はじめに
アメリカ軍兵士によるイラク人捕虜虐待が、メディアを駆け巡っている。これについて、5月7日付けの当メディアは、「アメリカの国内問題である」というアングルの記事を掲載した。
本日は、いまから10年前、まだファクス通信として発行されていた『WAVEtheFLAG』のカヴァー・ストーリー「兵士も軍上層部も、疲労困憊している。−栄光のUSアーミーの未来−」を再録する。
1994年は、ソ連邦が崩壊して3年後である。アメリカの大統領は父ブッシュからクリントンに代わっている。日本では、細川、羽田、村山と内閣がめまぐるしく交替した年でもある。
巨大な敵、ソ連邦が消えて、ひとり大国となったアメリカの軍はとまどっていた。この巨大な組織を活用するための創造的な道が模索されていた。大きな戦争がなくなった時代に軍隊の新たな役割とはなにかが問われた。
しかし、いまから振り返れば、まったく別な道をきりひらこうとしていた人々もいたわけである。現在のブッシュ政権につながる、ラムズフェルド国防長官を筆頭とする、国防省官僚中心の「ネオコン」によって、新たな戦争とアメリカのグローバル帝国とをセットにする理論構築が行われていた。
この記事に登場する「アーリントン研究所」などの改革派が敗れ、90年代を生き抜いた「ネオコン」の反撃が功を奏し、イラク戦争につながった。今回の捕虜虐待は、この文脈から考えることができるであろう。
「国家建設者」としての兵士像■
ワシントンDCからポトマック川を渡った対岸に、ヴァージニア州アーリントンの町がある。ジョン・F・ケネディが埋葬されているアーリントン国立墓地は、よく知られている。しかし、「アーリントン研究所」というシンクタンクのことは、あまり知られていない。所長のジョン・ピーターセンは、かつて海軍の戦闘機パイロットで、ヴェトナム戦争の勇士でもある。
「研究所」の評議委員には、次のような人物が名を連ねている。元CIA長官ウィリアム・コルビー、ソフト・エネルギー・パスの理論で一世を風びしたエイモリー・B・ロヴィンス、未来学者のピーター・シュウォーツ、元海軍作戦本部長エルモ・ズムウォルト。一見、妙なメンバーである。だいたい、喋報機関のボスだった人物が、どんなつながりで、エネルギー体系の革命を予言した環境理論家と同席するのであろうか。
しかし、常に過去は過去である。これまでだれがどんなことをしてきたかは問題ではない。これらのメンバーの間には、アメリカ軍の未来について、ある共通した認識が成り立っているのである。この「研究所」の重要性も、したがって、21世紀を目指す軍のありかたを追求している点に求められる。
1989年にソヴィエト連邦が崩壊したことによって、冷戦構造が消えた。「悪の帝国」を失って、地球上で唯一となったスーパー・パワーは、土俵で、ひとり仁王立ちになって咆哮する横綱みたいなもので、みっともないことこのうえないはずである。ところが、戦う相手をなくした「横綱」の身の振り方は、じつはまだきまっていない。巨体をもてあますアメリカ軍は、どうなるのか。
この点に関する議論は、「横綱」に倣って軍事力の維持強化につとめてきた「大関」以下の国家の軍隊にも、当然関わってくる。国家予算を大量に注ぎ込んで兵器と兵員を積み上げてきたのは、「敵」がいたからであり、その主要部分が姿を消したとき、軍事力の存在理由もまた、大幅に減少するというのが常識のはずである。
アメリカでは、基地や軍需プラントの閉鎖はたしかに進行しているけれど、軍そのものの体質変化という点で、具体的な移行プランが実施されているわけではない。基地周辺では逆に、軍用住宅の建築ラッシュが見られる。これなどは、危機を予感して、既得権益を温存しようとする、保守的な動きをコントロールできていないことを示しているであろう。
クリントン大統領は、選挙戦の最中に、このチャンスをとらえ、冷戦に注ぎ込んできた人的・物的資源を、これまで顧みられなかった「国内のニーズ」に振り向けることを公約していた。国防予算を削減した分を「アメリカ経済への投資」にまわすということである。
