★亡命イラク人の「アメリカは間違っている」

 2 月 20 日のイギリスの新聞『ザ・ガーディアン』で、イラク人経済学者カミル・マーディ <K.A.Mahdi@exeter.ac.uk> が、米英による「戦争ゲーム」を批判する文章を発表している。カーディは、イラクからの政治亡命者で、現在は、イギリスに在住し、エグゼター大で中東経済を教えている。
 以下に、カーディの「コメント」を抄訳する。

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 イギリスの首相トニー・ブレアは、戦争の正当性を国民に納得させられないとみると、イラク国民の苦難を持ち出している。攻撃によって死者は出るだろうが、戦争をしない場合の犠牲のほうが大きいという論理である。

 現在のイラク政府の抑圧的なやり方は広く知られているが、最悪だった時期は、12 年前に、コーリン・パウエル指揮下のアメリカ軍が侵入したとき、15 年前、サダムがアメリカの友人であったとき、そして 30 年前、ヘンリー・キッシンジャーが、クルドとイラク人たちの民主化要求を抑えつけ、アメリカの影響力を強めようとクルド民族主義を利用したときである。

 イラクにおいては殺しや拷問が、つねに政治とむすびついてきた。1978-80 年のイラン革命やソ連のアフガン干渉でも、政治的退行が見られたが、イラク人は、90 年代の戦争と経済制裁によってもっとも苦しめられている。政治的解決が必要な問題はいくつもあるが、いかなる口実を設けようと、戦争はイラク人の望むところではない。

 イラク人は、希望もなく、自尊心もない、不幸な被害者扱いをされている。後見者がいないことには政治的行動もできない田舎者のような言われ方をしている。これはイラクの歴史と現実からほど遠い。イラク人は多様性、複雑に入り組んだ社会、深く根づいた都市文化を誇りとしている。

 近年の怒涛の歴史は、イラク人がみずから選びとったものである。イギリスから独立し、政治的社会的な解放をかちとろうとする戦いから、豊かな現代政治の伝統が生まれた。最近の政治史が暴力に彩られているのは、専制に反対し、政治的改革を目指そうとするイラク人の決意の現れに他ならない。

 イラク人は、子羊のように従順に殺されるようなことはないし、いくつもの政治闘争を戦い、悲劇を体験してきた。アメリカの侵攻だけが、イラクに政治的変化をもたらす方法だという主張は、ブレアの政治宣伝にはぴったりだが、無知と不誠実以外のなにものでもない。

 サダムの下のイラク政治は独裁者のきまぐれだと見なしてしまうのが、近ごろの流行になっている。しかし、人民の心にある政治を指導者たちが殺すことはできないし、希望を砕くことも不可能である。63 年バース党がはじめて権力を握ったとき、左翼の虐殺が行われたけれど、これは 60 年代はじめになって新たな大衆運動の出現をさまたげられはしなかった。二度目のバース政権は、70年にクルドを利用して時間稼ぎをしようとしたが、クルド民族主義に火をつけることになった。サダムは、70 年代はじめに、共産党と手を組み、その結果、共産党は非合法すれすれで成長をつづけ、サダムはついにこれと手を切ったのである。70年代、サダム政権は、経済に政府が徹底的に介入することで、民間の経済活動を統制しようとしたが、その結果、スモール・ビジネスの活動が爆発しただけであった。

 サダムの政権は、徹底した世俗主義を貫き、その結果、宗教の側からの反対に大衆が引きつけられた。バース党への参加を強要しはじめると、党内には反対意見が出るようになり、サダムは反対派を粉砕する必要を感じ、その過程で党そのものを壊してしまった。80 年代になると、軍が脅威となり、91 年の蜂起で、不満がいかに広まっていたかが示された。90 年代にサダムは、アヤトゥーラ・ムハマド・サディク・アル−サドゥルを宗教指導者として育てようとしたが、結局、アヤトゥーラは、反対派の結集点になってしまった。サダムの家族や側近の間にも、反対者はいる。
 
 もちろん、以上の挑戦のすべてを、サダムは打ち破ってきたが、どの場合にも、地域的、国際的環境が彼の味方をしたのである。トニー・ブレアが、イラク政治がわかっていて、意味のある計画を持っているようなフリをするのは、欺瞞もいいところではないか。イラクの歴史は、人民の闘争のそれであるとともに、帝国主義の強欲、超大国間の敵対、および地域的葛藤を表している。イラクの政治と社会生活の全体をサダムのきまぐれに帰してしまうのは、乱暴だし、侮辱的である。

 12 年におよぶ経済的な制裁措置を通じ、アメリカとイギリスは、イラク内の政治状況を無視して、その封鎖政策を正当化するために、武器に集中している。91 年 4 月の国連決議 688 号は、抑圧に終止符を打ち、イラク人の人間的政治的権利を保証するための公開討議を呼びかけたが、この決議は脇に押しのけられ、プロパガンダに利用され、飛行禁止区域を正当化するためのものになってしまった。

 国際的な力と倫理的な権威のバックアップを受けた、真にダイナミックな政治が生まれるのではなく、イラク人は、その破壊された国家を再建できぬままに来た。イラク人は今後何世代にもわたって、国際市場における石油余りの時期に照応した、経済制裁と封鎖の政策の代価を支払いつづけることになるであろう。

 現在、アメリカは、新しい政策の早急な実施をはかろうとし、軍事力の全てを傾けつつある。ブレアがなんと言おうと、それはイラク人の利益と権利とはなんらの関わりない。イラクの政権は鉄壁の強さを誇っているわけではないが、アメリカは、イラクの民衆抜きでの政権交代を目指している。イラク人の補助部隊を投入しようとしているとは言え、米英両軍の犠牲者を最少するためでしかない。その結果、イラク人の犠牲者は増え、紛争は長引き、破壊的な人的被害が発生するであろう。

 ブッシュ政権は、多数のイラク人亡命者を募り、侵攻と、イラクを統制下に置くための政治的隠れ蓑に利用しようとしている。アーマド・チャラビ、カナン・マキヤなどと言った人物は、イラク人の間では、ほとんど信用されていない。彼らはアメリカの侵略で自分たちの立身出世を狙っているのである。同時に、クルド民族主義の中心勢力は、イラクの政治から離れ、内部抗争に明け暮れることによって、アメリカの庇護に頼り切るようになっているため、アメリカによる軍事侵攻に反対する立場にいない。アメリカは、さまざまの圧力を加えながら、国内および地域内の協力者を集めるであろう。

 アメリカの目的にも方法にも、合法性はない。その政策は、地域のイラク人およびその他の人々の大多数の拒絶に遭っている。バース政権への反対の歴史をたどると、さまざまな左翼、アラブ民族主義政党、共産党、イスラム・ダワ党、ムスリム・ブラザフッドなどは、イラク政治がアメリカに保護されることを拒絶してきた。イラク人の支配的な世論は、イラクに対するアメリカの攻撃は、解放でなく、災忌につながるという点で一致している。ブレアが遅ればせに、イラク人を心配する発言をしているが、そんなものにかかわらないことである。


[2003.2.28]


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