、彼にしてみれば少額の罰金で済ませたというのでは、金融業界の犯罪だけを特別扱いしているとしか見えないと叩かれたのである。そこで、犯罪者はみな同じとばかりに、手錠で連行する演出をしたらしい。
3人がほとんど同時に逮捕されたのは、偶然ではない。いずれも、マーティン・シーゲル(38)のインサイダー仲間で、彼にさされたのである。シーゲル自身も、ボウスキーがしゃべったのがきっかけでやられたのだから、「裏切りの糸」が連綿とつづいているわけである。
シーゲルははじめ「キダー」のM&A部門で腕を上げ、「ドレクセル」に引き抜かれて、同様の部署の責任者になり、ボウスキーとは密接な関係にあった。SECの訴追記録によると、彼がボウスキーに情報を流しはじめたのは82年8月からである。不正利得の総額は3300万ドルと推定される。
取引きのなかには、84年に、コンデンス・ミルクで知られるカーネーション社が、株の20パーセントを売りに出した件が含まれている。当然、乗取り仕掛け人たちが注目する。シーゲルは、公表の前に情報を流したと考えられている。アーブの帝王ボウスキーは、この情報を基に、さっそく170万株を購入している。結局、秋になってネッスル社がカーネーション社の買収に成功したので、彼らは2830万ドルの利益を手中にしている。ボウスキーの部下とシーゲルは、話し合いの席を3度持っている。結局、証券エリートは、70万ドルのキャッシュを詰めたブリーフケースを路上で受け取るかたちで、交渉は完了している。
シーゲルとボウスキーの出会いも、82年である。マンハッタンの男性オンリーの社交クラブ「ハーヴァード・クラブ」が初対面の場で、このとき若いシーゲルは、会社の待遇についてグチを言い、熟練のアーブはすかさず同情を示した。その後まもなく、シーゲルの年俸は一ケタ増えている。こうして、テニスコートとジムのある海辺の家を手に入れ、ヘリコプターをチャーターして通勤する生活ができるようになったわけである。
ボウスキーとその周辺の摘発を指揮し、刑事法廷に持ち込んだのは、当時40歳の連邦検事、ルドルフ・ジュリアーニ(後のニューヨーク市長)で、彼は「30代で億万長者になりたい諸君、合法的にがんばりたまえ」と教訓を垂れた。
もっともシーゲルには、合法か非合法かのケジメはとうになくなっていたであろう。「キダー」時代の84年、社長の命令で、社内にアービトラージュ部門を設立したのは彼である。この人物はもともと、合併・買収部門の責任者だったわけだから、それがサヤ取りも手がけるというのでは、社内組織とはいえ、利害が衝突する。これを平気でやらせるわけだから、証券企業には、市場の公正への顧慮などハナからないということになる。シーゲルは、アービトラージュ部門を早く軌道に乗せるために、先の3人と組んでインサイダー取引きに乗り出したと言われる。
M&Aのための資金調達に働きながら、一方で、乗取りの途中でどうやってサヤ取りをしようかと苦慮する。筋書きが対立するふたつのドラマの両方に出演しているようなものである。
なおボウスキーは、2台の電話で話すのを好み、さらにそのうえ、テレビ・モニターで幹部社員の行動を監視するのが趣味だったと言われる。
システムに組み込まれることによって倫理観を喪失する人間たちの姿が見える。彼らはどのようにして自分の価値を確かめるのか。それは唯一「金の増殖」によってである。
友を売り、敵をまるめこむ■
SECににらまれウォール・ストリートを去った後のボウスキーは、コロンビア大学に近い「ユダヤ神学学校」に入学して、ラビになるための勉強をはじめたと、弁護人はしきりに強調した。
彼が生まれたのはデトロイトだが、父親は、ロシアから移民してきたユダヤ人兄弟5人のうちのひとりだった。ロシア革命の前後には、大量のユダヤ人がロシアからアメリカへ渡っている。一家は、デトロイトの市内でデリカテッセンとレストランのチェーンを持っていて、彼は何不自由のない子ども時代を送った。デトロイト法律大学院を卒業後は、職を転々とする。25歳のときに、裕福なユダヤ人不動産業者の娘シーマと結婚するが、そのときまでは、親戚じゅうから「浮浪者イワン」と呼ばれていた。この結婚で運が上向きだし、夫婦でニューヨークに出てきて、義父の資金援助を受け、アービトラージュ会社を興したのである。
ほんとうの逆境というものを知ったのは、今回の事件がはじめてのことである。
1年後、刑事犯としてマンハッタンの連邦地裁法廷に立ったボウスキーは、「非常に恥じている。どこで道を踏み外したのかを1年の間考えつづけていた」と証言した。
名前を変え、カトリック教会の慈善運動にも参加している。それは、ホームレスの人々を助けるためのプロジェクトである。
ひたすら罪を悔いる姿勢には、だれも口を差しはさむことはできない。しかし、彼が捜査当局を向こうにまわし、自分の利益を守りとおした強い意志を思い出せば、しっくりしない気持ちになるかもしれない。彼がつくった会社そのものは、その後も存続している。
この凄腕の投機業者が会社から持ち出した金は、4億ドルに達すると言われる。彼の個人秘書は以前通りに電話を受けていたし、オフィスで弁護士と打ち合わせをする彼の姿も見られている。ウェスチェスター郡の屋敷は売りに出されたけれど、彼が移った先は、五番街の超高級アパートである。
法廷の判事は、彼の「めざましい捜査協力」を讚えた。ボウスキーの弁護人のひとりは、デニス・レヴィンの逮捕以来インサイダー取引きの捜査で名をあげた連邦検事補チャールズ・カーベリーの前任者で、ふたりは親友なのである。
ボウスキーは、その行為が犯罪とされた後も、まだゲームをつづけている。刑罰制度を、自ら操作可能な範囲内にたぐりよせようと努める。かつての「友人」たちのことは、包み隠さず「敵」であるはずの捜査官にしゃべってしまった。彼の自供をもとに取り調べられた人間は14人におよび、捜索を受けた企業は、5つにのぼった。
87年の暮れ、モリス・ラスカー判事は、ボウスキーに懲役3年の判決を下した。司法は、彼にまるめこまれ、いいように振り回されたとしか思えない。(完)
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