国防予算は、クリントンがホワイトハウス入りした93年度が2907億ドル(94年度は2610億ドル)で、これが97年度に2307億ドルになるはずである。ただし、80年代のレーガンの時代に、急激に膨脹したものを、少しずつ減らしてきているという事情があり、これでも、70年代の前半、冷戦の真っ直中にあった当時の水準を保っている。先の中間選挙で共和党が上下両院の過半数を占めたので、今後、軍事費の削減はいっそうむずかしくなるにちがいない。
ところで、「アーリントン研究所」の評議委員であるコルビー元CIA長官は、93年当時、予算規模を97年までに1800億ドル、できれば1500億ドルまで減らすことを主張していた。このドラスティックな削減の提案は、つぎのような認識に支えられてる。
「安全保障について、大多数のアメリカ人がもっとも気にかけているのは、夜間に、街を歩けないということである。これは軍の問題ではない。もうひとつ、安全保障で気になるのは、他の国々の労働力が、アメリカのそれよりも、高い教育と訓練を受けているということである。これも軍の問題ではない。我々を守る軍隊は必要だが、冷戦規模のものはもう要らない」
海外にアメリカ軍を派遣し、駐留させるためにかかる費用は、年間1200億ドルに達するが、この額は、教育、環境、インフラ整備に要するドルを合算したものに匹敵する。そこで、ソ連の「脅威」がなくなったのだから、それを、自分たちの生活に直接関わる部分にまわせ、という納税者の意向が、ここに代弁されている。注目すべきは、「国家安全保障」national securityの概念が、ひっくりかえされていることである。軍隊が、外からの脅威に対する安全を保障するのではなく、「内なる安全保障」こそが、アメリカ人の求めているものだとする考え方である。しかも、これを言っているのが、CIAを率いたこともある人物であることを、もう一度強調しておきたい。
同じ認識に立ちながら、「内なる安全保障」の確保に軍が参画しようではないかと、一歩踏み込んだ議論を展開するのが、「研究所」の所長であり、大統領直属の国家安全保障会議のスタッフに名を連ねたこともあるジョン・ピーターセンである。
「我々が抱えている、もっとも大きな問題のひとつに、都市の中心部が構造的崩壊の危機にさらされているケースが多いことがある。これは、軍のスキルを用いる絶好のチャンスとなる。…若い世代は、社会にスポイルされるだけでなく、社会を壊そうとしている。…アメリカ社会において、これら若者を訓練し、教育し、指導者の養成をするのに、軍にまさる仕事のできるところはない」
若い兵士を育てて、戦場に送り込んできたノウハウが、大都市の腐敗の元凶となっている若年下層階級を「立ち直らせる」ために有効だというわけである。これは、前統合参謀本部議長のコーリン・パウエル(文末コラム=1)の思想に通じるもので、新世代の軍指導層に、強くアピールしている。
この議論に特徴的なのは、アメリカ国内だけでなく、広く地球規模に拡大して、アメリカ軍の「人間的」役割を規定しようとしていることで、ピーターセンは、核テロリズムへの対抗と並列して、「全地球の開発問題」への取組みを、今後の重要戦略課題に挙げている。つまり、発展途上の「持たざる者」たちの土地に出かけていき、道路を建設し、衛生設備を整え、通信施設をつくる「有機的な能力」を発揮していくことを目指そうというのである。平和部隊を思わせる。そこで、「優れた戦士は、同時に、めざましい国家建設者でもある」ということにもなる。
世界戦争という最大目標を失ったアメリカ軍が、生き残るためには、新しいマーケットを開拓し、消費者(アメリカ国民)の嗜好の変化に対応していかなければならない。これを怠ると、国防予算をさらに大幅に削られて、その存立基盤も失いかねない。そうした危機感が、軍部の進歩派のなかににあふれている。「アーリントン研究所」の未来志向は、その反映である。
