| ★25年前のNY交通ストは、とても楽しかった。 |
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ニューヨークのバスと地下鉄がストライキに入った。25年ぶりだという。25年前というのは、1980年4月1日であった。エープリル・フールにスト突入である。そのときは14年ぶりと言われた。当時、たまたまマンハッタンに滞在していた。これ幸いと思い、市民たちのストの切り抜け方、乗り越え方、あるいは利用の仕方などを調べた。実際に体験したものも、テレビや新聞を通じて得た情報もある。街に生きる人々のサヴァイヴァル・キットを公開する。
●● ローラー・スケートを履いて、首からはジョギング・シューズをつるす。走るのに疲れたらローラー、ローラーに飽きたらまた走る。
●● ローラースケートに乗り、自転車通勤者に手を引いてもらう。見知らぬ者同士、ストのおかげで手を握り合い、友だちになる。
●● 「ローラースケートの客には、スト中にかぎり、最初の一杯はタダ」というバーに通う。
●● 出勤のときは、他人のクルマに同乗させてもらう。帰りは、クルマを運転してマンハッタンまで来てくれと、妻に頼む。妻は、子どもを友人に預かってもらい、化粧をして迎えにでかけていく。ふたりは、夕方のラッシュを避けようと、久しぶりに、あまり高くないマンハッタンのレストランに入る。キャンドル・ライトで食事をし、ゆったりした気分になる。二度目のハネムーンのような気持ちがして、前夜の口論のことはすっかり忘れ、ついでに、子どもを友人から受け取るのまで忘れてしまう。
●● 夫婦でヒッチハイクするときは、妻が道端に出て親指を立て、夫はそこから離れている。女ひとりのヒッチハイカーと思い込んだ男のドライヴァーが喜々として停車する。ドアが開く。途端に夫が駆け寄り、合流する。これは、60年代に若者だった中年の通勤者たちが、かつてアメリカを放浪した日々、しばしば試みて成功した、生活の知恵である。
●● ブルックリンとマンハッタンを結ぶブルックリン橋のたもとで、「私は1980年の交通ストを切り抜けた」と手書きしたTシャツを2ドルで売る。「2ドルなんて高いよ」と言われたら、「いいえ、次のストライキまでもつという保証付き」と言い返す。
●● 同じ橋のたもとで、自転車修理の露店を開き、故障した自転車を即座に直す。取材にあたっている新聞記者に、このアイディアをほめられて、名前を尋ねられても、けっして姓は言わない。ロバート・バーンズだったら、単にロバートと名乗る。税務署から、後で臨時収入の申告書を書かされても困る。
●● またも同じ橋たもと。スト中の雨のなか、ブルックリンからの出勤者を市長が迎える。公園局職員のレインコートを着用し、なぜか頭にはなにもかぶらず、ズブ濡れのままである。現場で、「こんな日に出かけてくる人たちはすべて善良なニューヨーカーである」と語り、次の選挙の票を稼ぐ。さらに、献血者が少なくなり困っている献血センターに出かけていき、自ら腕をまくりあげ、またも票を稼ぐ。
●● 午後から空いている、食肉市場のトラックを運転して、ウォール・ストリートへ出かけ、「ブルックリンまで、ひとり5ドルだよ」と呼ばわる。こうして人肉をトラックに満載し、ひと儲けする。
●● 自家用リムジンのドライヴァーは、運良く主人が出張中。鬼のいぬ間に白タク業務に精を出し、稼ぎまくる。
●● 「地下鉄を無料にせよ」というバッジを一個25セントで売り歩く。
●● ホテルのメイドは、昼近くになってもまだ「起こさないでください」の札をかけたまま出てこない宿泊客に電話をして、「きょうはストで早く帰ららなくてはいけないので、お部屋を掃除させてください」と催促する。
●● 大当たりしていて、どうしてもいい席がとれないミュージカルの「キャンセル待ち」の列に並ぶ。ストライキのため、マンハッタンにたどりつけない客の予約切符が楽々手に入る。
★[2005.11.21.]