| ★イラクとヴェトナムはどのぐらい近いのか? | ![]() |
息子をイラクで失った母親が大統領夫人の演説を妨げようとして逮捕されたニュース(http://wtfbl.exblog.jp/ 参照)がきっかけで、かなり遠い記憶が呼びだされた。ヴェトナム戦後のアメリカである。自分の経験を書いた一文を再録する。
サイゴン政府が降伏して、ヴェトナム戦争が終わったのは1975年4月30日だったそうである。その日いったい、自分はどこにいて、何をしていたのか、さっぱり記憶がない。日記でも書いていれば、調べてみることもできるのだろうが、その習慣もなかった。たとえ日記があっても、記憶に残らない日であることには変わりがない。
しかし、その2年前の73年1月27日はちがう。パリで、アメリカと北ヴェトナムの間で休戦協定が結ばれた日である。この日のことはよくおぼえているし、ヴェトナム戦争というと、まっさきにこの日が浮かんでくる。いままでずっとそうだったし、これからも同じだろう、と思う。
その2カ月前の72年11月から、ニューヨークにいた。後に植草甚一氏が泊まって日本でもその存在を知られることになるフィフス・アヴェニュー・ホテルの6階の一間きりの部屋に滞在していた。その冬のニューヨークは雪がなく、市当局が路上の雪を溶かすのに使うはずの塩が、どこかに山積みになっているという話だった。
部屋を掃除してくれる黒人メイドは親切で、ホテルの近くには、初老の男ふたりが店番をするニューススタンドがあって、ぼくは、本にするつもりの原稿を書く日々だった。
その当時のアメリカでは、さまざまの社会実験が試みられていて、9月にサンフランシスコに着いて以来、教育、精神世界、家庭、性、政治など、それぞれの方面で実験をしている人々を訪ねまわった。ニューヨークでは、それらの経験をまとめていたのである。
73年秋に上梓した本の最後の部分に、1月27日のニューヨークの風景を書き込んだ。流行だったドーム型の傘がとても寂しく、地下鉄のなかの裸足の少年の姿は、まったくやりきれず、寂寥感はいまになっても生々しい。
新しい実験に取り組む人々は希望に満ちていたし、ぼく自身も、そういう若々しい熱気に夢中だったので、休戦決定のニューヨーク街頭の荒涼には、特別の感慨を抱いた。
休戦協定の締結は、アメリカ人がもうヴェトナムに行かなくていいことを意味していた。戦争は、アメリカにとっては終わったも同然である。それなのに、街にはふだんと変わった光景はほとんど見られない。少なくともニューヨークでは、戦争が通り過ぎた気配すら感じられない。
いったい、どこでだれが戦争をしていたのか。ぼくは、ヴェトナムで戦死した息子を持つ、ある母親との手紙のやりとりによって、戦争の存在を、テレビや新聞によるよりも身近に感じていた。しかしニューヨークでは、休戦はニューススタンドの新聞紙の上に見えるだけである。
この日の街頭風景は、ずっと心に懸かってきた。いったい、あれは何だったのだろうか、と考える。
1981年の秋のことである。ロサンジェルスの郊外にいる友人を訪ねた。彼とは72年の秋に出会って以来、フットボールは嫌いだけれど野球とボクシングは好き、にはじまり、些末なことで気が合い、カリフォルニアへ行けば立ち寄って、半日ぐらいは一緒に過ごす。
別にとりたてて話もないのだが、彼が描いている絵を見せてもらったり、琉球文化について質問されてこちらはしどろもどろになったり、好きなテレビ番組の話題をしゃべるといった、とりとめのないことで数時間が経ってしまう。
81年の秋には、いままで一度も話題にしなかったことを、彼は口にした。60年代に徴兵を忌避して逃げた経験があるという。
その話をする友人は、リラックスして楽しそうでさえあった。捕まってワシントン州の刑務所に入れられ、所内の囚人新聞の編集をしていたが、塀を乗り越えて脱走したという。後に結婚することになる恋人が、陸軍基地の栄養士をしていた。基地のなかでパーティがあると、彼は何食わぬ顔で、彼女と出かけていく。徴兵逃れの男がまぎれこんでいるとは、だれも想像だにしなかったにちがいない。制服の軍人と談笑する彼を見ながら、「私は恐ろしくもあり、おかしくもあり、妙な気持ちでしたよ」と、いまは彼の妻になり、郵便局に勤める彼女は言った。
そんな危ない橋を渡ってきたとは、知らなかった。何気なく会話にはさみこむいまは、明るい口調で、笑い話をするようである。そんな夫婦を眺めていると、かえって、ふたりが抱えてきた「荷物」の重みが伝わってくる気がした。
彼らの住まいの裏に立つと、太陽が沈むときだけ、光線の加減か、太平洋がわずかに望見できる。子どもがほしいのに生まれない、夫婦ふたりだけの丘上の家で、十余年前の思い出話は、73年1月のニューヨークへつながっていくのである。
★[2004.9.21.]
(出典:小著『英雄は帰ってきたか』講談社刊 1985)
・注 文中の友人夫婦は、その後、アイダホ州に移り、現在は当地で、馬の飼育をしながら静かに暮らしている。