平時の軍、兵士の退廃■
アメリカ人には、平時の軍隊にはきわめて冷たいという伝統がある。「戦争が終わったら、畑に戻る」と言う表現があり、歴史的に、常備軍には不信感を抱いている。したがって、戦時に急増した兵員は、平時には激減する。いままでずっと、その繰り返しであった。先の大戦の際にも、1200万人まで膨れ上がった兵士が、終戦2年後には150万人にまで減り、徴兵制も廃止されてしまった。ところが、その直後にソ連による東欧制圧があって、あわてて翌48年に徴兵を復活したのであった。これは、歴史的にみると、異常な事態である。
さらに、冷戦という特殊な戦争状態が半世紀近くもつづいた後に、今度は突然に、戦争のない未来に放り出された。さらに、軍の内部には、これから見るように、以前には直面することのなかった「人間関係」の紆余曲折が生起している。こうして、軍部はいまだかつてない経験を重ねることを強いられ、その未来は、いっそう混沌としている。
さきごろ、ハイチに派遣されたアメリカ軍兵士のなかで、3人の自殺者が出た事実は、もう忘れられようとしている。「民主主義回復」と名付けられた作戦には、1万6千人のアメリカ兵が投入された。3人は、わずか1カ月の間につぎつぎに自らの生命を絶っている。ソマリアでは、15カ月の駐留期間で、自殺者は1人であった。
ハイチでは、自殺しないまでも、重症の精神障害に陥る兵士が続出した。陸軍直属の精神科医として現地に入ったドナルド・ホール大尉は、作戦開始からわずかに1週間の間に、10人が精神治療の必要からアメリカに送り返されたことを明らかにしたうえで、次のように『ニューズウィーク』誌上で語っている。
「みんな、たくさんの戦闘を予期してギア・アップしてやってきたけれど、戦闘はなかった。攻撃エネルギーが、行き場を失ったままになってしまった」
ソマリアでは、ともかく戦うべき敵がいたけれど、ハイチの独裁者の手兵たちはほとんど無力であった。民衆はこぞって、アメリカ軍を歓迎した。それだけではない。アメリカが来てくれたからには、家が手に入り、職にも就けると思い込んでいる。兵士たちに、そんな過大な期待に応えられるわけがない。
なんのために武装し、猛烈な暑さのなかで、水も十分になく、家族との電話連絡も思うにまかせないまま過ごさなければならないのか。蓄積される欲求不満がはけ口を失って内向する。感謝祭に帰国した兵士たちが、「地球上でもっとも貧しい国に行って、自分のほうが変えられた」と口々に発言していたが、彼らは、戦闘のない分、現地の文化にモロにさらされて帰ってきたのである。
敵を失い、戦争をなくして、「平和維持」peacekeepingという名の警察行動に従事することが、これからの兵士には、あたりまえのシチュエーションになるにちがいない。ルワンダもイラク北部もそうであった。戦闘行為へ向かう道がほとんど閉ざされて、彼らは、軍隊にいることのワケを、自覚しなおさなければならない。
ハイチに派遣されたアメリカ兵のなかには、ソマリアからそのわずか2カ月前に最終的に撤退した部隊にいた者がかなりまじっていた。彼らは、アフリカからカリブ海へ、「転戦」と言えば聞こえがいいけれど、実際には、ほとんどの時間を無為に過ごすために、家族とずっと離れ離れになっている。
去る4月に、イラクの上空で、早期警戒管制機が警告を怠ったために、米軍戦闘機が、自軍のヘリ2機を誤って撃墜してしまい、26人が死亡する事件があった。この責任を問われて管制機に乗っていた士官6人が起訴されたが、彼らの海外配備日数は、空軍が定める上限の年間120日を、いずれも突破していた。
小規模の地域紛争は、毎年のように発生している。世界最大の軍事国家アメリカは、そのたびに派兵を求められる。戦闘要員は限られている。しかも、軍の規模は縮小傾向にある(87年の総兵員数220万人が97年には150万人になる)。兵士たちは、まるでかけもちしているみたいに、各地の紛争から紛争へ「出張」していかなければならない、家族と離れる期間が多くなれば、士気が低下し、結局、軍をやめることにもなる。
海軍では、現在は48%もの戦艦がどこかの海上で作戦行動に就く事態がつづいている。それでも、海軍の場合はもともと海上勤務多かったから、それなりの心構えがあるけれど、最近では、陸軍も空軍も、いったん基地を発つと、なかなか帰れない任務が増えて、軍全体が始終「留守がち」になっている。本来の戦争はしていないのに、身体も心も、妙に疲労困憊状態にある。
だから、先に核兵器開発の疑惑をめぐって緊張が高まった北朝鮮、あるいはヨーロッパ諸国からしきりに派兵を催促されるボスニアについて、兵士も軍幹部も、「いい加減にしてくれないか」と苦々しい思いで眺めているにちがいない。
この「外患」を上回るのが「内憂」である。国防総省の統計では、この5年の間に、軍関係者の家庭での「配偶者虐待」の件数が30%増えたという。3軒に1軒の割りで発生していると言われ、この割合は一般家庭の2倍に当たる。これに児童虐待が加わる。軍内部の児童の死因をすべて洗い直すためのタスク・フォースがつくられたところである。
陸軍の調査で、家庭内暴力は、軍備縮小のあおりで閉鎖が予定されている基地でもっとも多発することが明らかになった。94年5月、サウス・カロライナ州のマートル・ビーチ空軍基地で、ジェロミー・ウィリスという下士官が、妻を射殺した事件は、大きな反響を呼んだ。ウィリスは、まずプロパンの炎で妻のメアリーを焼き殺そうとし、つづいては絞め殺しをはかって失敗。恐怖に駆られた彼女が、夫を基地当局に告発するつもりで法務課に出かけたの知って、後を追って待合室に侵入し、衆人環視のなかで、胸と頭に銃弾を射ち込み即死させたのである。この基地も閉鎖されることになっている。かつて陸軍で射撃手の経験もある男は、崩壊に瀕している家庭生活への絶望と、自分の将来に対する不安が重なって、「暴発」したと見られている。
軍に入って20年勤め上げれば、恩給がついて老後の生活を保証されると信じこんでいた軍人たちの将来は、急に真っ暗になった。家庭内の暴力事件に、しばしば金銭問題がからんでいるところにも、職業軍人が追い込まれている窮地の実際が反映しているであろう。
一方で、モービルやプロクター&ギャンブルなどの民間企業は、軍のスケール・ダウンに対応して、90年頃から、優秀な人材のヘッドハンティングに乗り出している。軍人は一般に、「創造的思考者」と「臆病な官僚」と「生命知らずのランボー・タイプ」と、三つのパターンに分けられるが、このなかで、まっさきにリクルートされていくのが、「創造的思考者」型の人間である。彼らは、いったいこれから何をしたらいいのか不分明な軍に見切りをつけて、転職してしまう。そこで、後には、転型期を切り開く能力のない連中ばかりが残るという事態にもなりつつあるる。軍人の質が低下する。
クリントン政権は、発足当初に、軍内にゲイの存在を認めるか否かをめぐって躓いた、苦い思い出がある。大統領はゲイへの差別を完全に撤廃するという選挙公約を完全には実施することができなかった。また、女性兵士の扱いをめぐっては、国防総省も現場の幹部も、差別撤廃に躍起になっているが、男性兵士によるセクシャル・ハラスメントは執拗につづく(文末コラム=2参照)。92年に海軍士官学校の学生によるカンニング事件(文末コラム=3参照)が明るみに出たが、これも栄光のアメリカ軍の行く末に漂う暗雲を指し示す現象との受け取られ方をしている。
「エコロジー軍」の提言■
軍人たちの内憂外患を解決するための糸口は、どこに見出せるか。たとえ、ロシアが中国と組み、イラン、イラク、北朝鮮、リビア、キューバを糾合し、連合戦線を組んでも、その軍事支出の総計は、アメリカ一国のそれの3分の1に満たないと言われている。なおこれだけの規模を持つ軍事組織が、神経衰弱の巨象のように悩んでいる。
ここに、『タイム』『ニューヨーク・タイムズ』そして『ワシントン・ポスト』が、次々に掲載を拒否したエッセーがある。すべての場合に、担当編集者は興味を示したのに、編集幹部の意向で没になっている。これを書いたのは、スチュワート・ブランドである。ブランドは、60年代のカウンター・カルチュアのバイブルとなった『ホウル・アース・カタログ』の発行者で、その後も、パソコン通信の草の根利用に先鞭をつけ、メディアの可能性を追求している思想家であり、行動者でもある。
このエッセーは、結局、『カタログ』の後継誌として彼が創刊した『ホウル・アース・レヴュー』に掲載された。「アーミー・グリーン」の標題で、アメリカ軍の未来について、ひとつの提言をしている。環境保護団体「シエラ・クラブ」のスタッフとの会話に触発されて書かれたものだという。
「環境保護の活動家たちの間で、連邦政府が評価を受けるのは希なケースなのだが、陸軍工科部隊は例外で、彼らのヒーローである。この15年の間に工科部隊は、姿勢を転換した。湿地を破壊し、河川をいじりまわし、地域の環境利益を踏みにじることをやめて、湿地の創造に力を注ぎ、河川を復旧し、地域の環境危機を救うことに乗り出している。これらすべてに手をつけた工兵部隊は、本来、環境保護についてなんらの委任も受けていないセクションなのである」(ブランドのような第三者の見方は、工科部隊の司令官ヘンリー・J・ハッチ中将の次の発言によって裏付けられる。「国防総省内部で、環境倫理への関心が急速に高まりつつある」)
「土木屋」が突然に環境保護に力を入れだすみたいに、180度の変身を遂げた工兵たちに着目して、ブランドは、自然環境と都市環境を含めた、地球規模の経済インフラを防衛することを、将来の軍の主要な任務にすべきだと主張する。たとえば、ミャンマーの軍事政権が、堅木の森をむやみやたらに伐採して木材を輸出していることに、現在、なんの制肘も加えられないけれど、将来は、軍事介入する方式を導入しようというわけである。
平時の軍は、戦時と異なって、自国の領土を戦場にしないことに心を配り、海外では、国家の権益を守るのを任務としている。息の長い、地味な仕事を営々としていることになる。この受け身で長期的な性格は、時間をかけて保護し守る仕事に向いている。とりわけ自然環境の場合は、これからつくるのは高価にすぎたり、不可能だったりするから、防衛に専心する必要がある。平和な時代の軍にこれほど適した領域はないと考える。
現在、環境に関わる連邦政府機関は、環境保護庁、国立公園局、国立森林局などだが、それらの上層部はすべてホワイトハウスの人事によっている。したがって、政治的考慮が優先して、つねに積極的な行動に出て、短期に効果をあげることを求められて。腰を据えた仕事ができないきらいがある。
ブランドは、戦争をなくした軍隊を環境保護に導入することで、環境行政をパワーアップするとともに、兵士たちに、新しい目標と生きがいとを与えようと提唱する。
こうした趣旨のエッセーが、マスメディアに受け入れられなかったのは、軍隊についての、従来の常識から大きく離れているために違いない。攻撃し破壊することが使命だったのに、一転して、環境破壊からの地球防衛の役割を担わせようとしているからだけではない、軍は、アメリカのなかでも、もっとも多くの有害物質を発生させている元凶である。年間50万トンとされるが、これは、上位5位までの化学企業からの発生物質の総量を上回るという、巨大な量である。自ら率先して、アメリカの環境をこわしている軍が、どうして、環境保護をその主要任務にできるかという疑問がある。
また、強大な軍備をどのようにして捨てるのか、あるいは兵士たちには、戦闘意欲に代えてどんな「軍人精神」を与えるのかなど、実際問題としては、「エコロジー軍」の提言の前には、さまざまの難関が待ち受けている。
しかし、未来は常に理想から出発しなければならない。ブランドの考え方は、冒頭で紹介した「アーリントン研究所」のメンバーたちが目指す方向ともオーヴァラップしている(彼は、「研究所」の評議委員のひとりピーター・シュウォーツに近く、このエッセーをまず『タイム』の編集者に見せることを勧めたのはシュウォーツである)。
このような情勢変化の兆しを見るとき、軍事力においても「大国」になった日本における自衛隊論議の前時代性が、さらに際立つ。この軍隊が違憲か合憲かも、憲法改正の是非も、いまなお、過去のいきさつのなかにつかりこんで議論されるままになっている。「アーリントン研究所」やスチュワート・ブランドの、大胆な軍改革への姿勢は、自衛隊を未来の視点からとらえることの必要を促している。
まず求められるのは、人的にも技術的にも、豊富な可能性を秘めた、この大集団のエネルギーを解き放つための基準として、現行憲法の前文および第9条の読み直しである。戦争はしない、武力は行使しない、そして、国の交戦権は認めないことを定めた9条の下で、自衛隊が存続させようとするならば、ブランドの主張するような在り方を射程距離に入れて論議するべきである。
憲法違反を承知でつくられ、維持されてきた自衛隊が、まさのその憲法のバックアップを受けて、未来の軍隊に変質することもありうるということである。戦争をしないタテマエの軍隊の価値が、いまこそ明確になってくる。
<<コラム=1>>
コーリン・パウエルは大統領になるのか?
コーリン・パウエルは、いまでも、「ホリデイ・イン」が大好きだという。黒人への差別を最初に撤廃したモーテル・チェーンのひとつが、ここである。彼は、ハーレムに生まれ、サウス・ブロンクスで育った。ジャマイカ移民の黒人の息子である。ニューヨーク市立大学の学生だったときにに、ROTC(予備将校訓練)に参加し、その後、陸軍軍人となった。ヴェトナムで戦い、国家安全保障会議のスタッフとして活躍し、ジョージ・ブッシュによって、統合参謀本部議長に任命されて、軍人として最高の地位に登る。湾岸戦争で一躍ヒーローとなる。ギリシャの歴史家ツキディデスは言う。「権力のあらゆる表現のうちで、人々をもっとも印象づけるのは、抑制である」
議長時代のパウエルのデスクには、このメッセージがテープで貼られていた。彼は、サダム・フセインをクウェートから追い出すために軍事力を使用するのには反対であった。大統領が戦いを望んだのに対し、軍指導者のほうは、経済的封じ込めを求めた。その結果行われた「戦争」が、史上初の黒人議長の評価を高めた。この逆説が、コーリン・パウエル大統領の実現を求める声の出発点であり、なおその底流をなしている。
この秋、ハイチ進攻を前に、クリントンは、カーター元大統領、上院軍事委員会委員長サム・ナン、それに、93年に軍服を脱いだパウエルを加えた代表団を送って、ハイチの軍人指導者たちに平和的な国外退去を求めた。この交渉を実質的にリードしたのはパウエルであった。公に決着がついた後で、この元軍人が、最高指導者のラウル・セドラス将軍に対して、「私はあなたからはっきり聞きたいのだ。明日の朝、私たちは、若者たちをここに送り込もうとしている。だから、彼らが、あなたたちからの抵抗に遭わない保証を、あなた個人から得る必要がある」と述べて、最後まで執拗に言質をとろうとしたことが伝えられている。
平静沈着、自信、威信への自覚。これらは、パウエルが大統領として適格であることが論じられる場合に、しばしば用いられる表現である。その政見ついては知られていない。民主党員でも共和党員でもない。確固とした人格と、それが内包する絶妙のバランス感覚に、アメリカ人は魅かれる。政治を越えた尊敬と親しみに、大統領が本来支えられていることを考えれば、パウエルの場合、すでに基本的な条件は満たされていると言える。
議長時代の業績のなかで、ハイスクールにおけるROTCコースを、それまでの2倍の数に増やした事実は、あまり知られていない。最近の講演のなかで、パウエルがもっとも強い口調で批判するのは、「恥の意識の喪失」である。腐敗した社会環境のなかで、子どもたちにどのようにして自尊心を持たせるか。ここに、彼は軍隊の役割を見出だしている。自分自身もスラムから立ち上がり、軍に救われた体験がある。人をつくり、モラルを教える「究極の教育機関」として、軍が位置づけられている。
いま、彼が全力をあげて取り組んでいる自伝は、95年9月に刊行される予定である。
その前後から、パウエルは、はっきりした行動をとりはじめるであろう。国務長官就任説や2000年に大統領に出馬するのではないかという憶測などがとりざたされている。
彼が優れた軍人であったこと、強烈なモラル感覚を持っていること、そして、リーダーとして理想的な資質を備えていることから、まもなく、アメリカ政治の台風の目になることはまちがいない。
<<コラム=2>>
「真珠湾以来の不祥事」テイルフック・スキャンダル
1991年9月、ポーラ・カフリン海軍中尉は、ラスヴェガスで開かれたテイルフック・シンポジュウムに参加していた。これは、航空工学の最新成果を学習するための研修会で、現役と退役両方の海軍・海兵隊パイロットたちのバックアップを受けるテイルフック協会が主催して、毎年開かれていた。
シンポジュウム三日目の夜、止宿先のヒルトン・ホテルの3階でエレベーターを降りた直後、中尉は、男性士官のグループに襲われる。衣服の下に手を入れられ、下半身を触られ、廊下に押し倒される。彼女は、噛みつき、蹴り飛ばして、脱出した。
その後、カフリン中尉が、この一件を海軍当局に告発したのがきっかけで、同様にして暴行やいたずらの被害に遭った女性士官が80名あまりいたことが、明らかになる。
国防総省による調査の結果、加害者として男性士官175名の名が上がり、そこには、海軍の提督クラスが33人、海兵隊の将官3人が含まれていた。
調査報告書の内容は、ショッキングなもので、文章と写真によって、士官たちの「醜態」が暴露された。ストリーキング、ムーニング(パンツ下ろし)、ボール・ウォーキング(男性器を露出したまま歩く)、あるいは、室内ばかりでなく、プールやテニスコートでの「観客付きの」性行為、娼婦やストリッパーを交えてのパーティ・シーンなどを、事細かに描いている。
これが、「真珠湾以来の不祥事」と言われるテイルフック・スキャンダルである。加害者のなかで、軍法会議にかけられた者はいないが、数十人が、責任を問われて軍を去っている。
被害者はどうなったか。逆に、彼女たちは同僚の男たちの攻撃の的になり、とくに最初の告発をしたカフリン中尉は、海軍内部のミニコミ紙上で、ポーラ・カフィン(カフィンは棺おけのことである)の筆名の何者かによって、激しい非難を浴びせられ、彼女こそ「不道徳な」行為にすすんで進んで参加したパーティ・ガールだとまで言われた(先の報告書は、この非難はデッチ上げであると結論づけている)。中尉は結局、94年2月に海軍をやめた。
その直後に、現場の最高責任者、フランク・B・ケルソ海軍作戦本部長が、任期を2カ月残して退任した。彼は、テイルフックの乱行の現場に居合わせていたことが、ほとんど確実と見られるが、最後まで否定し続けて去っていった(退任表明の記者会見で、この軍人はつい口を滑らせ、「男の海軍」という表現を使った)。連邦議会の女性議員16人から、ケルソの年金を削減すべきだとの、強硬な提案が出たほどである。
去る10月に、海軍初めての女性戦闘機パイロット、ケイラ・ハルトグリーン中尉が、着陸寸前のエンジン・トラブルと見られる事故で死亡した際の内部の反応を見ると、「テイルフック」は終わっていないことがわかる。事故のあった海軍基地の町サンディエゴのラジオ局には、さっそく、男の声のタレコミ電話が殺到した。「ケイラはパイロットの資格なんてなかったのさ」「彼女が採用されたのは、政治的配慮ってやつだよ」「あの腕では死んであたりまえ」…兵士たちの、情け容赦のない「内部告発」は、延々と続いた。
戦闘であれ、事故であれ、死んでいったパイロットのフライト・レコードにイチャモンをつけるのはタブーのはずである。異性間戦争の、もっとも熾烈な戦場は軍隊内部かもしれない。
あるテレビ・ニュースで、陸軍航空隊のヘリコプター男子乗員たちが、新たに加入した女子乗員と一緒に、レポーターの質問を受けているシーンが、印象的であった。彼らは彼女を歓迎し、和気あいあいとした雰囲気だったが、ひとりが、「戦場で負傷したとき、だれがぼくを背負っていくのかな」と不安を漏らした。これに答えて、新任の女性が、「体力には自信がないけれど、操縦なら任せてもらいたいわ」と、明るく言い放っている。
軍が質的な変化を遂げようとする過渡期の状況が、ここに反映している。敵味方が生命を賭けて戦う「戦争」から、「平和」を維持するために出動する警察行動へ重点が移っていく時代に、女性兵士の進出は、むしろ必然なのである。したがって、軍部におけるセクシャル・ハラスメントには、過去の戦争と、闘争本能に対する、男たちの執着を見ることができる。
<<コラム=3>>
こうして、士官学校の「名誉」は失われた
アナポリス(海軍士官学校)での集団カンニング事件は、1992年の暮れに起こった。海軍が、「テイルフック」で揺れている最中の出来事である。
期末試験が終わってまもなく、2年生の数人から、「電気工学311」コースの試験問題が、試験の3日前から、電子メールで流れていたという通報を学校当局が受けて、明るみに出た。1月になって、150人の学生がカンニングに参加しているらしいという噂が校内に流れた。それが事実なら、10%の学生が退学処分になるであろう。
ところが、学校側は、学生に十分な情報を与えないまま、6人のみの処分を発表して収拾をはかった。これが、学生たちの不信を買うことになった。大規模なカンニングが行われたのを公にしないために、「臭いものに蓋」の方針をとったからである。
結局、地元の新聞に暴露されて、海軍当局が調査に乗り出し、133人の学生が関与していた事実が判明するとともに、作戦本部長が連邦議会から説明を求められる事態にまで発展した。
アナポリスの「学生は、廉直の人であること。嘘をつかない、だまさない、盗まない」と、簡潔に表現された「名誉コード」がある。彼らの学業と日常生活の双方が、この「コード」によって律せられなければならない。やがて卒業し、将校となり、兵たちを率いて戦うことになるとき、「廉直」は、単なるモラルを越えて、戦場を生き延びて勝利を手にするために不可欠のガイドラインである。ミサイル・システムの点検を完了してもいないのに、終わりましたと報告すれば、戦闘が開始されて、船を守ることができなくなる。
このカンニング事件は、「名誉コード」を侵犯した。学生が嘘を言って、追及を逃れようとしただけでなく、学校当局が、隠蔽工作をして、海軍軍人となることに誇りを抱いていた、多くの学生を裏切った。こうして、海軍を支えてきた精神の大きな部分が、失われたのである。
76年に、ウェスト・ポイント(陸軍士官学校)で発生した、大規模なカンニング事件の際にも、やはり「名誉コード」が重大な損傷を被っている。やはり、電気工学の講座だったが、持ち帰り試験の解答に、類似のものが大量に見つかって、発覚した。150人にのぼる大量退学の処分になった。開校175年で最大のカンニング・スキャンダルであった。
ところが、それから1年後に、98人が復学した。ウェスト・ポイントの「名誉コード」は、「嘘をつかない、だまさない、盗まない、それらの行為をする者を容赦しない」といっそう厳しいものである。ところが、虚偽をはたらいた者が、許されて戻ってきた。これは、校内にかぎらず、海軍内部にウェスト・ポイント出身のエリート士官への不信感を植えつける結果となった。
今回のアナポリスの事件は、軍事予算が削られ、冷戦が記憶のなかに閉じ込められようとしている、軍にとって不利な状況に、追い討ちをかけている。なお、連邦議会の決定で、学生数が95年から10%削減され、97年の卒業生からは、自動的に将校に採用されるという保証がなくなる。
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